第79羽♡ 楓七変化(バージョン6:バスタオル)


「わたしの髪を乾かしてもらってもいいかな……」


 胸元に白いバスタオル巻き付けただけの楓が少し潤んだ瞳で俺に懇願してくる。

  

「あぁわかった」


 髪を乾かす……そっちに集中しろ俺、余計なことは考えるな。

 

 洗面所の椅子に楓を座らせ、まだ濡れた重たい髪に触れる。

 できるだけ優しく手のひら押さえ、少しずつ水分を絞り洗面所に落としていく。

 

「毛先とか痛くないか?」

「うん、大丈夫」 


 必要以上に力を入れていないつもりだけど、さじ加減は難しい。

 

 ある程度水滴を落とした後。タオルを頭の上に押せ、ポンポンと軽く押すようなイメージで水分を吸収させる。

 

「アウトバストリートメントは使ってる?」

「洗面台横のトレイの左から二番目の透明なガラス瓶」


 アウトバストリートメントはドライヤーの熱から守るために使うものだ。

 適量を手のひらに取り、髪の毛に揉み込むようにムラなく馴染ませていく。

 

「ぁん」


 楓から小さな声が漏れる。

 

「ごめん……どっかひっかかったか?」

「違う。ちょっとだけ気持ち良かったから」


 楓はバスタオル一枚のみ。

 どうにも刺激的な響きになる。

 

 いけない――

 楓の発言に深い意味はない。

 だから変なこと考えるな俺。

 

 楓はたまたまタオル一枚なだけ

 たまたまタオル一枚だけ

 たまたまタオル一枚

 タオルの下は……当然ハダカ、すっぽんぽん

 

 う――ん

 やっぱ今の状況かなりヤバくない?

 

 よこしまな気持ちを捨てるため自己暗示をかけようとしても全く上手くいかない。

 

 手際よく終わらせて早く楓には着替えてもらおう。

 

 下ごしらえが終わったため、ドライヤーの温風で髪の毛が跳ねない様に注意し手櫛を通しながら乾かす。


 しばらくはドライヤーの『ウィーン』というモーター音だけが響く。

 

 最後に冷風に切り替え、キューティクルを引き締める。

 一本一本丁寧に整えていくと、絹のようにコシのある黒髪は天使の輪が浮かび上がり輝いている。


 黒髪ロングってやっぱりいい――日本女性が世界に誇るべき美だと俺は思う。


 と言うわけで髪は無事に完了。

 次に化粧水、乳液を順に顔と首元に馴染ませていく。

 

「リナちゃんにはいつもここまでやってるの?」

「いつもじゃないよ、でもほっとくとリナがサボるから定期的に」


「お兄ちゃんがやってくれるからサボりたくなるんだよ。リナちゃんもカスミから離れられなくなるし」


「リナにかまい過ぎってことか?」

「そう」


「やっぱ俺が妹離れしないとダメなのか……」

「カスミには無理でしょ」


「そうなんだよな。何だかんだ言ってかわいいからなウチの妹」



 前略 義妹もどきリナ様へ

 

 シスコンでごめんね。

 でも止めるつもりないから。

 生涯一シスコンとして人生を全うするから。


 これからも頑張るからピーマンと玉ねぎも残さず食べてね。

 

                  妹が大好きな愚兄より



「……ねぇカスミ少しだけ嫌なことを言っていいかな?」

「あぁ、今日は元々楓が俺を好きにして良い一日だし何でも聞くよ」


「ありがとう、わたしね……リナちゃんのことが苦手だった。わたしができないこと全部できちゃいそうで。四月にふたりで新宿に行った日のことを憶えてる?」

 

「楓の誕生日だったしもちろん憶えてるよ。リナとさくらが途中で合流したな」


「うん……あの日、リナちゃんが来たのはわたしがRIMEライムでけしかけたからなの。でも実際来たら恐くて仕方なかった。真っすぐで迷いがなくて」

 

 新宿でリナと楓が只ならぬ雰囲気となったあの日、あの場を鎮めたのはたまたま通りかかった前園で俺は何もできなかった。


「ところでカスミ」

「ん?」


「あのさ……こんな格好のわたしでもやっぱり何とも思わない?」

「思うけど思わない様にしてる」


「そっかぁごめん」

「頼むよ親友」


「……もうやらないよ」

「そうしてくれると助かる。残念だけど」


「残念なんだ……じゃあまたやろうかな」

「勘弁してくれよ身が持たないからさ、リップはどこだ?」


「洗面台の鏡の裏」

「あ、これか」


 鏡の裏を開けると収納スペースになっており、リップが置いてあった。


「姉さんが自分のがなくなると勝手に使うことがあるの」

「それは困るな」


「唇と唇がくっつくってことなのに」

「ちょっと恥ずかしいかもな」


「うん……女同士でもそういうの苦手」

「加恋さんは楓のことが大好きなんだよ」


「……うん。大切にしてくれてるのはわかってるつもり」


 今ではすっかり仲良し姉妹だけど、ふたりが家族になる過程は平坦ではなかった。

 楓の心には大きな傷があったから。

 

「じゃあリップ塗るぞ」

「……うん」


 目を閉じた楓はリップを塗りやすいように俺の方に顔を向ける。


 ……これってキス顔だよな。


 やばい――

 また余計なことを考えちゃいそう。 


 ササっとリップを塗り終えると楓が上下の唇をこすり合わせ馴染ませる。


「ありがとうカスミ……美容師さんとかメイクアップアーティストに向いてるかも」

「考えたことないけど、ちょっと面白そうだな」


 将来なりたいものがあるわけではないけど、どうせなるなら興味のあることが良い。

 

 でも美容師さんにしろメイクアップアーティストにしろ実際にやるとなれば大変な仕事だろう。 


 普段の俺はカフェレストランのアルバイトですらヒーヒー言ってるくらいだし。


「ところでカスミ」

「ん?」


「乳液やリップは少し恥ずかしいかも」

「あっすまん。いつもの癖で」


「いつもやってもらったら平気になるのかな……いいなぁリナちゃんは……色々してもらえて」

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