第8話 本部長とろくでもない大人と呪いの解き方
突如として現れた眼鏡の青年にジクは大いに戸惑った。セツから出た、本部長、という言葉も気にはなる。しかし、それ以上に気になったのは……
「翼? それに、その目」
……肩のあたりから垣間見える純白の翼と、ガラス越しに輝く金泥色の瞳だった。
「まあお客様、あの翼が気になるとはお目が高い! 実はこのロカ本部長、人間至上主義者が幅を利かせるうちの結社には珍しく……」
「セツ、茶化さないでください」
ロカと呼ばれた青年は軽くため息を吐き眼鏡の位置を直した。
「君にも色々と説明はしますが、まずはズボンをはきなさい」
「あ、はい……」
「それと、セツはこれを羽織っていてください」
「はーい」
純白の上着を脱ぎ、血まみれの裸体に差し出す。その表情がほんの少しだけ緩んだのをジクは見逃さなかった。
「……ん? どうしたジク、どこか痛むのか?」
「別に」
「そういうわりには、若干険しい顔を……ああ、そうか。ロカについては安心してくれていいぞ。結構昔に愛想を尽かされたから」
「そう……は?」
「今のこいつにとって、育ての親兼、部下兼、元カレ兼、都合のいい男っていうのが私の立ち位置だな」
「え? えーと、うん?」
次々と繰り出される情報に理解が追いつかない。見かねたロカが再び深いため息を吐いた。
「セツ、混乱を招くような発言は控えてください」
「えー、でも事実じゃないか」
「いいから、少し黙ってください」
軽口を嗜めはしているが、否定はしていない。混乱を更に深めていると、金泥色の目が眼鏡越しにどこか憐れむような視線を向けた。
「すみませんね、ジク。色々と騒がしくしてしまって」
「あ、いえ。大丈夫です」
「それはどうも。まず自己紹介をすると、俺の名はロカ。先日就任したばかりですが、青雲の本部長です」
「そうですか」
「ええ。見ての通りセイレーンというあやかしですが、今は人間を食らったりしないのでご安心を」
「そう、ですか」
今はというところが気になりはしたが、疑問を飲み込んで相槌をうつ。
「この度は危険集団殲滅班で不穏な動きがあったため、調査していたんです。まあ、その件は粗方かたがついたみたいですね」
「多分、そうですね」
「君が無事でなによりですよ」
「あ、どうも」
「いえいえ。それで危険集団殲滅班の任務と君の身柄は当面の間、本部で預かることになりました」
「そうですか」
「ええ。それでそこにいるセツですが……」
不意に眼鏡の奥の金泥色の目が険しくなる。
「彼はとてもろくでもない大人です。なので、あまり深く関わってはいけません」
「……え?」
真面目な表情から繰り出されたとは思えない言葉に耳を疑った。たしかに、出会いからしてまともではなかったとは思う。
「ロカ、そんな外国語の直訳みたいなかんじで貶さないでくれよ」
「はっ」
唇を尖らせるセツに、ロカが冷ややかな視線を送る。
「だって事実じゃないですか。どうせまた、純真無垢な子供をたぶらかしていいように使う気なんでしょう?」
冷たい声がジクの胸を浅く抉った。
たぶらかしていいように使う。会ってすぐの部下に必要以上に甘く接するのは、何か裏があるからかもしれない。そんな疑いを持たないわけではなかった。
それでも。
「だから、これからはセツではなく他の社員に……」
「あの、ロカ本部長」
「うん? なんですか、ジク」
「セツのために働くのは嫌じゃないですから。あと、僕は子供じゃないです」
自分に向けられる優しさを手放したくはないと思った。
「……手遅れ、でしたか」
憐れむような視線が、眼鏡越しに向けられる。
「このままだと、君はとてつもなく苦しい思いをすることになりますよ?」
「別に、慣れてます」
「……まあ、それは否定できませんけどね。ただ、もう少しくらいセツのことを知ったほうがいいと思いますよ。たとえば、彼が受けた呪いのこととか」
「それも知ってます。不死身なんですよね」
「
「……解き方?」
「そう。君はその解き方のために利用されているだけなんですよ」
「それでも。利用価値をみいだしてもらえるだけ、マシだと思います」
「……それは、誰と比べて、でしょうか?」
金泥色の目どうしがお互いを鋭く睨みつけた。部屋の空気が一気に張りつめていく。
そんな中、セツがへらりと微笑んだ。
「きゃー、二人ともー、私のために争わないでー、まだシキの死体がこっち見てるのにー」
ふざけた言葉に、二人はほぼ同時に脱力した。
「……ともかく、今はこの部屋や貴賓室を片付けないといけませんね」
「……そう、ですね。今から掃除用具持ってきます」
「それには及びませんよ。ヒナギク……、片付けに特化した子を待機させているんで」
「そうですか」
「ええ。では、俺はその子と合流するので、いったん失礼します」
純白の翼が軽く羽音を立てる。
「そうそう、セツ。ジクにもちゃんと、呪いの解き方を教えてあげてくださいね。このままでは哀れで仕方がないですから」
刺々しい言葉を残して、ロカは部屋を出ていった。
「あー、ジク。なんというかロカは色々あって、あの通りだいぶ捻くれてしまっているんだ。だから、キツいこと言われてもあんまり気にしなくていいぞ」
セツが気まずそうに微笑みながらフォローを入れる。
「……うん、分かった」
「よし、いい子だ。あと、一度貴賓室に戻っていいか? シャワーを浴びたり、着替えたたりしたいから」
「うん、そのほうがいいよ。なんかその上着、柔軟剤の匂いの趣味が悪いし」
「ははは! なかなか言うじゃないかジク! それじゃあ、一段落したら色々教えようか。これからの仕事のこととか、住む場所とか……」
不意に、薄灰色の目が軽く伏せられた。
「……呪いの解き方について、とかな」
「……うん」
できれば知りたくない。直感的にそう思いながらも、ジクは素直にうなずく。すると黒い紋様が刻まれた手が、赤銅色の髪を優しくなでた。
「ふふ、大丈夫だよ。そんなに大した話じゃないから」
「……僕ができることは、なんでもするから」
「それは頼もしいな。さ、長居していても仕方ないし、そろそろ戻ろう」
「うん」
二人は並んで扉を出ていく。
誰もいなくなた部屋の中、窓から差し込む午前の陽がうずくまるシキの亡骸を照らしていた。
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