第164羽♡ 葵ちゃんの乱

  

 ――7月20日金曜日の午後


 一学期最終日の放課後、いつものようにわたしはバイト先に出勤した。

 今日はこの後、楓と前園がここに来る。


 ふたりの接客は加恋さんと葵ちゃんに任せて、わたしはキッチンでお皿洗いと料理に奔走する……はずだった。

 

 だけど、ここカフェレストラン『ディ・ドリーム』は、世間の常識が一切通用しない魔境だ。

 

 責任者である店長からして常軌を逸した奇人だったりする。

 

 近年下降線を辿る『ディ・ドリーム世田谷店』の立て直しの切り札が、アイドル企画だというのが、まずよくわからない。

 

 そもそも普通の男子高校生のわたしに、膝上25センチ強のプリーツスカートを履かせて接客させるのはおかしい。

 

 また、わたしの親友望月楓の姉、望月加恋もかなりイっちゃってる。

 

 職場に来た時点で、大体酒臭い。

 

 ハイテンションのままで、陽気に抱き付いてきたかと思えば、突然大人しくなりスタッフルームの隅で沈んでいたりと、かなり情緒不安定。

 

 だけどアイドルレッスン時は、何故かダンスがキレキレで輝いている。

 

 ……たまにスタジオ裏で嘔吐しているけど。

 

 そして夏季限定バイトに入った佐竹葵ちゃん。

 

 接客が抜群にうまい。また自身のかわいさを最大限に活かせる方法を知っている。

 

 当然、男性客受けも抜群だけど、本人は男性が苦手らしい。

 

 アイドル企画に合わせて開設したSNS『Throughterスルーター』アカウントのフォロワー数は既にわたしの3倍だ。

 

 そして、今はわたしの背中に抱き付き、何故かお客様として来た楓と前園に喧嘩を売っている。

  

 「あなたたちがカスミン先輩の元カノですか? 残念ですが、カスミン先輩の今カノはわたしです。先輩は日頃から昔の女がうざい、うっとおしいと言っています」

 

 葵ちゃん、わたしはそんな事を一度も言ってないよね!?

 あと、いつからわたしのカノジョになったの?

  

 「緒方、この子誰? やたら噛みついてくるんだけど? オレ達が元カノだぁ? ちょっとつらを貸せや」


 「きゃ~先輩怖いですぅ~粗暴なヤンキーが絡んできますぅ。助けて下さい~」

 

 これ以上ないくらい、わざとらしく怖がる葵ちゃんは前園を煽りながら、わたしの背中にモニュっとした柔らかな胸元を押し付けてくる。

 

 ダメだよ葵ちゃん……カスミンじゃない眠れるけだもののもう一人のわたしが目を覚ますから。


 前から思っていましたが、小柄なのに本当にご立派なものをお持ちですよね。

 身体のラインが強調される夏ユニフォームも手伝って、見た目もえっちぃです。でも最高です。うへへへっ。

 

 「んだとぉ? 誰がヤンキーだぁコラぁ!?」

 

 普段は穏やかな前園が、めずらしくブチ切れして、ヤンキーお凛ちゃん化している。

 

 隣の楓はどうかと言うと……。

 

 「カスミがカスミンで、カスミンがカスミ、カスミンはかわいい女の子で、お化粧をしてプリーツスカートを履いてて、はははは……そっか女の子だったんだカスミン」

 

 わたしの女装姿が強烈過ぎたのかショックを受け、絶賛ゲシュタルト崩壊中だ。

 

 そのため葵ちゃんからの集中砲火は、全て前園が浴びている。

 

 あれ……どうしてこうなった?

 この不毛な戦いは何?


 店中の注目が集まっているし、早くこの騒ぎを収めないと。

 

 「葵ちゃん聞いて、前園さんはわたしの大切な友達で」

 「緒方、今はオレがカノジョだろ、はっきり言ってやれ」 

 

 わぁーーっ!

 

 前園のパリ行き問題が片付くまで、わたしはカレシorカノジョ役になっているけど、今この場でそれを言うの!? 楓がすぐ横にいるんだよ?

 

 「凛ちゃんがカスミのカノジョ? じゃあすずちゃんは? でもリナちゃんや赤城さんもいるし……そうか皆カスミのカノジョなんだ、うふふふふ皆仲良し、わーい」

 

 視点の定まらない瞳のまま、うわ言の様にぶつぶつと言っている。

 楓の崩壊が止まらない。

 

 でも助かったかもしれない。ブチ切れた楓は、さくらに匹敵する武闘派だから葵ちゃんがタダでは済まない。よし……今のうちに和解させないと。

  

 「前園さん……こっちの葵ちゃんは、最近入ったバイト仲間で」


 「カスミン先輩とは毎日一緒に汗を流し合う、とろける蜂蜜の様に濃密な関係です。ねぇ先輩」

 

 「緒方どういう事?」

 

 葵ちゃん――!?

 それ、ダンスレッスンで一緒に汗を流しているって意味だよね!?

 

 多分、前園は違う意味でとらえているよ!

  

 「カスミンは蜂蜜……ホットケーキに掛けたら美味しいかも、あははは」

 

 悲報……親友の楓さんは、完全に逝ってしまわれた。

 姉の加恋さんにどう説明しよう。

 

 ……ってあれ? 加恋さんはどこへ?

 

 あの人なら前園にも葵ちゃんにもどちらにも顔が利くはず。

 すぐにこの場を収められる。

 

 「あ、カスミン先輩、言うのを忘れていましたが加恋さんが、お酒が抜けなくて辛いと、先ほど早退されました」

 

 えーー!?

 聞いてないよ加恋さん! 

 戻ってきて、今はあなたが必要です。

 

 「とにかく緒方はわたしたちのだから、ただのバイト仲間の君には渡さない」


 「その言葉をそっくりそのままお返しします。カスミン先輩とわたしは、もう後戻りできないただれた関係です。諦めてください」

 

 「ただれた関係……ホットケーキに蜂蜜をかけると、とろとろになるよね……ははは……とっても美味しそうにゅ」

 

 あぁ……壊れてしまった楓さんがあまりにも哀しい。

 ホットケーキに固執している理由がわからないけど。


 「嫌だね」

 

 だが前園も一歩も引かない。

 

 「そうですか。ではこうしましょう。わたしとカスミン先輩、あと加恋さんは、三人でアイドルユニットを組んでいて、近くライブをやります。おふたりにもライブに出演してもらい、わたしたちと対決してもらいます。もし前園さんとそちらの楓さんが、わたし達に勝ったら、熨斗のしを付けて先輩をお渡しします。でもわたし達が勝ったら……言わなくてもわかりますよね?」

 

 前園は一瞬目を見開いたが、すぐに余裕の笑顔を浮かべる。

 

 「いいの? これでもオレは元芸能人だよ。ダンスも歌もレッスンを受けてたし、端役はやくだけどミュージカルに出た事もある。悪いけど絶対に負けない」


 「元ですよね? 今頑張っているわたし達が負ける道理がないです」

 

 「ずいぶんと強気だね。気に入ったよ」

 「わたしもです。でも先輩は譲りません」

 

 ふたりの美少女がバチバチと激しく火花を散らす。

 

 この少年バトル漫画みたいな熱い展開は何?



 

 話の付いた前園と葵ちゃんは、互いの矛を収め、ディ・ドリームにはようやく静寂が訪れた。

  

 「それにしても緒方、かわいいなぁ」

 「ありがとう前園」

 

 「わーいかわいいにゅ」

 「もかわいいにゅ」

 

 「えへへっ」

 

 過度な精神的ショックで、一時的に幼児退行した楓が嬉しそうに笑む。

 

 正気に戻ったら、楓も巻き込まれた事を説明しないと。前園と一緒にアイドルになって、わたし達とライブで対決する事になったからよろしくと。


 こんなの説明できない。 

 どうしよう……。


 この『ディ・ドリーム7月20日舌禍事件』は、たまたま店内にいたお客様が、SNSに書き込みした事で話題になり、わたしや加恋さん、葵ちゃんの『Throughter』のフォロワー数は、一週間後にはそれぞれ10倍から20倍にもなった。

 

 こうしてカフェレストラン『ディ・ドリーム世田谷店』の命運をかけたアイドル企画は、白花学園高等部天使同盟二翼も飲み込み、さらに混沌として行く。 

  

 だけどこの舌禍事件はそもそも茶番であり、全ては店長の用意したシナリオだった事が、ライブ対決後に発覚する。

 

 でもそれは別の話……。

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