第139羽♡ おはよう幼馴染


 ――7月17日火曜日午前5時過ぎ。


 いつもなら家でリナや親父の弁当を作っている時間だが、今日は宮姫と犬の散歩のために既に外出している。


 外が暗いと言う事はない。

 それどころかこの時間でも日中のように明るくて、やや蒸し暑い……。

 

 街路樹からはアブラゼミの声も聞こえる。

 いよいよ夏本番と言う感じだ。

 

 休みになれば海とか山に行くのも良いけど、気温が35度を超えると元気に遊ぶのは難しい。

 

 そもそも俺の様な陰キャは太陽に照らされると、吸血鬼のように浄化されてしまう。 


 いや、結局のところ陰キャだろうが陽キャだろうが、夏は涼しい部屋でジュースを飲みながら、据え置きゲーム機でのんびりと一昔前のRPGをプレーするのが最高の過ごし方だと思う。

 

 VODビデオ・オン・デマンドでアニメワンクールの一気見も捨てがたい。

 

 だけど今年はそうはならなさそうだ。

 アイドル活動のためのレッスンがあるから。

 

 昨日からダンスレッスンと並行してボイストレーニングが始まった。

 詳しくは聞いていないが、楽曲は全てオリジナルのものを用意しているらしい。

 

 このアイドル企画は思いのほかガチだ。


 メンバーの俺、葵ちゃん、加恋さんのレッスン料だけで結構な金額が掛かってるはず。企画立案者の店長、恐るべし……。

 

 でもこれだけやってライブにお客さんが入らなかったらどうなる?

 そう考えると物凄く怖い。


 まさか赤字が出たらバイト代で補填しろとか言わないよね?

 そこまでブラックじゃないと信じたい。

 

 そう言えばまだグループ名を聞いてなかったな。

 『カスミンとゆかいな仲間たち』とかかな?


 でも俺の見立てでは、ダンス、歌唱力、ルックスなどでトータルバランスが一番良いのは葵ちゃんだ。となると『葵ちゃんとゆかいな仲間たち』か。


 ……などとくだらないことを考えている内に、宮姫家に到着した。

 

 早朝なので呼出チャイムは使わない。

 宮姫には五分ほど前にRIMEで『そろそろ着く』と連絡している。

 

 だけど……肝心の宮姫が中々出てこない。

 ひょっとして寝坊したのか?

 

 でもさっき送ったRIMEメッセージは既読になっている。

 一読してまた寝落ちしたとか……。

 

 可能性としてはゼロではないけど、しっかり者の宮姫がそんな失敗をするとは思えない。

 

 もう一度RIMEを送ろうとしたその時――。

 

 「すーちゃんのケチ! ママも大きくなったかーくんを見たい――!」

 「ちょっとママ手を引っ張らないで! 時間がないって言ってるでしょ!」

 

 「すーちゃん! パパもかーくんを見たいよ。すーちゃんを任せていい男なのか気になる!」

 

 「パパも何言ってるの? エリちゃんの散歩するだけなんだから任せていいに決まってるでしょ!」

 

 「ワンワン!」

 「エリちゃんまだ朝早いから吠えちゃダメ!」

 

 ……白亜の住宅から宮姫本人とその家族の賑やかな声がする。

 

 「だってすーちゃん大きくなったら、かーくんのお嫁さんになるって言ってたじゃない」

 

 「そんな子供の頃の話は止めてよ! かーくんに聞こえたらどうするの!?」

 

 ……すみません。ばっちり聞こえてます。

 

 「でもすーちゃんはかーくんと寄りを戻したからデートなんだろ? パパもママも心配なんだよ!」

 

 「デートじゃない! 寄りを戻すも何も最初から付き合ってないから!」

 

 「ワンワン!」

 「エリちゃんも大人しくして!」 

 

 「でもすーちゃん、昨日からすごい気合い入れてデート準備したじゃない」

 

 「だから違う――! も、もう行くから! 絶対に顔を出さないでね! 行くよエリちゃん」

 

 宮姫家のドアがガチャリと開くと濃い青のマキシ丈ワンピース姿の宮姫と、見憶えあるクリーム色のボーダーコリーが飛び出してきた。


 「おはよう」

 「どもー宮姫さん。ゴライアス緒方です」


 「……何言ってるの緒方君? ごめん朝の準備が少し手間取って」


 あなたが昨日、ボクのこととか言ってたじゃない!

 スベった上にスルーだなんて死ねるじゃない!


 「そうなんだ。まぁ仕方ないよ……」

  

 「ところで緒方君」

 「ん?」

 

 「ウチから何も聞こえなかったよね?」

 「あぁ、どうかしたのか?」

 

 「ううん何でもない、さっ行こう!」

 「おう」

 

 ぜーんぶ聞こえてても聞こえないっていうのが優しさだよね。

 とりあえず、すーちゃんママとすーちゃんパパが元気そうで何よりだ。

 

 最後に会ったのはだいぶ前だから、ふたりの顔はうろ覚えだけど。

 

 そしてエリーも……

 

 「ワンワン」

 

 俺が大きくなったからだろうか?

 記憶の中のエリーと比べると随分小さい。

 

 「よっエリー! 俺のこと憶えてるか? 今日はよろしくな」

 

 エリーはハァハァと息をしながらじっと俺を見ている。

 

 その後、俺の制服ズボンに鼻を寄せ、しばらくクンクンと匂いを嗅いだ後「ワン!」と返事する。

 

 「……ちゃんと覚えていたんだね」

 

 リードを見つめながら宮姫……いや、幼馴染のすーちゃんは優しい笑みを浮かべる。


 ――その笑顔は知ってる。

 

 緒方霞がまだだった頃、一番大切にしていたものだから。 


 そうか……

 俺はようやく戻って来たんだ。

  

 幼馴染のすーちゃんにもう一度出会うために。

 誰よりも大切だった女の子との答えを出すために。

 

 10年の時をかけて……

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