第10話 本来の仕事

「え……、子供?」


 突然現れたヒナギクと名乗る子供に、ジクは呆気にとられた。一方のセツは特に動じることもなく、人当たりのいい笑顔を浮かべた。


「ああ、ヒナギクか。班長室の片付けはもう終わったのか」


「うん! ヒナギクに任せれば、そのくらいお茶の子さいさいなんだよ!」


「そうか、そうか。ヒナギクはえらいなぁ」


「えへへー」


 黒い紋様の刻まれた手が橙色の髪をなで、幼い顔に満面の笑みが浮かぶ。

 班長室の惨状を片づけて動じないところを見ると、ただの子供ではないのだろう。もしかしたら、自分と同じ境遇なのかもしれない。ジクがそう訝しんでいると、薄灰色の目がニヤけながら視線を送ってきた。


「ジク、こんな子供にヤキモチを焼くのは、さすがに大人げないと思うぞ?」


「違うから。この子、いったい何者なの?」


「ああ、ヒナギクか? 二、三年……いや、五、六年くらい前だったかな。ともかく、ちょっと前の任務のときにロカが見つけたあやかしなんだが、詳細が不明すぎてそのまま青雲で保護することになったんだよ」


「詳細が、不明?」


「そうだ。まあ人間でないことは確かなんだが、年齢とか性別とかどこから来たかだとか、そもそも本当にあやかしかどうかも分からないってな具合で」


「あやかしかどうかも分からない……?」


 困惑した視線を送ると、ヒナギクが緑色の目を輝かせて胸を張った。


「だって、ヒナギクはヒナギクだからね!」


「……そう」


 なにが、だって、なのかは分からなかったが、本人に問いただしてもこれ以上の収穫はないということだけは分かった。


「それでね、ヒナギクはこれからこのお部屋のお片づけだけど、二人はロカ様が呼んでたからそっちに行ってあげて欲しいんだよ! さっきお片づけしたお部屋のほうだよ!」

 

 困惑を気にすることもなく、得意げな表情が言葉を続けた。


「ああ、分かった。ジク行こうか」


「うん」


「行ってらっしゃい……あ、そうだセツ!」


 部屋を出ようとする二人を幼い声が呼び止めた。


「ん? どうした?」


「えっとね、誰かからの好きっていう気持ちをね、グチャグチャにしちゃダメなんだよ! ヒナギク、そういうセツは嫌いなんだよ!」


「……はは」


 突然の言葉にセツの顔から表情が消える。すぐにヘラヘラとした苦笑が浮かんだが、金泥色の目はその一瞬を見逃さなかった。


「ねえ、セツ。さっきの話だけど――」


「なかなか手厳しいなヒナギクは」


 縋るような視線から、薄灰色の目が反らされる。


「今度ワタガシでも買ってあげるから、許してくれると助かるよ」


「本当!? ヒナギクそういうセツは好きなんだよ!」


「それはどうも。じゃあ、今度こそ行ってくるよ」


「うん! 引き止めてごめんなんだよ!」


「ほら、ジクいくぞ」


「……うん」


 無邪気な笑顔に見送られながら、ジクは打ち切られた話を追及することもできずに部屋を出ていった。



 二人が班長室に戻ると血溜まりや亡骸はスッカリ片づけられ、シキの使っていた机についたロカが物憂げな表情を浮かべていた。


「二人とも、疲れているところ呼び立ててしまいすみませんでした」


「気にしなくていいぞ、少しは休めたから。な、ジク」


「あ、うん」


「それなら、なによりです」

 

 眼鏡の奥で金泥色の目が穏やかに細められれる。

 先ほどは言い合いをしたけれど、シキほど嫌なやつではないのかもしれない。ぼんやりとそう考えるジクの横で、セツがへらりと笑みを浮かべた。


「それで、本部長直々に呼び出しっていうことは次の仕事・・が決まったのかな?」


「はい、「輝ける大樹」の神体となっているあやかしおよび信徒の殲滅です。本来は危険集団殲滅班が行う予定の任務でしたが、こうなってしまった以上はこちらで引き取る必要がありますので。立て続けになってしまい、すみません」


「気にしなくていいよ。本部長があやかしになってから手ぬるくなった、なんて言いがかりをつけられてもかなわないもんな」


「……」


「ふふ、悪い悪い。ちょっと意地悪な言い方だったか。ともかく、私はいつもどおり先に潜入すればいいのかな?」


「……はい。神体の弱体化、可能ならば仕留めるところまでをお願いします」


「わかった。ま、いつもどおりやらせてもらうよ」


「ありがとうございます。その後は……、ジク」


 不意に名前を呼ばれ、金泥色の目が軽く見開いた。


「諸々の報告書によると一ヶ月ほど荒事はなかったようですが、出られそうですか?」


「えっと、はい。一応、簡単な訓練は続けていたので」


「それなら、ジクは俺と一緒に信徒達の殲滅をお願いします」


「わかりました。でも、本部長が直々に出撃してもいいんですか?」


「ええ。今回は予想以上に早い引き継ぎになったんで、他の人員を確保するよりこのほうが早いですから」


「そうですか。じゃあ、セツのサポートとかも僕たちでするんですか?」


「それは……」


 ロカが言葉につまりながら目を伏せる。


「あの、ロカ本部ちょ……」


「ははは!」


 訝しげな表情で追及しようとしたジクの背中を、セツが楽しげな声とともに軽く叩いた。


「なに大丈夫さ。あの集団の御神体は私とかなり相手だから、サポートは特に必要ないよ」


「そうなの?」


「ああ。ただちょっと準備やら何やらがあるから、今晩から任務が終わるまでは一緒にいられないけれどいいか?」


「え……」


 嫌だ、と答えようとした声は喉の奥で止まった。

 目の前に浮かぶ微笑みに、隠し切れないほどの悲壮さがにじみ出ている。


「わかった……」


「よしよし、ジクはいい子だな」


 黒い紋様が刻まれた手が、赤銅色の髪を優しくなでる。


「帰ってきたら、昔話の続きをしてやるから。ああ、それとあの話の返事も聞かせてもらおうかな」


「……わかった」


 小さくうなずくと、ロカからため息がこぼれた。


「……本当に、ろくでもない大人ですよね」

 

 部屋の中に響いたぼやきが誰のことをさすのかは定かではなかった。



※※※



 それから一週間ほど、ジクはセツと離れて本部にある宿舎で過ごすことになった。その間は書類仕事の合間を縫ったロカから、実戦訓練や殲滅対象に関する説明を受けていた。


「ジクはなかなか物覚えがいいですね。これなら、本部でも問題なくやっていけるはずです」


「どうも」


 会議室の中、対象に関する資料を片づけながら微笑むロカにジクが軽く頭をさげる。


「慣れない環境で大変でしょうから、なにかあったら俺かヒナギクにすぐに教えてくださいね」


「ありがとうございます」


 普段の二人の関係は概ね良好だった。ただし。


「あの、セツの様子は?」


「……さあ?」


「さあって……、そんな無責任な」


 特定の話題になると、途端に険悪になる。


「こちらの任務決行日までは、一切連絡を取らないようにしているんですよ。対象に感づかれても困りますし」


「でも、心配じゃ無いんですか? セツは本部長直属の部下なんですよね?」


「だからこそ、彼を信頼しているんですよ。何があってもこちらの情報を漏らすようなことはしないと」


「そうじゃなくて! セツの身になにがあったらどうするんですか!?」


「彼の呪いについては知っているでしょう? ああ、そうか。対象の誰かを誑かして呪いを解かせていないか、心配しているんですね。まあ、たしかに彼は他の者を呪いを解くための道具としか見ていない節がありますから。君のことも、もちろん俺のこともね」


「……」


 虚ろに遠くを見つめる眼鏡越しの金泥色の目を前に、それ以上の追及をする気力が失せていく。

 そんなおり、部屋の扉が音を立てて勢いよく開いた。


「ロカ様! そろそろ次の会議がはじまるんだよ! それとジク! 食堂で美味しいお菓子作ってもらったから一緒に食べよう!」


 満面の笑みを浮かべたヒナギクによって、部屋に漂う重苦しい空気が払われた。


「……これ以上、こんな不毛な話題を続けるのはやめましょうか」


「……そう、ですね」


「さて」


 ロカは眼鏡の位置を直すと、穏やかに微笑んで席から立ち上がった。 


「ヒナギク、教えてくれてありがとうございます」


「どういたしましてなんだよ!」


「それじゃあ、俺は会議に行ってきますね」


「行ってらっしゃいなんだよ!」


 楽しげな声に送られて、白い翼の生えた背中が部屋を出ていく。


「じゃあ、ジクも早く行こう!」


「あ、うん。ちょっと片づけてから行くよ」


「お片づけ!? ヒナギクもお手伝いしたほうがいいかな!?」


「ううん、一人で大丈夫だよ。すぐに行くから、ヒナギクは先に食堂で待ってて」


「分かったんだよ!」


 軽やかな足音を立てながら、ヒナギクも部屋を出ていった。


 一人残されたジクは疲れた表情で窓を眺めた。外には毒々しい色の夕焼けが広がっている。


「相性もいいって言ってたし……、無事、だよね?」


 消え入りそうな問いに答えるものは誰もいなかった。

 

※※※


 任務決行当日、二人は事前の打ち合わせどおり「輝ける木」の信徒たちを滞りなく塵に帰していった。


「さて、建物内の信徒たちの殲滅は完了ですね。ジク、まだいけますか?」


「……っはい」


 顔色一つ変えていないロカに、ジクが息を整えながら応える。本当はかなり体力を削られていたが、はやくセツのもとに行きたいという思いが身体を動かしていた。


「よかった。それならもう行きましょう、あの扉の先に最高幹部と神体がいるはずです」


「はい!」


 扉を蹴破った先には、灯籠が並ぶ林道が続いている。


「ちなみにジク。俺が合図するまで、絶対に飛び出したりしないでくださいね」


「はい?」


 戸惑っているうちに、ロカは今までよりも速く林道を駆けていった。


「あ、ちょっと!」


 慌てて後を追うが、その差は一向に縮まらない。

 必死になりながら足元の悪い道を駆けるうちに、煌々と照る光が見えてきた。開けた場所にかがり火に囲まれた大樹が聳えている。


「ジク、こちらへ」


 体力を振り絞って小声が呼ぶ方に駆けよって身を屈めると、木々の隙間から灯りの中の様子が見てとれた。


 大樹の根元にセツの姿がある。

 しかし、ジクはようやくの再会を喜ぶことができなかった。


 「え……?」


 一糸まとわない身体は荒縄で大樹にくくりつけられ、頬、首、肩、脇腹、腿などに幹から伸びた枝のようなものが突き刺さり、血管のように体中を走りながら白い肌に無数の筋を作っている。

 銀色の髪には細かな砂利や枯れ葉が絡まり、薄灰色の目は虚空へ向けられ、半開きになった唇から血の気を失った舌がダラリと垂れる。そんな姿を見ながら、流木の集合体のようなあやかしがゲタゲタと笑っていた。


「は、は、は、は。じつに、いい、養分が、手に、入った。ほら、早く、今日の、分を」


「お゛ぐっ!?」


 突き刺さった枝に侵食された手が体中を嬲りだし、呻きとも喘ぎともつかない声とともに生気の無い薄灰色の目が見開かれた。


 そんな姿を前に、ジクが大人しく待機できるはずもなかった。


「ジク。まだ、待て、ですよ」


 飛び出そうとした腕を、ロカが力を込めて掴む。


「……離してください」


「駄目です」


「このままじゃ、セツが」


「彼はこのくらいじゃ死にません」


「でも」


「君だって、彼のについてうすうす気づいていたのに送りだしたんじゃないんですか?」


「それは……」


 冷静な声の問いかけをすぐに否定する事ができなかった。

 シキに投げかけていた「毒を仕込んで色々とする」という言葉、ほぼ不死身という体質、それらから今回のような事態を想像できなかったわけではない。それでも黙って見ているわけにはいかないと、腕を掴む手を振り払おうとした。まさにそのとき。


「……それに、堪えているのは自分だけ、だなんて思わないことですね」


 眼鏡の奥の目が激しく充血し、憎悪に満ちた視線をあやかしに送っていたことに気がついた。 


「ここで飛び出したら、あの神体に感づかれてセツの仕事が無駄になります」


「……わかり、ました」


「よろしい」


 素直に引き差下がったジクの頭を、白い翼が器用になでる。

 その間にも無数の枝がセツの体中に入り込み、あらゆる体液を啜りはじめた。


「ああ、御神体に、力が、満ちて、いる。これ、ならば、我らを、害す、全てを、根絶やし、に」

 

「あ゛がっあ゛ぁぁぁぁ!!!?」


 根は身体を外からも中からもズタズタに切り裂きながら、あふれ出た血液を吸収していく。


「あ゛あぁぁぁぁああ゛!!!!」


 悲鳴を上げ血を吐きながら振り乱される銀髪に無数の葉が降り注ぐ。



 その全てが灰白色に染まり、黒く焦げたような模様をつけていた。




「な、これ、は!?」


 あやかしが落ちくぼんだ目を見開いて声を上げるなか、大樹が灰白に変色した枝葉を落として崩れていく。


「っ、ふふ……、ざ、まぁ……っ」


 血にまみれた唇が弧を描く。その微かな動きを金泥色の目は見逃さなかった。


「ジク」


「分かってます」


 返事をするや否やジクは茂みから飛び出し……


「御神体、御しんた……ぃ゜?」


「セツ!!」


 ……刀を突きさされて塵へ帰っていくあやかしに目もくれずにセツへ駆けよった。


「……っああ、ジク、か。けがはない……ごふっ」


「セツ!?」


 身を案ずる言葉が、吐き出された大量の血と塵に遮られる。


「待ってて、今、縄を切るから」


 縄を引きちぎると、あちらこちらから血と塵が噴き出す身体が腕の中になだれ込んだ。


「ありがとう……、あー……、こんかいは……そこそこキツかった……」


 そう呟くと、セツは意識を失った。


「……これで、任務は完了ですね」


 背後から、苦々しいロカの声が響く。


「セツはこれから本部長付の救護班に回します。この程度の損傷であれば明日には回復しているでしょうが、念のため」


「そう、ですか」


「ええ。なので気分が落ち着いたら、彼を入り口まで運んできてくださいね」


「……わかりました。時間をくれて、ありがとうございます」


「いえいえ。俺も似たような思いをどこかでしたことがあるので。それでは」


 足音がゆっくりと遠ざかっていく。

 ジクは振り返ることなく、血に塗れた白い背中をなでた。

 

 手の平には、微かながらも体温がたしかに感じられた。

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