第148羽♡ 駅の片隅で
「あの宮姫さん」
「何?」
「僕らは今どこに向かっているのでしょうか?」
「羽田」
「つまり前園さんを迎えに行こうと?」
「何か文句ある?」
「いいえ、何も……」
俺の知っている宮姫すずは、真面目で大人しく決して声を荒げるようなことはしない。だが今日はやけにピリピリしている。
「緒方君、事の重大さをわかっている? お凛ちゃんがいなくなっちゃうかもしれないんだよ」
「そうですね……」
前園凜がフランスから今日帰国する。
9月からパリの学校へ転校する予定だったが、白花学園に残ることを選び、先週から親御さんを説得するために渡仏していた。
日本に残ることは前園が高等部卒業まで一人暮らしをすることになる。
しかし親御さんが一人暮らしを了承せず、困った前園は苦肉の策として最近できたカレシと別れたくないから日本を離れないと告げたらしい。すると親御さんが急遽休みを取り、日本で前園凛のカレシこと俺に会うことになった。
……改めて考えると確かに俺の責任重大だ。
しくじれば前園はパリに行ってしまう。
もう少し緊張感を持った方が良いのかもしれない。
前園を空港まで迎えに行くことは俺も考えた。
だが羽田への到着が夜遅くなるからと本人に断られてしまった。
そして迎えた今日7月18日水曜日、バイトを終えた俺はそそくさと帰宅するはずだったが、ディ・ドリーム出口付近に一度帰宅したであろう私服姿の宮姫がスタンバっていた。
時刻は午後7時を回っていたが外はじめっとした暑さが残っている。
今日は加恋さんと葵ちゃんが休みだったから、ディ・ドリームの中で待っててもらっても良かったのだけど。
宮姫に言われるがまま一緒に新宿経由で品川に向かい、品川から更に私鉄に乗り換え羽田に向かう。俺達の住む世田谷付近からだと羽田は乗り継ぎが多く、同じ都内でもアクセスが良いとは言えない。
黄緑色でお馴染みの山の足線に揺られながら隣で吊革を掴む宮姫に目を向けると、やや疲れた顔をしている。
今日は女子バスケ部のインターハイ予選の試合があったはずで、学園内では一度も宮姫を見かけなかった。
「なぁ宮姫」
「何?」
混み合う電車の中なので迷惑にならない様に小声で話しかける。
「俺は前園のカレシって設定になっている。宮姫は俺に合わせてくれるってことだよな?」
「うん……でもお凛ちゃんには絶対に変な事をしないでね」
「親御さんの前で変な事なんてする訳ないだろ」
「……わたしとふたりきりの時はたまにするよね」
全く信用していませんと言う視線を俺に向けてくる。
「それはマジでごめん」
「いいよ……幼馴染だし」
幼馴染でもやっても大丈夫な事といけないことは当然ある。
そして俺がこれまでやったことは大丈夫なラインを超えている。
場の雰囲気に呑まれたとしても言い訳できない。
そして前園とも一度だけだが中尾山に行った時に、ラインを超えた事があった。
……無かったことにすることで話は落ち着いたけど。
「ねぇ……お凛ちゃんの事、どう思っているの?」
「もちろん大切な友達だよ」
「あの子は誰とでも仲良くなれるけど誰も本気で好きにならない……わたしはそう思っていた。でも実際は違ったの。お凛ちゃんも普通の女の子なんだよ……だからね、ちゃんと考えてあげてほしい」
『少しだけでいいから考えてくれないか』
中尾山から帰ってきた後、第二校舎の螺旋階段下で前園もそんなことを言っていた。
わかっている……前園の事はちゃんと考えないといけない。
でもその気持ちに応えたら、俺は宮姫と今の関係ではいられなくなる。
『それなのにわたしは好きなの……緒方君もかーくんも……どうかしているよね』
諸事情で授業をサボることになり、空き教室で宮姫と溺れるようなキスをしたあの日からまだ二日しか経っていない。
……どうかしているとしたら、それは宮姫ではなく俺の方だ。
恐らく今この瞬間も俺は宮姫を傷つけている。
いや、さくらや楓やリナも傷つけているかもしれない。
でも他に方法がない。
少なくても7月31日までは……。
「今日のノルマはまだだったね……次の乗り換え駅で良いかな?」
「駅だとあまり死角がないし誰かに見られるかも」
「知らない人に見られるくらいなら別にいいよ……緒方君は嫌?」
熱を帯びて、とろんとした琥珀色の瞳が俺を見つめる。
それだけで俺は動悸が止まらなくなる……。
ノルマは仕方ない。
でも……
「宮姫がキスをしているところを誰かに見られたくない」
「……まだ、わたしのこと思ってくれるんだ。ありがとうかーくん」
違う、俺はただ宮姫すずを独占したいだけで……ちゃんと思っているわけではない。
結局、品川駅の片隅で俺達はキスを交わした。
この後、前園に会いに行くのに……
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