第23話颯太の覚悟
そのまま一息つく。
そして荷物を出して、一時間目の授業の準備をする。
そのまま塔に直行する。
授業開始まではこうやって過ごしている。
この方が生きやすいから。
やっぱり先輩の傍以外は息を吸いづらいから。
「僕、結局ここに来ちゃうんだよなぁ…、やめられないんだよなぁ…」
悪い癖という自覚はあるのに、止められない。
そう言いながら止める気がない。
こうして、僕は今日も扉を開くのだ。
大好きな先輩に会うために。
最近、目を覚ますと泣いている。
気がついたら涙が頬を伝うのだ。
拭ってもとめどなく流れるそれは、酷く心をかき乱してやまない。
まったく苦しくないのに。
ずっとずっと流れてしまうそれは、なんだか不思議だった。
泣いていた理由はきっと夢の内容だ。
そうに違いない。
だって、それ以外理由なんて思いつかないから。
気がついたら忘れてしまっているそれを必死に思い出そうとしても、砂が手のひらからこぼれ落ちるように掬い上げる事なんて出来なくて。
それはとても悲しいことで。
きっとヒントは颯太を見た時に口からこぼれたアテネという言葉。
それくらいしか僕のヒントになってくれそうじゃない。
なんの思い入れの無い言葉がとても重要な意味を持っている事は分かるのに、それが何なのか分からなくて。
もどかしくて仕方ない。
すぐそこに答えはあるはずなのに、意地悪されて、届かないようにされているような気分だ。
最近その事ばかり頭に浮かんでしまっておかしくなりそうだ。
苦しくて仕方ない。
それでも、颯太には聞きづらくて。
あの悲痛そうな顔が頭に浮かぶ。
その瞬間、聞こうとしても言葉が喉に引っかかって塞いでしまうのだ。
「それでも聞かなきゃ、前に進めないんじゃ無い?」
月がこちらに笑いかけながらそう言う。
まるで悪魔みたいな微笑みだ。
そう言われたところで、返答に詰まる。
だって僕は前に進む気なんて全くないわけで。
僕は、極力颯太が傷つけたくない。
悲しませたく無い。
そう思ってしまうから。
だから僕は聞けないんだ。
そんな僕に、月はため息混じりに言う。
「なら、凪は颯太の事が好きなのね?それなら余計伝えなきゃ。颯太は今の状態もかなりキツイと思うの。だから早く話しましょうよ」
颯太がキツイ?
その言葉に僕の胸は痛くなる。
そう言えば、最近、あまり僕の所に来てくれない。
まるで避けるように。
それがとても寂しくて。
もし、それが原因ならば。
そう思うと胸が締め付けられた。
朝は来てくれるけど、帰りはなかなか来てくれないし。
どこか疲れたような顔をしているし。
思えば思うほど、早く伝えなきゃと言う感情に包まれる。
扉が開く。
颯太が来た。
青い瞳と中々目が合わない。
颯太が口を開く前に、近づく。
そして口を開く。
先に切り出してしまわなければ、タイミングを見失ってしまいそうだったから。
「ねぇ、颯太。どうして最近僕のところに来てくれないの?」
そう聞くと、少し気まずそうに目を逸らす。
考え込んでいるみたいで。
その口が言葉を紡ぐのに時間がかかりそうで。
思わず僕はせかすように言葉を紡いでしまっていた。
颯太を焦らせるように。
追い立てるように。
「もしかしてさ、アテネって言うのが何か関係していたりするの?」
そう聞くと、颯太が目を見開く。
違う、なんて口を開くけど、目は泳いでいて嘘をついているのは明白で。
どうしてそんな嘘をつくの、と悲しくなった。
けど、そこまで颯太が必死に隠している事を暴くのは、なんだかとても危険な事のような気がして。
「あのさ、颯太。僕は…」
僕は颯太が笑顔で僕と居てくれるなら、アテネなんて良いんだ。
忘れたままで良いんだよ、なんて言おうとしたのに、遮って颯太が言う。
そこから先は言わせないとでも言いたげに。
僕から離れないでと必死に叫ぶように。
「アテネなんて忘れましょう?なんなら僕をアテネだと思ってくださいよ」
そう言って、僕に抱きついてきた。
急な事に戸惑ってしまう。
僕はどうして颯太がそんな事を言うのか分からなくて。
なんて声をかけてやれば良いのか分からなかった。
けど、颯太が震えていたから傷付けたのは分かって。
言わなければ良かったと思った。
颯太を決定的に傷つけた。
後悔したってもう遅かった。
「ごめん。ごめんね颯太。そう言うつもりじゃなくて」
「大丈夫ですよ先輩。先輩は優しいですね。…、ねぇ、先輩」
ふふ、と言ってから、颯太は回した腕の力を強める。
どうしてだろう、何だか怖い。
少し息が苦しくなるけど、颯太が嬉しそうだから拒絶出来ない。
おずおずと腕を回して、抱きしめてみる。
そうするとますます嬉しそうにする。
颯太が嬉しいならそれでいいやと思った。
「僕とずっと一緒にいてくれるって約束してくれませんか?」
「良いよ?でもさ、颯太はそれで良いの?」
そう聞くと、僕の顔を見ながら、青い瞳をとろんとさせて言う。
何だか、濁って見えた。
「良いに決まってるじゃありませんか。ね、先輩。絶対ですよ」
そう言って小指を差し出す。
誓い合うように。
指を絡ませて、
「うん!…、でも僕は颯太と一緒にいるんだからね?」
そう言うと颯太は嬉しそうに笑った。
でも、どこか悲しそうだった。
アテネの名前が出た瞬間に、僕の中の何かが壊れる音がした。
もう決して治らないくらいに。
先輩にとって、アテネってそんなに大事だったんだ。
その事実が僕の胸の中に響く。
そうだよね。
大好きだもんね。
愛しているもんね。
結婚指輪を送るくらいに。
そう思ったら、もういいやと思ってしまって。
全部諦めてしまったのだ。
きっと僕がどれだけ努力したところでアテネに勝てるわけが無いね。
僕の存在なんてきっとどうでも良いんでしょ。
そんなわけないのを理解している癖に、どんどん悪い方向へと向かってしまう。
僕なんていなくてもアテネさえいればそれで良いんじゃない?
そこまで思考を進めたらあとは落ちていくだけで。
アテネになってしまおうと思った。
そうすれば全て解決する気がした。
そうすることでしか救われない気がした。
だって、アテネは今、存在していないから。
その存在を乗っ取る事ができるから。
力が溜まれば現れる事が出来るみたいだけど、残念ながらそれはまだまだ先みたいだし。
それなら、良いじゃないか。
アテネの立ち位置を僕の物にしたら、きっと僕の事を愛してくれるはずなんだ。
けれど、それって結局僕の事を愛してくれていないんじゃ、なんて嫌な考えが頭をよぎる。
そう思うと苦しくなる。
そうだけど。
それでも。
それでも良いから愛されたいと思ってしまうのだ。
それくらい愛しているのだ。
愛されない悲しみと比べたら、それくらい、苦しく無いから。
我慢できるから。
「…、颯太。本当にこれで良いんですか?凪は…」
「良い。仕方無いし…。そもそもお前が言うなよ」
あぁ、だめだ。
でも、ずっと一緒にいてくれると誓ってくれた。
それだけでも十分だと思うから。
その言葉だけでこの地獄のような道を進めるから。
どうしたら、先輩は僕のことを愛してくれるかな。
なんてありえない事をつい思ってしまう。
その時、こんなポスターが目についた。
子供の頃から見慣れたポスター。
色褪せていたそれは、未だに存在感があって。
勇者を称える姫の姿。
強者こそは皆に愛されるという文字。
初代勇者はたしかそのまま姫と結婚した。
国中が祝福した。
その後の姫と勇者がどうなったのかは知らないけど。
「...、先輩を守れるくらいに強くなったら、愛してもらえるかな」
そう呟いたって、答えが返ってこない事は何となく理解していた。
答えを知っている人物はこの場にはいないし。
ただただ虚しいだけの瞬間だった。
他の誰かではなくて、先輩にだけ愛されたいし、先輩を愛するのも僕だけが良い。
子供じみた僕の欲望。
もはやそれだけで良いとすら思える欲望。
そんな思考に埋まっていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます