第5話 警告音


 僕は来た道を戻った。道は一本道だ。間違えることはない。だが、思うように進めない。体が重いのだ。疲れているからではない。酔いが残っているからでもない。バラストに足がめり込んでいく。


 息苦しい。胸を強く押さえられているようで呼吸が出来ない。吐き気もある。胸を象に踏まれているようだ。


 バラストに足が取られないよう枕木を頼りに歩を進める。考えるに、重力そのものが原因なのではないか。ここは僕たちの世界の何倍もある。


 だからと言って止まるわけにはいかない。トンネルだ。あそこまでいけばこの状況は変わる。あそこが異界の入り口なんだ。そう、ここは異世界。


 トンネルを出た時の衝撃。あれは次元を突き破った衝撃。間違いない。ここは天国や地獄の入口なんかじゃない。もしそうなら、列車は赤く燃え、爆発なんてしない。


 断言できる。死者をあの世に送る列車なら途中で乗客を木っ端みじんにはしない。もちろん、夢でもない。こんなリアルな夢なんてあろうか。


 喉が渇いた。カラカラだ。唾も出ない。水を飲んで一息いれよう。


 這いつくばってレールに足を掛ける。うつ伏せになって水面へ体を伸ばした。湖にまた落ちてしまってはかなわない。水面に口を付ける。


 塩っ辛い。湖ではない。これは海だ。


 波がまったく立っていない。鏡のような水面。あり得ない。やはり異世界。見上げると雲一つない快晴。日差しが容赦なく僕を襲う。僕はトンネルまでたどり着くことが出来るのだろうか。


 今はむやみに動かない方がいい。行動は日が傾いてからだ。上着で頭を覆い、小さく縮こまる。


 どれぐらいたったか、ふと、空を見上げた。太陽は真上にあったまま、まったく動いていなかった。汗が滴り落ちている。喉がひりひりする。渇きに耐えられない。


 日影が欲しい。やはりトンネルだ。


 立ち上がった。ふと、呼吸が整っているのに気付いた。少し休んでこの環境に慣れたのかもしれない。上着を中東のヒジャブのように被り、世界最高峰の山を登るかのように一歩、また一歩と辛抱強く歩を進める。


 かすかな警告音が聞こえた。遮断機が反応しているようだ。列車が来るのか。遠くに遮断機。警告灯と警告音を鳴らしている。


 隠れるとこがない。周りはレールと海しかなかった。また海へと逆戻り。水中に身を隠すしかなかった。


 嫌だが仕方がない。飛びこむならなるべく短い間がいい。列車が目視出来るか出来ないかで飛び込む。


 だが、列車はいつまでたっても来る気配はない。レールに耳を当てる。そうすれば列車の有無が分かる。映画で見た知識だ。


 レールに震動音はない。列車は来ていない。もしかして遮断機は僕に反応している?


 遮断機はずっと鳴っていた。何時間をかけてそこにたどり着いたが、ここまで来る中、列車の影形もなかった。


 耳をつんざく警告音。横を通り過ぎてもずっと僕を追いかけて来る。聞こえなくなったかと思ったら、また次の遮断機の警告音。


 精神的にもやられてしまう。これはもう拷問まがいの強制労働。今にも心が折れそうだ。


 死んだ方がまし。


 日陰を求めトンネルを目指すのも、この世界から脱出するのも、みんな諦める。


 それならどんなに楽か。この苦境を乗り切るにはそれに勝つ強い意志と揺るがない目的が必要だ。


 僕は自分が何者かも忘れてしまっている。記憶も何もなければ強い意志も揺るがない目的もわき出ることはない。元の世界で僕は何をしていた? 妻や子がいたのだろうか。僕はいい親だったのだろうか。


 僕に待ってくれている人がいるのだろうか。


 分からない。だが、いるような気もする。もちろん、それは記憶からではない。感覚でそう感じる。何かをやり残したような感じもある。胸がざわつくんだ。

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