第141羽♡ 飛べない小鳥

  

 初めて会った日のことは覚えていない。

 俺もすーちゃんも物心がつく前だったから。

 

 憶えているのは、ふたりとも両親の迎えが遅く、いつもギリギリまで保育園に残っていたこと。

 

 互いの名前が上手く呼べなかったから、子供でも言いやすい『かーくん』と『すーちゃん』になったこと。

  

 すーちゃんの家から徒歩5分ほどにある賃貸アパートに住んでいたため、ご近所さんだったこと。

 

 母さんは入退院を繰り返しており、ある日『すぐに退院するから』と告げ、いつもの大学病院に向かい、そのまま虹の向こうに行ってしまったこと……。

 

 親父は仕事に追われ、寝る間も惜しんで働いていたこと。

 

 だから小学校入学前に親戚の家に預けられた時は、一人になり寂しいという気持ちより、仕方ないという諦めの気持ちが強かった。

 

 心残りは、すーちゃんにさよならを伝えられなかったこと。

 

 本来なら一度離れれば再会することは難しい。

 

 ところがすーちゃんと俺は高校に進学した15歳の春、10年ぶりに再会することとなった。


  

 ◇ ◆ ◇ ◆

 

 エリーのペースに合わせゆっくりと散歩していた俺達は、すーちゃんの家から徒歩10分ほどにある区営公園に辿り着いた。

 

 園内にはブランコや滑り台などの遊具の他に、円形の芝生スペースがある。


 休日は近隣住民にとっての憩いの場であり、人が多かったイメージがある。

 だけど平日の朝なので、ジョギングや体操している人がちらほらいる程度だ。

 

 俺達は公園のはずれにある大きな栗の木陰にレジャーシートを敷き、休憩することにした。

 

 「朝でも暑いね」

 「そうだなぁ、エリーも暑そうだし」

 

 クリーム色の毛は長く、とても暑そうに見える。

  

 「エリちゃんはかーくんにべったりだね」

 「人懐っこいからなぁ」

 

 「そうでもないよ。むしろ神経質な子なの、特に男の人には」

 「ひょっとして俺は男に見えてないとか?」

 

 「そうかもね……カスミ君というより、素顔はカスミちゃんって感じだし」

 「バイトの時はともかく、普段の俺は普通の男子高校生してるだろ!?」

 

 「ううん全然」

 

 すーちゃんは口に手を当てて笑う。

 

 「でもエリちゃんが懐くのは大好きなかーくんだからだよ。昔も仲良かったでしょ」

 「確かにこんな感じだったかも」

 

 「……かーくんが戻ってくるのを待ってたんだよ」

 「そっかぁ……エリーただいま」

 

 「……くぅん」

  

 エリーは子犬の様な声を出す。

 ボーダー・コリーはとても頭が良い犬種らしい。

 その視線も思慮深そうに感じる。

 

 「良かったねエリちゃん」

  

 「すーちゃんもその……ただいま」

 「おかえりかーくん」

 

 「順序があべこべになっちゃったな、引っ越す前に何も言えなくてごめん」

 

 「……今はね、かーくんが引っ越した理由も知ってるからいいよ、あの頃は卒園した後も同じ小学校に行くと思ってたから、寂しかったな」

  

 「俺もすーちゃんと会えなくなるとは思ってなかった。引っ越した後もずっと頭に引っかかってた」

 

 「そう……なら嬉しいな。でもわたしの知らないところで、リナちゃんと楽しく暮してたのはちょっと妬けるかな」

 

 「楽しかったのは事実だけど、急に妹ができたから大変だったよ。でもリナがいたから救われたところもあるかな」

 

 「良い子だよねリナちゃん。いつも自分の気持ちに正直で……わたしもリナちゃんみたいにかーくんのそばにいたかったな」


 「……すーちゃん」


 胸が痛い……。


 思春期だったとか、何年も会っていないとか細かい事は気にせず、東京に戻った後、すぐに会いに行けば良かったかもしれない。

  

 「なんてね……中学に上がる頃にはのことはほとんど思い出さなくなってた。だから気にしないで」

 

 「……わかったよ

 

 ニコッと笑みを浮かべ、これまでの発言のほとんどを否定する。

 幼馴染のすーちゃんは同級生の宮姫に戻ってしまった。

  

 でも……

 

 「なぁ一つだけいいか?」

 「何かな?」

 

 「どうしたら俺のことを許してくれる?」

 

 四月の渋谷事件がきっかけで再び宮姫と関わるようになった時も、五月に堕天使遊戯が始まり協力関係となった後も、事あるごとに宮姫は俺のことを許さないと告げ、これまで俺達は一定の距離をとってきた。

 

 「緒方君がお凛ちゃん以外の女の子を選んだら許しても良いよ」

 「選ぶも何も……前園は大切な友達だと思っているから、それ以上はないよ」

 

 「……それでも緒方君はこの先、お凛ちゃんに惹かれると思う」

 

 前園凛は素敵な女の子だ……だけど宮姫がなぜそんなことを言うのかわからない。

   

 「もし俺が前園ではなく、宮姫を好きになったら?」

 

 一瞬驚いた顔をした後、苦々しい笑顔を浮かべる。

  

 「その時は……ごめんなさいするかな。わたしには好きな人がいるし」

 

 宮姫すずの好きな人が前園凜で

 俺が選んではいけない相手も前園凜で

 数日後に偽カレシカノジョをやる相手も前園凜で


 俺がいずれ惹かれる相手も前園凛らしい……。

 

 つまり前園は今は恋敵で、いずれ俺が好きと宮姫は言うのだ。

 何ともややこしいし、絶対にそんなことはあり得ない。

 

 「そっか、ごめんもう一つだけ教えてくれ……小鳥はどうしたら自由に飛べる?」

 

 「それはなぞなぞかな? ……誰かが小鳥の翼になれば良いんじゃないかな。さてと、そろそろ部活の朝練あるから帰らないと」

  

 スマホで時刻を確認した宮姫が、エリーとの散歩時間の終わりを告げる。

 

 「ワンワン!」


 つぶらでキラキラした瞳は俺を見つめている。

 がんばれって俺を応援してくれているみたいだ……。

  

 「ワンワンワン!」

 「ありがとうエリー……」

 

 クリーム色の背中をできるだけ優しく撫でる。

  

 「エリちゃんがどうかした?」

 「いや……なんでもない。じゃあ戻ろう」

 

 天使同盟一翼『癒しの天使』宮姫すずは、非公式生徒会に言動を制限されている。

 

 制限の中には俺に関わることが含まれている可能性が高い。


 では非公式生徒会は過去、俺に最も距離が近い存在だった宮姫にどんな制限をかけたのか?

 

 「なぁ宮姫、この後一緒に登校しても良いか?」

 「良いよ、でもふたりで自転車には乗れないし、バスで良ければ」

 

 「冷房の効いたバスの中は快適そう」

 「確かにそうだね」

 

 宮姫の言うことに本音でないものはどのくらい含まれているのだろう。


 「今日のはまだだったな」

 「ここだと誰かに見られちゃから学校でいい?」


 「あぁ……」

 

 本音がどこにあるか分からなくても、今日も俺と宮姫は辛うじて繋がっている。

 

 だからすーちゃんにもまだ届くはずだ……

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