第11話 むかしむかし・二
むかしむかし、あるところに愛する者に殺されないかぎり、老いることも死ぬこともできなくなったあやかし退治人がいました。
そんな彼に退治人結社の人間たちが与えた仕事は、毒餌になることでした。
もとより毒物をよく扱ってきたうえにほぼ不死身なのだから適任だろうと、周りの人間たちは口々に言いました。もちろん、彼は拒否しました。それでも、結社の長は苦々しい顔でこう言いました。
件のあやかしに殺められた退治人たちは精鋭ぞろいだった。だから、その穴埋めをしてもらう必要ある。
それに、今のお前の身体は以前よりも強くあやかしを引き寄せるように変えられている。通常の任務に戻れば他の退治人が巻き込まれて、また大きな被害が出るだろう。
毒餌としての任務なら、一人でもさほど問題ないはずだ。
彼はその言葉に反論することができませんでした。
結社まで戻る道中無数のあやかしたちが群がってきたことから、体質を変えられたという言葉が間違いではないこは確かでした。それなら、上からの言葉に従わないわけにはいきませんでした。もう二度と、仲間を失いたくはなかったからです。
とは言っても、一番大切な仲間はすでに全て失っていたそうですが。
そうして、彼の毒餌としての生活がはじまったのです。
あやかしを塵にかえす毒は、彼の身体も蝕みました。それでも、彼は死にませんでした。
ときにあやかしは、彼の皮膚を食い破り血を啜りました。それでも、彼は死にませんでした。
ときにあやかしは、彼の腹を裂き肝を引き摺り出し腸を食いちぎりました。それでも、彼は死にませんでした。
ときにあやかしは、彼の骨を砕き髄を舐め取りました。それでも、彼は死にませんでした。
ときにあやかしは、痛みによって快感を生じるようになった彼の身体を余すところなく陵辱しました。それでも、彼は死にませんでした。
耐えがたい苦しみが、何度も何度も彼に訪れました。
それでも、彼は死ねませんでした。
そんな日々が繰り返すなか、結社の長が年老いて死んで新しい者と入れ替わり、顔見知りの退治人たちも死んで新しい者と入れ替わっていきました。それでも、毒餌という役割だけは変わらずにそのままでした。
そんなおり、契機が訪れました。
通常、彼はあやかし避けの結界が張られた蔵のなかに、退治用の道具と一緒に保管されていました。扉にはかんぬきがかけられ、内側からは開かないようになっていました。ところがある日、戯れに手をかけてみると掻き傷だらけの扉はすんなりと開いたのです。
外の世界は、温かな陽射しと草花の香りに満ちていました。任務で繰り出す僅かな灯火と血と体液の臭いしかない夜の世界や、僅かな光すら差さない薬品とカビと土ぼこりの臭いに満ちた蔵の中とは大違いでした。
気がつけば、彼はあやかし避けの薬品や道具を持てるだけ持って深い森の中を走っていました。
石に足を取られ、木の根に躓き、すり切れた足の裏が血まみれになっても、止まらずにずっとずっと。
それから、どのくらい走ったことでしょう。けもの道の先に、白い花の群れ咲く開けた場所があるのが目に入りました。そこで、一人の女性が花を摘んでいました。
彼女は彼に気づくと、ニコリと微笑んで手招きをしながらこう言いました。
「ひどい怪我ですね、旅のお方。これも何かの縁です。家で手当をしますから、どうぞお越しください」
表情にも声にも、邪気や殺気のようなものは感じられません。彼は首を縦に振りました。
そうして二人はけもの道を進み、小さな集落のはずれにある家にたどり着きました。なんでも、彼女はそこで薬師兼退治人のような仕事をしていたそうです。
彼は事情を話し、仕事を手伝うかわりにここにおいてもらえないかと頼みました。彼女は微笑んでその申し出を受け入れました。
それから、彼には数十年ぶりに穏やかな生活が訪れました。ときおり手強いあやかしが現れることもありましたが、彼女の退治人としての腕は素晴らしく、毒餌が必要になることはありませんでした。また、悪夢にうなされる夜もありましたが、彼女が子守唄を歌いながら髪をなでれば、たちまち安らかに眠ることができるようになりました。
しかし、そんな日々は突然終わりを告げました。
ある晩、彼はピチャピチャという微かな水音と腹を襲う激しい痛みで目を覚ましました。ぼやけた視界のなかに見えたのは、天井に空いた穴から覗く満月、破けた腹からとび出す腸、それを食らう金泥色の目をした長い虫に似たあやかしでした。他にもひとつ目に入ったものがありました。
口に泥のようなもの詰められ、白目を剥いて息絶えた彼女の姿です。
悲鳴を上げようとした彼の口にも、あやかしは泥のようなものを詰め込みました。
苦しさ、痛み、それによって生じた快楽のなか、彼は腸から食われていきました。毒餌としての仕事であれば、いずれはあやかしが塵に帰り苦しさから解放されます。しかし、今回はそうはいきません。
食いちぎられ、再生し、また食いちぎられ、再生する。
ようやく居場所を掴んだ青雲の社員によってあやかしが斃され彼が回収されたころには、彼女は悪臭を放つ黒いシミに横たわる白骨に代わっていました。
それから、青雲は同じような面倒をおこさせないためにも、彼を人として扱うようになり、仕事がない間はある程度の自由を保障しました。しかし、彼には逃げ出そうとする気など、もう残っていませんでした。
誰かに呪いを解いてもらい、苦しみから解放してもらう。
それだけが、彼の望みになりました。
※※※
「──というのが、俺が聞いた『昔話のつづき』です」
白い病室のなか、淡々としたロカの声が響いた。
「そう、ですか」
ベッドサイドに座ったジクは、終始うつむいて昔話を聞いていた。その手には、全身に包帯を巻かれたセツの手が握られている。
「……ぅ」
包帯の隙間から覗く薄い唇が苦しげに歪む。きっと今この瞬間も、語られた昔話の夢かそれ以外の悪夢を見ているのだろう。
「この話を聞かされて、一度は望みを叶えると約束したんです」
「そうですか」
「結局、いざその機会がきたときに俺は躊躇してしまいました」
「そうですか」
「だから、失望したセツは俺を捨てたんです」
「そうですか」
「ただし、少しでも望みがあると思われたのか、完全に捨ててはもらえなかったんですけどね」
「そうですか」
聞く者のいない懺悔のような声に気のない声が返される。
「……捨てられる覚悟と望みを叶える覚悟、どちらの方がつらくないかはちゃんと考えてくださいね」
「……そうですね」
金泥色の目どうしが一瞬だけ視線を交わし、またすぐに包帯だらけの身体に視線を戻した。
「では、俺は今日の報告書を作るので、これで失礼します」
「わかりました」
「できれば、目が覚めるまでそばにいてあげてください」
「はい」
踵を返すと、ロカは振り返ることなく部屋を出ていった。
「……起きたら、この後の返事ちゃんとするから」
ジクは手が握り返されるのを微かに感じた。
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