第31話

だから、アテネにはこういう感情は多分ないと思う。

この国では昔、神を信仰していた。

国民全体にそれを強制していた。

しかし、魔王の登場から、その文化は廃れていった。

どうしてなのかはわからないけれど。

その時の名残で、授業にも宗教についてを学ぶ時間がある。

「良いですか、皆さん。神と言うものは感情を持ちません。とは言っても、完全に無い、というわけではないのです」

教卓で教師がそんな事を語る。

「最低限の喜怒哀楽は持ち合わせていますが、人間のように複雑な感情は持ち合わせていないのです」

そう語る。

「それゆえに神は狂いやすい。単純な感情しか持ち合わせていない状況で何百年も過ごすわけですから。人間に認知出来ないほどの悠久の時を過ごす彼らは、まるで幼子のように繊細な存在なのです」

黒板に儀式の様子が描かれる。

「だから、我々の祖先は生け贄を捧げました。人間を捧げ、それを神の玩具にすることで、神に我々の複雑多様な感情に触れさせ、狂うのを防いでいたのです」

そこから先はどんな話だったかは忘れた。

聞きにいこうにももうできない。

先生は解雇にされた。

宗教について教えたから。

そこから行方もわからない。

僕にわかるのは、アテネと僕はお互いに分かり合う事なんてあり得ないと言う事だけだった。

息を吸って、5秒くらい止めて吐き出す。

何度も何度もそれを繰り返す。

何度も泣いた幼い日に産み出した方法。

いつもならそれで治まるのに、今日は止まらない。

おかしいな、と思っても止まらない。

繰り返しているうちに、過呼吸に近くなってしまって。

頭に酸素を供給しすぎてくらくらしてしまった。

今日はくらくらしてばかりだな、なんて思う。

なんだか、僕はもうおかしくなってしまったんじゃないかと思った。

いつもなら収まるはずのものが収まらなくなっている。

はぁ、と息を吐いて、先輩のところへ逃げようとした。

「そうやって凪に頼るんですか?いつもそうですよね」

アテネがあきれたように言う。

ふらふらとした足取りで先輩の元へ向かう。

僕は、先輩に依存している。

そんなのわかってる。

だって、もう僕は先輩無しじゃ生きていけない。

あの日、先輩が僕を助けてくれた。

それ以来、先輩を愛してしまって僕は狂ってる。

自分でもそれは気づいている。

だって、先輩と会う前はこんな感情に駆られる事はなかった。

「...、少しは自分で解決しようとすれば良いのに。凪に頼って解決するようじゃ、凪から離れられませんよ?」

離れる気なんて、ないよ。

そんな事もう考えられないよ。

考えられる程温い愛情じゃないんだ。

多分これは愛情とはほど遠いなにかなんだと思う。

だって、本で見た恋愛はこんなドロドロしたものじゃなかった。

でも僕は、この感情が正しいと思うんだ。

だから先輩の元へと向かっていた。

すると、腕を掴まれた。

あぁ、またか。

誰だと思って振り返る。

そこには、赤い瞳と青い瞳を持つ姿だけは先輩に似た人魚がいた。

なんだ、こいつか。

きっと、両親が僕と結婚させようとした人魚。

そんなのは何となく理解した。

ここに来たのは何が目的なのだろうか。

婚約を破棄すると僕は言ったけど、あの両親がそんな事伝えると思わない。

自分達の利益を何よりも優先するあの人達がそんな事をしたら。

きっと明日世界は終わるだろう。

それくらいあり得ないことなのだ。

だから僕が自ら断りの手紙を出そうと思っていた。

まだだしていないのに、どうしてこいつはここにいるんだろう?

「ナナと申します。颯太様でしょうか。もし違うのならば、颯太様がどこにいらっしゃるのか教えていただきたいです」

「...、僕が颯太ですけど。何ですか?人魚の国のお姫様ですよね?こんな所まで何の御用があって来たんですか」

そう言うと、目を伏せてから、おずおずと言った感じで言った。

弱々しいその感じ。

一般的に言えば庇護欲をそそる、なんて言うのだろうそれは。

とてもイラついた。

そう言うのを醜い時に散々見せつけられたからだろう。

僕に嫌がらせをするのは兄達だけではなかった。

召使いも僕の敵だった。

料理に毒が混入しているなんてよくある話だし、酷いときには針が入っていた。

毒には全然気づかなかった。

アテネの呪いのお陰である程度は自浄作用があったらしい。

召使いが独自に入手出来る毒なんてものは異物を混入したものや、自生している毒物くらいしかなかった。

そりゃあ、自分で毒を作れる召使いなんて雇う訳が無い。

そんなの雇って毒を盛られたりしたら大変だ。

毒殺なんて、王族ではよくある話なんだから。

銀を使用すると毒かどうか判定出来る。

その話を聞いて、自分で銀を作る事にした。

魔法を使って作った銀は、料理に毒が入っていると証明してくれた。

僕はその事実を知った瞬間、急いで家族と召使いを呼んだ。

そして毒が入っていたことを訴えた。

当然僕を担当していた召使いが疑われた。

しかし、そいつは泣き始め、弱々しく、庇護欲をそそるように。

「私はそんな事やっておりません。颯太さまの自作自演です。私に罪を被せようとしたのです」

そう言った。

家族も他の使用人も全員そいつの言葉を信じた。

僕の味方がいない事も、その女の事を信じるのも。

全てがいやになった。

だから女は嫌いだ。

結局、犯人はその女だった。

そのあと、部屋に手紙が入ってきたのだ。

「次、私を犯人だと追求したら、この王宮で暮らせないと思え。さっさと死ねよ怪物」

僕は一応王子なのに。

どうして唯一の居場所からも追い出されないといけないのだろう。

皆に醜いと蔑まれるこの容姿でどうやって暮らせると言うのだろう。

だからどうにか耐えた。

呪いが解けるまで。

呪いが解けた瞬間、僕には沢山の味方が出来た。

美しいと言うだけで近づいてくるこいつらはまるで虫みたいだと思った。

だからあの女の断罪を頼んだ。

城に働いているんだから、ある程度情報を入手するのは簡単だった。

何処に住んでいるのか、だとか。

恋人はいるのか、とか。

その召使いは今は城から姿を消している。

女は嫌いだ。

目の前の女も嫌いだ。

「少しお話がございます。お時間よろしいでしょうか」

「...、あちらのカフェで話しましょうか」

そう言って歩きだすと、後を着いてきた。

周囲の人々は僕らを見て声をあげる。

恋人同士だとか思われているのかな。

困るけど。

それはとても困るけど。

いくら先輩の耳に入らないからってそう思われるのは嫌だ。

それにしてもどうして人魚の姫が急にやってきたのだろう。

来なくても良いのに。

「それで、用件というのは」

「...、婚約を解消して欲しいのです。私、好きな人がおりまして」

「あ、僕もいるので。元々解消するつもりでしたよ」

なんだ、婚約の件か。

一応想像はしていたけど。

まさか断りだとは思っていなかった。

僕も断りたかったから丁度良かった。

きっと人魚側から断ったとなると、評判が悪くなるから、直接僕に言って解消してもらうようにしようとしたのだろう。

そういう所は頭が回るんだな、なんて思った。

けど、婚約が決まった瞬間に断りにくるなんて、相当僕との結婚が嫌だったんだな。

僕も嫌だったから丁度良いけれど。

「話はそれだけですか?あぁ、でも早速断りの手紙を。帰りに出そうと思っていましたが、丁度良いのであなたからお父様へお渡しください」

「は...、はい。あの...、颯太様の好きな人は...どんな方なんですか?」

そんな事聞かれると思っていなかったから少し驚いたけど。

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