スポーツ感覚でお笑い賞レースを観る
長月 有樹
第1話
季節はもう完全に冬。けれどクリスマスで浮かれだすには気が早すぎる、11月。
M-1の準決勝当日。それは私が最も熱くなれる日。スマした感じで言うと魂が着火する日。ときめく日。心が震える日。そこの所は、何でも良い、とにかくとてもとても心が動いて。とてもとても笑って。とてもとても生きてると、生きてて良かったと強く感じられる日なんだ。
自分が出場する訳では無い。自分の人生を変えにいってる訳では無い。観る側の人間だからだ。
出場者は命を削ってる懸けてるかもしれない。けれど観る側が、あの人達は命を懸けてるんだ。と言うのは、人を笑わせに行く人達に大して夢を見すぎてる。もしかしたら失礼にあたるのかもしれない。イタいヤツである事は間違いない。絶対に。
観たからと言って、当然自分の人生が変わる訳で無い。100万円を拾ったり、明日嫌いな上司がじぶんに土下座で謝罪をする、そんな自分の脳内でなんとかイメージする人生の好転なんて起きっこない。寧ろ、自分の人生が変わる映像があまりにも小さすぎて、自分で自分を嫌になる事が加速する。ぐんぐんと。マッハの世界に突入する。
けれど、この抑えられない自分の感情に噓はつけない。疑いようも無く、心は震えてる。人生を変えようと鎬を削るハイレベルな漫才バトルにどうしてもツイストさせられる感覚に陥る。ステージの明かりじゃなく、マイクの前に立つ彼ら、彼女らの姿はやっぱり眩しい。決勝という華やかな舞台に立つための最終決戦。自分はM-1準決勝が大好きだ。とても大好き、だって熱くなれるんだもん。
年も30回重ね、生きる希望なんて何も無いと自己愛に満ちた言葉を紡ぐのも恥ずかしいと思うようになってきた。かと言って自分の給料でかなり意味もなく無理をして、かつ必要性も感じない家賃月9万円の1LDKと通勤にしか使わない日産のスカイライン。これくらいしか得ていると言えない中年サラリーマン独身男性 清塚誠司(31)つまり自分の事。残り少ない有給休暇を迷わず申請し、自分と同じがらんどうで何も無いリビングで昼間から5時間、延々とレモンサワー缶をぐびりとあおる。
テーブルも無くフローリングの床に直置きした酒と焼鳥とポテトチップスをつまみつつ、煙草を吸う。透明な灰皿は既に吸い殻でこんもりと山を作るほどになっており、あぐらをかいて座る自身の周りには空き缶が5,6本だらしなく転がっている。転がった空き缶の飲み口からは残りの酒がこぼれて、小さな水溜りを作っていた。
「待っていた。この日を2週間前から」と独り言を呟く。エアコンがあまり効かず、薄寒い部屋の温度がシンとさせ、それを助長させる。
2週間前。
2週間前の準決勝進出者の20数組が公式ホームページに写真が貼り出される。その日は、仕事にいつも以上に身が入らず、休憩時間のたびにSNSの公式アカウントをチェックする。今年は一体誰が次のステージに行くのか?自分の推しの芸人が遂に準決勝の壁を突破するのか?
あるいは?あいつらが遂にやってくるのか?あいつらが────と頭をぐるぐるさせる。定時後、残業開始前の休憩時間に何度も何度もSNSのM-1公式アカウントのページを更新させる。
そして張り出される。20数組の芸人の写真。
来た!ととくんと鼓動が高鳴る。パッと映る芸人一覧に、一瞬で自分の推しがいないことに気づき肩を落とす。
次にいつも準決勝を通過する常連組の顔ぶれがいないことに衝撃を受ける。SNSで見た準々決勝を観覧した人達の感想では、通過と予想されてたメンツがいない。
いつもとガラリと変わった準決勝進出者。大会を変えようとしてるのか?と少し運営の方針が頭をよぎるが。
すぐにそんなこと頭の片隅に追いやられる。
それどころじゃない。それどころじゃない。
来た!!と気づく。
「うっわ、マジかよ」
思わず声が出てしまい、休憩中の周りの視線が自分の方に集中されているのに気づき、気まずくなりながら煙草の煙を肺にイッキに入れる。
煙草の先端は気付いたら長く肺になってた。それが落ちて、自分のズボンの膝を汚した。慌ててパッパッと手で払う。
来た……マジで来た。マジかよ信じらんねえと今度は声に出さないように気をつける。鼓動が速くなっている事に気付く。
もう一度スマホの画面を凝視する。やっぱりいる。
若い男女コンビ。コンビ名はインビジブル。結成三年目のプロ芸人。茶髪混じりのロングヘアと黒いスーツの長身の女とお洒落さを感じさせない丸い黒渕眼鏡に角刈りでスーツの小柄な男のコンビ。
芸名はキリコとたておか。
けど自分にとっては雛森さんと大吉くんのがなじみ深い。
大学のお笑いサークルの後輩、雛森さんと大吉くんがM-1準決勝に進出していた。
高鳴る鼓動の中にチクリと言う胸の痛みの音が混ざった。
スポーツ感覚でお笑い賞レースを観る 長月 有樹 @fukulama
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