第12話 陛下の病気
瑛がマーサを手放した理由として「花嫁として迎え入れるよりも踊る彼女を見ていたい」と陛下に報告した。
陛下は名残惜しいとばかりにマーサを引き止めようとするが、皇后がいらない女とばかりに国から追いやった。貸し借りはなしだと瑛や柏を見るが、ふたりは強気な姿勢を崩さなかった。
織の骨折がほぼ完治し、自分の家へ戻った。当然にも瑛に止められたが、いつまでも殿下ともあろう方の部屋に居着くわけにはいかない。
部屋は出るときよりも綺麗になっていて、部屋を掃除してくれていたのだと知る。
「来てたのか」
梟が外からこちらを見ていた。中へ入れてやると、音もなく飛んできて定位置とばかりに肩へ止まる。
「すまなかったな。寂しくなかったか?」
梟は首が痒いとばかりに、何度も捻って身を寄せてきた。
足についている手紙は父と母からだった。
近状は簡潔に、ほとんどが息子への愛情を向けたものだ。
鼻と目の奥に淡い痛みが走り、眉間を何度か揉みほぐした。
しばらく首や嘴をかいてやると、梟は棚の上にある木で作った箱の中へ入っていった。織の手作りであり、梟もそこが気に入っている。
「織、入ってもよろしいか」
「柏ですね。今、開けます」
柏は食事と荷物を持ったまま、軽く会釈した。
「いつもありがとうございます。お茶でもいかがですか?」
「いえ、これから呼ばれております故。こちらはマーサから織への贈り物です」
「もう一か月になるのですね。懐かしいものです」
荷物を受け取りさっそく開けた。異国の菓子がいくつか入っている。それと本が数冊。どれも薬に関するものだった。
この世にはまだまだ知らない病気がある。例えば、禧桜の病気に関するものだ。満月の夜になると獣になり、異常な性欲が沸き起こるなど聞いたことがない。果たして薬でどうにかなる問題なのか。
織はさっそく本を開いた。
「織、織……」
身体を揺さぶられ、織は目を覚ました。
「瑛……どうしてここに……?」
「寝ぼけているな。柏から織の家に言っても返事がないと受けた。眠っていたのか」
「本を読んでいたらそのまま眠ってしまったようです」
「マーサからの贈り物か」
「私が頼みました。知らない薬草などもあって、たいへん勉強になります」
「お前は勉強熱心だな」
ひとり分には多い夕餉がある。瑛もここで食べるつもりなのだろう。何を言っても無駄なので、黙って机の上のものを片づけた。
「禧桜陛下のご病気の件について、ずっと考えていました。陛下の座についてからあのようなお姿になられるとのことですが、どうもしっくりこないのです」
「それはそうだな。タイミングが合いすぎているが、俺もおかしいとは感じていた」
「禧桜陛下は、いつ頃皇后を迎え入れたのです?」
瑛は箸を止め、言葉を失っている。
「そうか……それも視野に入れるべきだ。いや、入れてはいた。柏とも話したことがあった。だがいつの間にか陛下という立場が呪いではないかとすり替わっていた……」
「玉座の間ではお香が焚かれています。誰が用意しているのですか?」
「あれは皇后だ。我々や衛兵は何も準備していない。そもそもお香など詳しくないからな。まさかそれに薬を?」
「前に嗅いだことがあるのですが、人の思考を鈍くさせ、操ることができる成分が含まれているはずです。自我は保っていられるほどで強い効果は期待できませんが、毎日のように嗅ぎ続けている人間であれば、皇后の言いなりにもなるでしょう」
織は席を立ち、瑛に振る舞ったことのないお茶を淹れた。
「これは?」
「毒素を抜くお茶です。いつものお茶とは違い、少し苦みが強いです」
「いただこう」
瑛はひと口飲むと、眉間に皺を寄せた。
「確かに苦いが、とても美味い。お前が淹れてくれたからだな」
「それは良かったです。少しでも頭が冴えていくと良いのですが。柏が来たら、彼にもお茶をすすめます」
「そうしてくれ。俺から茶を飲むよう事情を話す。にしても、もし陛下がおかしくなった原因が皇后なら、証拠を掴まねばならん」
「ほんの少しのことでもいいのです。皇后の小さな変化や、玉座の間にいないときは何をしていらっしゃるのか。近しい者に話を聞けないでしょうか」
「皇后の部屋に行き来できるものは限られている。女中や医師か、どちらかだろうな」
「医師、ですか。それならば私も薬について話をする機会がありますし、それとなく話してみます」
「織郭、そちらは? 見たことがありませぬな」
「新しく調合した滋養に効く薬です。陛下のお身体に合うと良いのですが」
「織郭の作る薬は随一だと評判ですぞ」
昨日作ったばかりの薬を医師たちに渡す。
「この国では、陛下の閨事情は把握されるのですね」
「子をたくさん生ませることが国の栄えに繋がりますからな。陛下には元気で頑張ってもらわねば困ります」
本人は絶対にないと否定していたが、もし瑛が陛下になる道があったのなら、同じようにたくさんの子作りを強いられる。
想像するだけで焼けつくほど、胸が痛い。
「織郭よ、満月の夜の話は知っておるな?」
医師は声を潜めた。
「ええ、もちろんです。秘密を知った以上、何か手立てはないかと模索してはいるのですが……この国にある文献を片っ端から読み漁ってはいます。でも満月の夜に獣になるなど、聞いたことがありません」
「陛下自身も記憶がないときておる」
「皇后は陛下の変貌について、何かおっしゃっていませんか?」
医師もいまいち判らない様子だった。
「そういえば……特に何もございませんな。皇后は陛下の性欲が増幅する夜に閨へは絶対に近づこうとしません。引き続き、調査をお願いしたい」
「もちろんです。陛下のお力になりたく存じます」
「それはそうと、蒼殿下の女中たちがまたもや手を焼いている様子です。悪戯がすぎると。織郭に来てほしいとぼやいてました」
「では午後にでも、蒼殿下へ会いに参ります」
「頼みました。薬の調合や子守りやらで大変ですな」
「蒼殿下は同い年の遊び相手がおらず、寂しいのです。唯一、柏に対しては心を開いているご様子でした」
殿下と呼ばれはしても、まだまだ子供だ。遊びたい盛りの今、友人らしい友人もいないとなると孤独を感じずにはいられないだろう。
織は昼餉の前に、蒼に会えないかと廊下にいる衛兵へ頼んだ。
すると部屋から蒼が顔を出し、実に子供らしい笑顔で腕を掴んでくる。
「織! いつ来てくれるのかと待ってたぞ!」
「それは有り難いお言葉です。蒼殿下が勉強に力が入らないと人伝に聞き、参りました」
「う……ちゃんとやってる!」
「左様でしたか」
「織、これから昼餉を一緒にどうだ?」
「私と、ですか?」
「ついでに瑛兄様や柏も呼ぶか。兄様だけだと柏がむくれる」
「ふふ……そうですね。柏もきっと蒼殿下に会いとうございますよ」
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