第13話 獣か人間か

 女中たちが四人分のご飯を持ってくると、続いて瑛と柏も入ってくる。

「蒼殿下からお誘いとは、驚きましたぞ」

「俺が呼んだんじゃないよ! 織が呼んだらって言ってきたんだ!」

「はいはい、そういうことにしておきます」

 蒼と柏は向こう側に座り、瑛は自然と織の隣へ腰かけた。

「この前、すごいものを見たんだ」

「すごいもの?」

 柏が聞き返すと、蒼はにんまりと笑みを見せる。

「満月の夜、化け物がいたんだよ」

 大人三人は顔には出さないようにしていたが、内心は汗をかいていた。

「化け物とは蒼殿下は寝ぼけていたのではないですか」

「なんと失礼な柏だ! まあ実際には直接見たわけではないが」

「どういうことですか?」

 織も会話に乗る。

「影が見えたんだ。角の生えた、恐ろしい獣だった」

「角……」

 恐怖心でかき消されそうになっているが、織は満月の夜のことを思い出そうとしていた。

 薄暗い中であったが、獣になった禧桜の頭部には角など生えてはいなかった。それは確かだ。

 そんな織を、瑛は探るように見守っている。

「子供の頃に聞いた物語みたいだな。早く寝ないと化け物が襲ってくるって話」

「今も子供ではないですか」

「うるさいぞ柏。俺はそんな化け物が襲ってきても、蹴散らす自信がある」

 蒼は得意げに宣言した。

「蒼は剣の扱い方もだいぶ慣れてきたからな」

「そうでしょう、兄様。たとえ敵が攻めてきても、蒼が蹴散らしてみせます」

「戦わないように国を治めるのが俺の仕事だ」

「ならば剣を習っている意味がないではありませんか」

「万が一に備えての話だ。剣を抜かない国は、治安が良い証拠でもある」

「化け物が襲ってくる可能性だってありますからね。女中に見たと話しても、嘘ついていると思われて相手にしてくれません」

「蒼、今の話は内密にできるか?」

「なぜですか?」

「他の者を惑わせてはいけないからだ。蒼も国を背負う者ならば判るだろう?」

 蒼は大人の一員だ、と言っているようだった。蒼も神妙に頷き、顔つきが大人びている。

 食事の後は瑛が家まで送ると言い張るので、織も折れて彼を招き入れた。

「化け物の件、どう思う?」

 織は彼を椅子にすすめた。

「私が陛下の閨で見た獣とは違います。そもそも陛下は建物の外へ出ていらっしゃらないでしょうし、陛下ではありません」

「嫌なことを思い出させてしまったな」

 織は頭を振った。

「できるだけ思い出さないようにしているのは事実ですが、陛下のお姿を拝見したのは私です。私しか答えられないことなのです。陛下には角が生えていませんでしたし、蒼殿下が見たのは別の獣かと」

「では、陛下以外にも獣になる人間がいる可能性があるということか」

 ふたりの間では微妙な空気が流れるが、考えていることはほぼ同じだった。

「皇后……でしょうか」

「今は何とも言えんな。子供は虚言を吐くものだが、陛下のご病気を知らずに化け物を見ただのタイミングが良すぎる」

「次の満月の日に、見張りをつけましょう」




 満月の朝、織は医師にいつもの滋養強壮ではなく精神を安定させる薬を渡した。獣になる禧桜に効くか疑問が残るところだが、眠り薬が効いたので一縷の望みでもあった。今日彼の閨へ行く女人が少しでも身体の負担にならないように、と願いを込めた。

 毎夜のように開かれている酒宴を開かないようで、静まる夜になりそうだ。

「では織は部屋にいてくれ」

「ええ、わかりました。あとはお願いします」

 夜に宮殿内をうろついても違和感がないのは瑛や柏だ。

 織は医師に薬を渡すだけで、いつも通り布団へ入ることになった。

 織は布団に潜る。梟は餌を求めて外へ行き、今日ほど寂しいと思ったことはない。

 まぶたが重くなってきたときだ。遠くで獣の遠吠えが聞こえた。耳を澄ませているうちに、眠気に耐えられなくなり織は意識を手放した。


「いなかった?」

 織は怪訝な色を覗かせながら、瑛にもう一度聞き返した。

「ああ、そうだ。女中が気をきかせて酒の瓶を皇后の部屋に届けたのだが、グラスも使った後がなかったそうだ。それどころか、寝台はもぬけの殻だったらしい」

「偶然かどうかなんとも言えませんが、昨日の夜、遠くで獣の遠吠えが聞こえたのです。普段はそのような声は聞こえないので、おかしいと感じていました」

「衛兵たちからは扉からは出てこなかったと一報が入っている。出られるとすれば、窓か?」

「出入り口はそこしかないので、窓から行き来したのでしょう」

 お茶のお代わりをそれぞれ注ぎ、織は温かいうちにひと口すすった。

「窓の鍵は開いていたそうだ。いつもはしっかりと女中が閉め、昨日も間違いなく閉めたと言っている」

「きっと出るだけ出て、戻ったときに閉め忘れたのでしょうね。普段はご自身で窓の施錠を行わないため、閉めるという行動は当たり前になっていなかったのです」

 瑛は眉間を揉み、嘆息を漏らした。織も同じ気持ちだ。

「皇后が実際には人間ではなく、陛下にも何かした……が妥当か?」

「──本日ですが、図書館を開けてもらいたいのです。人間を装う獣、獣になる人間……文献が残されていれば、望みをかけたいです」

「文献……か。そういえば、歴代の陛下が残した日誌があると聞いたことがある。俺の部屋で読むといい」

「持ち出しは可能なのですか?」

「文官にも許可は取っておこう」

「では朝餉の後、瑛の部屋へ参りましょうか」

 瑛は為政者であるため、織を部屋へ送り届けると仕事のためにいなくなった。

 代わりに現れたのはほとんど面識のなかった文官だ。

 重箱にいくつもの紐で括られ、厳重に管理されている。

「国の宝をお持ち下さり、まことに感謝致します。汚さぬよう、最新の注意を払います故」

「そうして下さると有り難いですな」

 文官は納得のいっていない様子だった。

 彼が出ていくのを見届けてから、さっそく重箱の蓋を開ける。

 数冊の本が入っていて、ところどころ虫に喰われていた。

 一番上にあるのは、初代の陛下のものだ。一番下にしてはいけないという配慮がされている。

 中身は家族への愛、病気になっても国を思う心が記されていた。

 次々と日誌を読んでいき、いよいよ最後の一冊となる。

「これは…………」

 初めは妻や子供に対する想いだった。それが次第に同じ人物かと思うほど、字が乱れている。

──医師には精神病だと言われた。見えないものが見え、おかしくなっていると。

──満月の夜にやってくるのは、誰だ。

──何倍の大きさもある獣が襲ってくる。回りの人間には見えないのか。そろそろ死期が近いのかもしれない。

──妻よ、すまない。やはり儂はおかしくなっていた。角の生えた獣が自分の前に現れる。

──獣が女人の姿になる瞬間を見た。女人が獣になるのか、獣が女人になるのか。

──この国は乗っ取られてしまう。対策を練らないといけない。

 途切れ途切れの字で、ミミズのように文字とは言い難い線ではっきりと読み取れないところもある。

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