三鹿ショート

 優秀な人間かどうかは、一見しただけで判断することができない。

 相手が優秀では無いと侮り、無礼な態度を見せた人間が、相手の実力が分かった途端にへりくだることは珍しいことではなかった。

 それは、互いにとって良い気分ではない。

 ゆえに、優秀な人々は、自らがそのような人間であると誰が見ても判断することができるようにと、身体の一部分に手を加えることにした。

 それは、自身の鼻を肥大化させるというものだった。

 通常の人間では考えられないほどの大きさにすることによって、誰が目にしたとしても、相手が優秀な人間だと判断することができるのである。

 その合理的な選択ゆえに、たとえ見栄えが悪くなったとしても、優秀な人々が抵抗を覚えることはなかった。

 だが、私は困惑していた。

 何故なら、私は生まれながらに巨大な鼻の持ち主だったからだ。

 だからこそ、私は優秀ではない人間であるにも関わらず、優秀な人間であるかのように、他者から声をかけられてしまっていた。

 否定するべきなのだろうが、私を敬うような態度が心地よかったためか、真実を語ることが出来なかった。

 深く関わらなければ、私が優秀では無いと気付かれることもなかったために、今のところ真実が明らかになったことはなかった。

 しかし、彼女と出会ってしまったことで、私が襤褸を出すことも、時間の問題だった。


***


 彼女は自身の周囲に鼻の大きな人間が存在していなかったためか、私に対して尊敬の眼差しを向けていた。

 笑みを浮かべ、彼女に感謝の言葉を告げるだけでその場を去るべきだったのだが、彼女の明るい性格に惹かれてしまったことが災いし、彼女と関わるようになってしまったのである。

 幸いにも、私が喋らなくとも彼女は一人で延々と口を動かし続けるような人間だったために、私が自らの言動で襤褸を出してしまう可能性は低かった。

 だが、彼女が別の優秀な人間たちと知り合い、私と明らかに異なっているということを知った場合、彼女は私のことを軽蔑するのだろうか。

 そのような未来を想像してしまった私は恐ろしくなり、自らを高めることに決めた。

 これまで他者から向けられる尊敬を示す態度に酔っていたが、何時までも偽りの自分を見せ続けるわけにはいかなかったのだ。


***


 努力を続けた結果か、私は他の優秀な人間と遜色が無いほどに成長していた。

 これならば、彼女の前に出たとしても、後ろめたさを感ずる必要は無い。

 そう考えながら喫茶店へと向かい、私を呼び出した彼女を待つことにした。

 やがて姿を見せた彼女は、一人の男性を連れていた。

 私が首を傾げると、彼女は恥ずかしそうな様子で、自身の恋人だと説明した。

 その言葉に、私は衝撃を受けた。

 これまでの態度から、てっきり彼女は私に対して好意を抱いていると考えていたのだが、どうやらそれは、優秀な人間に対する敬愛以外の何物でも無かったらしい。

 さらに私が驚いた理由は、彼女の恋人の鼻が、大きくは無かったということである。

 つまり、彼女は優秀な人間に対して魅力を感ずるわけではないということになるのだ。

 これまでの私の努力は、何だったのか。

 呆ける私を余所に、彼女は恋人との思い出を語っていく。

 しかし、全ての言葉が私の頭に入ることはなかった。


***


 鏡の前に立ち、自身の顔面を見つめる。

 このような屈辱を味わったのは、全てこの巨大な鼻が原因なのだ。

 これほど鼻が大きくなければ彼女と親しくなることもなく、彼女と恋人関係に至ることができなかったことに対して落胆することもなかったのだ。

 私は台所から持ってきた包丁を、鼻に添えた。

 力を込めたとしても、一瞬で鼻を切り落とすことはできない。

 そして、激痛を覚えることは避けられないのだ。

 だが、今後彼女のような人間と出会い、再び同じような敗北感を味わうことになってしまうということを思えば、早いうちにこの鼻を切り落とすべきである。

 しかし、私には出来なかった。

 単純な話で、痛みが苦手だったからだ。

 あまりの情けなさに涙を流していたが、ふと気が付いた。

 優秀ではない人間に愛されることが無いということを嘆くのならば、優秀な人間たちの中で過ごせば良いだけのことではないか。

 努力が結実した今の私ならば、彼らと共に過ごしたとしても、何の問題も無いはずである。

 私は意識を改め、関わる人間を変化させることにした。


***


 私は、再び敗北感を味わっていた。

 生まれながらに優秀な人々と張り合うためには、私は努力を続けなければならず、そもそもその努力も足りないほどに、彼らは優れていたのである。

 私には、生きていく場所が無いということなのだろうか。

 だが、全ては優秀の証左として鼻を巨大化させたことが問題なのである。

 鼻に手を加えるなどということをしなければ、私は普通の人間として生活することができていたはずなのだ。

 そのことに気が付くと、私は台所の包丁を手に、家を出た。

 優秀な人々の鼻を切り落としてしまえば問題は解決するのだと、私は信じている。

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