第162羽♡ 走れ!少年少女


 『おはようカスミ、今日もやることがあるから先に登校するね』

 

 RIMEに届いた楓からのメッセージを見て思わずため息が出る。

 

 一晩経てば、元通りになる事を期待していた。

 だが甘い目論見は早くも崩れ去った。

 

 『了解』

 

 たった二文字だけのメッセージを渋々送り返す。

  

 聞きたい事は沢山ある。

 でも嫌われたくないからこれ以上は書けない。


 楓は何を考える?

 どうして俺を避ける?

  

 

 ――7月20日金曜日

 

 一学期最終日の今日、俺は昨日と同じように一人で登校する。

 

 カノジョのいない男子高校生が一人で登校するのは普通の事で、むしろ今までが恵まれ過ぎていたのだろう。

 

 自然と楓の左手といつも繋がっていた右手ばかりを見てしまう。

 このまま疎遠になり、この先ずっと話さなくなったとしたら俺は……。

 

 ――いかん。

 どうにもネガティブ・スパイラルから抜け出せない。

 

 つまらない事をいくら考えたところで、答えは出せないのに。

  

 「はぁ」 

 

 何度目かわからない溜息が出る。

 今日も吸い込まれそうな夏空が広がるのに、俺だけはどこまでも灰色……。

 

 「あれ~どうした少年、君も睡眠不足かな?」

 

 耳元に届いた声の方角へ振り向く前に、細く白い指が俺の視界を奪う。

 

 「だ~れだ?」

 

 「リナ」

 「ブー」

 

 「さくら」

 「ブッブー」

 

 「宮姫」

 「ブー」

 

 「北川さん」

 「ブー」

 

 「わかった、風見さんだ」

 「……緒方、わざと間違えているだろ?」

 

 「そんなことないぞ前園」

 「やっぱ、わかってるじゃん」


 目を隠したところで、間違えようがない。


 俺はいつも机に伏せたままで、前園と話をしている。

 見えないという点では、いつもと同じだし。

 

 白い指はスルリとほどけて、夏服に身を包む銀色の妖精は今日も少年の様な笑顔を浮かべ姿を現す。スラリと伸びるしなやかな肢体と、夏に不向きな真っ白な肌、色の薄い金髪は、日光に照らされ銀色に輝き、そして吸いこまれそうになる深い蒼の瞳が俺を見つめる。

 

 「どうかしたか?」

 「いや……何でもない」

 

 安易にかわいいとか綺麗とか言うべきではない。

 いざという時の説得力がなくなるし。

 

 「ふーん、まぁいいか」

 「昨日眠れなかったのか?」

 

 「あぁちょっとな、この先の事を考えていたら遅い時間になってた」


 前園は日本に残るか、パリに行くか今が正念場だ。

 枕元で色々考えてしまうのは仕方ないだろう。


 「体調が悪かったら、無理はするなよ」

  

 「ありがと、でも大丈夫だよ。今日は終業式があるから授業が短いし……でも面倒な打ち合わせがあるのが難点かな」

 

 「打ち合わせって?」

 

 「白花祭で天使同盟の出し物を何にするか」

 「……あぁあれか」

 

 出来るだけ素っ気なく言ったが、前園の口から『天使同盟』というワードにはやはり緊張する。もっとも白花祭での天使同盟の活動は、学園の伝統行事だから怪しいものではない。

 

 「早く終わると良いなぁ、長いと絶対に眠くなるよ」

 

 憮然とした表情で前園が呟く。


 「打ち合わせには、2年と3年の人も含め天使同盟12人全員が出席するんだろ?」

 

 「どうかな。声は掛かっているだろうけど、部活組は夏の大会期間中だからほとんど来ないかも。1年もさくら、妹ちゃん、あとすずすけも時間的に難しそう」

 

 「確かに」


 今日、リナとさくらの女子サッカー部はインターハイ予選の二回戦がある。宮姫の女子バスケ部も同様に試合だ。三人とも恐らく学園に戻ってくるだろうけど、何時になるかはわからない。


 「オレと楓だけ参加だと暇だと思われて嫌だな、2年、3年の先輩達も全員欠席で誰も来なかったりして」

 

 「さすがにそれはないだろ、確か生徒会長とか文化部所属の先輩もいたはず」


 宮姫に以前教えてもらったから、非公式生徒会から氏名が公開されていない『群青の天使』以外の11人の簡単な素性程度なら知っている。


 「とりあえず今日は顔合わせで終わるのを期待するよ……ところで楓はどうした?」


 「用があるから先に行くって」

 

 「楓が緒方を置いていったって事? 喧嘩になるような事をしたのか? 例えばブラかパンツを無理やり奪い取ったとか」


 「してません、昨日はすみませんでした」

 

 せっかく記憶の底に封印していたのに、昨日うっかり掴み取ってしまった前園の空色おブラが脳内で再生される。

 

 宮姫の強烈ビンタでお仕置きされてしまったが、ダメージと引き換えに素晴らしい空色の景色を記憶に留めることだけは死守した。緒方脳内博物館で『前園さんのEカップおブラ』は、生涯展示される事だろう。

 

 「こっちこそごめん、緒方に頼む事じゃなかったよな」

 「いや、俺がちゃんと断れば良かった」


 「背中に手を回してホックを留めるのが苦手なんだ……」


 少し恥ずかしそうに前園は云う。

 何でも器用にこなす前園でも苦手なことがあるらしい。

 

 カスミンの時でも、さすがにブラはしていないからホックを留める難しさはわからないけど。

 

 あれ?

 ひょっとして俺も装備した方が良いのか聖なるおブラを?

 

 ――いやいやいや、ない絶対ない。

 これ以上男の娘道を探求すると戻れなくなりそう。

 

 だけど、カスミンとしてのは興味津々だったりする。

 ノーブラのせいで、はしたない子だと思われるのは嫌。


 次のバイト代で買うか?


 だけど、どの面下げてランジェリーショップでかわいいブラジャーを下さいって言うんだ?


 うむ……。


 「楓は早々怒るような子じゃないだろ」


 「でも何かしらの理由で俺が機嫌を損ねたから、昨日からまともに顔も合わせてくれないのだと思う」

 

 「それは困ったなぁ……オレが何とかしようか?」

 「え? 良いのか?」

 

 「緒方には、世話になりっぱなしだから少しは貸しを返さないと……それに楓の機嫌が悪いのは、オレも関係しているかもしれないし」

 

 「前園も楓と何かあったのか?」

 「何もないよ、だからこそ楓は面白くないと感じているかも」


 困ったという表情で苦笑いをする。

     

 「まぁ任せておけ、でもさ……今はオレが緒方のカノジョ役だってことを忘れないで欲しいな」


 「あぁ」

 

 前園のお家騒動が収まるまでカレシ役は継続だ。

 でもカレシの俺はカノジョな前園に何をすれば良いのだろう。

 

 「早く学校に行こうぜ、きっと楓が待っているから」

 「え?」

 

 前園は突然、俺の右手を掴むとそのまま走り出した。

  

 「うわっ、ちょっと待てよ……

 

 初めて名前で呼んだカノジョさんはさらに加速していく。


 「やーだよ」


 前を走るその顔は見えない。

 だけど、底抜けの笑顔をしているに違いない。


 俺も今そうだから……。


 道行く人が俺達を見て振り返る。

 でもそんな事はどうでもいい。 

 

 今は止まりたくない。 

 このままどこまでも駆け抜けたい。


 七月の熱い太陽が変わらず俺達を焦がす。

 

 だけど、この心がカラカラに乾く事は決してない。

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