第115羽♡ はじめての夫婦ライフ(#5 ふたりで通学)


 朝食を食べ終えた俺たちのスケジュールはさくらは午前8時から11時までの3時間女子サッカー部の練習。俺は午後12時から午後4時間まで学校そばのカフェレストランでバイトがある。


 今、俺とさくらは電車で学園に向かっている。

 バイトが始まる時間までは適当な場所でさくらの練習風景を眺めることになる。ついでにリナも。


 さくらからはプレーに問題点があれば後で指摘して欲しいと頼まれている。夏の大会は来週からで最終調整段階だが、ギリギリまで直せるところは直したいとのこと。

 

 俺は一応サッカー経験者だけど、二年も前に辞めてて勘が鈍ってるし、力になれるかは正直微妙だ。ただ技術的観点でなくても客観的な印象でも良いとさくらには言われてる。

  

 あと今日からバイト先の仕事内容が変わる。最初の三時間はいつものようにカフェレストラン内で働くけど、残り一時間はアイドル活動のための下準備として近くのスタジオでのダンスレッスンを受ける。

 

 今のところ実感がなくて本当にやるのアイドル?って感じではある。


 そもそもカラオケに行ったことがないから人前で歌えるか心配だし、ダンスは小中学校の授業でかじった程度の経験しかない。

 

 アイドル企画自体が頓挫してくれないかなと思っている。でも企画責任者の店長がやる気満々だから、最後までやりきってしまいそう。俺はその熱量についていけるのだろうか。


 とりあえず仕事の一環だし、できる限りは……いや最低限は頑張ろう。


 とは言え俺はどれだけ黒歴史を積み重ねれば解放されるだろうか。

 冴えない男子高校生が人前でミニスカート履いて笑顔で歌って踊る。正直キツいを通り越して血反吐吐きそうだ。

 

 ところで……


 「なぁさくら今日はどうして電車移動なんだ?」

 

 普段さくらは学校まで車で送迎されている。

 学園のある世田谷区からさくらの自宅がある国立市は離れており、電車通学できないこともない。だが毎日学校以外では分単位でスケジュールをこなしているさくらには車で通学する方が楽だし効率的だろう。

 

 「電車で登校したことがないからやってみたくて」

 「おっ初めてなのか?」

 

 「えぇ、だからワクワクしてる」

 

 後車口そばの手すりに摑まるさくらは一見とても落ち着いている。

 だけど本人の言葉通りで、さくらにしてはめずらしくはしゃいでいるように見える。

 

 「そっか」

 

 大富豪の家に生まれたさくらは、世の中のほとんどの人より恵まれている。

 でも普通の高校生が当たり前にやっていることができるないし、苦労も沢山している。

 

 「誤解しないでね。別に電車通学を禁止されているわけではないから」

 

 さくらの両親は超が付くセレブだけど、俺の知る限り世間から感覚が大きくずれた人たちではない。仮にさくらが電車通学したいと言えば、護衛付きになると思うが恐らく了承してくれるだろう。

  

 「じゃあ来週からは電車通学とか?」

 「それはないわね。でも望月さんみたいにこうしてカスミ君と毎日通学できたらと思わなくもない」

 

 少し寂しそうな笑顔を浮かべる。

 そんなさくらを見ると胸が痛くなる……。

 

 「なぁさくら高校生のうちは、もう少し普通に過ごしても良いじゃないか? 仕事じゃなくて、もっと友達と遊んだり、放課後は女子同士でカフェで恋バナとか……」


 「それは楽しそうだけど遠慮しておくわ。わたしには責任があるし、仕事を投げて自分のことしかしなくなったら一緒に頑張ってくれる人たちに申し訳ない」

 

 表情は変わらず穏やかなまま。

 でもその瞳には覚悟の決めた強い光が宿っている。

 

 普通の高校生でしかない俺が知った風な口で言える立場じゃない。

 さくらは俺よりずっと大人で、まっすぐ前を見据えて歩みを進める。

 

 「もっともカスミ君がわたしの代わりになってくれるなら、カスミ君の言うになってもいいわ」

 「俺がさくらの代わりをできるわけないだろ」

 

 さくらと俺では天空に浮かぶ雲と、地中深くにあるマントルくらい差がある。

 そもそも日本中探してもさくらの代わりをできる高校生はいないかもしれない。

 

 「カスミ君が一人前になるまでわたしが秘書として支えるというのはどう?」

 「秘書が有能過ぎて、問題が発生する度に俺はさくらの顔色を伺うと思う」

 

 「大丈夫、わたしが厳しく指導するわ、というわけで誕生日会以降もうちに住み込みということで」


 急ピッチで決まる緒方霞の進路。おいおいちょっと待て!


 「いやいや明日には楓も家に帰っちゃうし、家事をやる人間がいなくなって緒方家がソッコー崩壊するわ。腹ペコ義妹もどきも餓死しちゃう」

 

 「じゃあリナも一緒に連れてくればいいわ、あの子は住み込みメイドとしてこき使ってあげる。くっくっく」


 さくらたんが怪しい笑みを浮かべている。本人が知らないところで、うちのかわいい義妹もどきが大ピンチだ。

 

 「あの……さくらさんいつものお嬢様って感じじゃなくて、ガチの悪役令嬢っぽいです。でもそんな悪役令嬢さくらさんもある日、追放ざまぁされるかもしれません。あいつは勉強以外は頭が回るし、血に飢えたケモノだから取り扱い注意」


 噛みつくし、引っ掻くし、奇声を発する。そしてもきゅもきゅよく食べる。


 でもかわいい、とにかくかわいい。昨夜お泊りしたため、お世話ができなかったから兄ちゃんは寂しいです。

 

 「あらそれは気を付けないとね。でもわたしが追放ざまぁされるとしてカスミ君はわたしについてきてくれるのかしら」

 

 「もちろんと言いところだけど、それだと妹を見捨てるってことになるな」

 

 「わたしたちに板挟みね」

 「正直きつい、俺としてはふたりが争うことなく、いつまでも笑っててほしいし」

 

 「……わたしもできることならそうしたい。だけどわたしもリナも恐らく無理ね。いずれは互いに牙を向ける日が来る。理由は聞かないでほしいわ」

 

 切れ長の瞳に冷たい光が宿る。

 初夏の蒸し暑さが吹っ飛び、気温が一気に氷点下まで下がった気がした。

 

 聞かない。

 いや……聞けない。

 

 そして憐れむようにさくらは俺を見る。

 少し前までくだらない話をしてたはずなのに俺は緊張している。

 

 それでも後車口そばに立つフィアンセは先ほどと変わらず楽しそうに見える。

 

 まるでこの先に訪れる運命が受け入れる覚悟がとっくにできていてむしろその日を心待ちにしているように……。

 

 俺は何も選べない。


 新宿駅に到着した俺は、下車時にさくらの手を掴むと大田急線に乗り換えた。

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