第50羽♡ 天使の罠

 

 前園凜とキスをしている……。


 頭の中に良くない考えが次々と浮かび、欲望のまま走り出したくなる。


 嬉しいのか悲しいのかどちらなのかもわからない。

 

 だけど次の判断を間違えると取り返しのつかないことになる気がする。

  

 今俺にできることは……。



 ――そうだ。それしかない。

 


 そっと前園の頬にできるだけ優しく手を触れ、次にゆっくりと唇を離す。

 

「あっ」

 

 彼女のわずかな声に合わせて目を開けるとその顔には戸惑いと不安が見える。

  

「ごめん緒方、こんなつもりじゃ……」


 全部言い終える前に、今度は俺が前園の口を塞ぐ。

 そしてどこにも逃げれないように強く抱きしめる。

 

 雨に打たれてた先ほどと同じように。


「ん……」


 驚きの表情と共に大きく開かれた瞳からは大雨が降られた時と同様にまた雫が落ちる。

 動けないその身体は徐々に力を失っていく……。

 

 自由に空を駆けていたはずの天使の白き翼は折れ、もう飛ぶことができない。


 後はどこまでも堕ちるだけ……。


 その時だった――。

 

「ふたりとも~お湯から上がったら、脱衣かごの浴衣を使ってね」


 脱衣所へと続くドアの隙間からこの温泉旅館の仲居さんの声がした。

 

「あ、は~い。ありがとうございます」

 

 キスを止め俺は慌てて返事をする。

 なんとか声を絞り出した。

 

「びっくりした……」


 ぽつりと前園が言う。

 

「あぁ」


「緒方お湯熱くないか?……そろそろ上がらないと湯あたりしそう」


「……そうだな」


 腕の中にまだ天使が収まったままだけど、そっと逃がす。


 良かった……色んな意味で。

 

◇◇◇


 下山途中に、天候が崩れたのは突然のことだった。


 変わりやすい山の天気のせいなのか、昨今多い異常気象によるゲリラ豪雨か、どちらが原因かはわからない。

 

 いずれにせよ、ぽつりぽつりと振り出した雨は、五分も経たないうちに視界五メートル程度の大雨となった。

 

 持っていた雨がっぱと天高く延びる大木の下でやり過ごそうとするけど、雨の勢いが凄すぎてどうににもならない。

 

 地面に落ちた雨は滝のように流れ、下手に歩くと泥濘ぬかるみにはまるため、雨が弱まるまでは下山は難しい。

 

 周囲には俺達以外誰もいない。

 空はさらに暗くなり、雷までなり始める。

 

 稲光が空を駆ける度に前園の顔色が悪くなっていく。


「前園大丈夫か?」

「だ、大丈夫、天気大変なことになったな~」 

 

「あぁ」


 一見平静を装っているけど、雨で濡れたせいだけでなく小刻みに震えている。

 どうみても大丈夫じゃない。


 学園内で、常に余裕に溢れ達観しているようにすら感じる前園が落雷音が響く度に、彼女の自信を一枚一枚剝し、最終的にはか弱い女の子だけのが残った。

 

「やだ……もう無理だよ!」

 

 ピカっと稲光が走り、そう遠くないところに落雷したと思われる激しい音が響くと、前園は耳を抑えたまま座り込み、とうとう泣き出してしまった。


 風、豪雨もどんどんと増して状況は悪化の一途を辿る。

 

「恐いよ! 助けて! ママどこ!?」

「前園、落ち着け大丈夫だから!」


 必死に声をかけるても半狂乱の前園には届かない。

 

「ねぇどこにいるの?……いつも一緒にいてくれるって約束したのにどうして!? お願いだから一人にしないで!」


「前園しっかりしろ!」


 そのまま覆うように座り込む前園を抱きしめる。

 躊躇ためらっている場合はじゃない。

 

 俺たちはただのクラスメイトにすぎないけど、こんな状態の前園を放っておけない。

 

 その間も雨と風は容赦なく俺たちを打ち続ける。

 できるだけ前園にそれらが当たらないようにする。

 

「大丈夫だから……お母さんも、も今はいないけど俺がそばにいる」


 彼女はただただ泣き続けた。

 俺も抱いている以外は何もできなかった。


 天候が回復するまでの一時間ほどの間、そのまま過ごした後、すっかり意気消沈した俺たちは手を繋ぎ無言のまま下山した。

 

 濡れねずみで、麓を歩いていると、たまたま通りかかった親切な地元温泉旅館の仲居さんに捕まり、そのまま客のいない露天風呂に押し込まれた。

  

 俺は、いつものマスクと雨に濡れて曇った花粉対策眼鏡を外し、素顔をさらしていたから女の子二人組と勘違いされたようだ。

 

 そしてふたりとも同じ貸切露天風呂に放り込まれた。

 

 こうして同級生男女で混浴するあり得ない状況が出来上がった。

 

◇◇◇


 温泉から上がった俺たちは、空き部屋を借りて休憩をする。


 元々客用の部屋だったが、現在は古くなったため繁盛期に短期アルバイトさんが使用しているらしい。


「ふぅ~温泉気持ち良かったな~」

「……そうだな」


 藍色の浴衣と紺色の半端はんてん姿の前園が窓側の椅子に座りくつろいでいる。

 湯上りで、まだ蒸気した白い肌と、髪をあげた襟足えりあしが妙に色っぽい。


 また浴衣の間から長く白い足が覗いている。


 俺と前園の濡れた衣類は現在仲良く洗濯中だ。


 変えがないため現在下着をつけていない。

 一時的とは言え、かなり際どい格好だったりする。


「どうだった?」

「何が?」


「オレの裸バッチリ見ただろ、男に見られたの初めてなんだけど」

「な……ちょっとしか見てないから」


「嘘つけ~それに見ただけでもないて言うか……」

「すいません。だいぶ見えちゃいました。あと触れてしまいました」


 もちろん、当初は何もしないつもりでいた。

 

 体を洗っている時は、離れた場所のシャワーを使ったし、同じ湯船に浸かるつもりもなかったけどタオルで前を隠した前園に手を引っ張られて、同じ露天風呂に入ることになった。

 

 その後湯船の中でやってしまったことは……ごめんなさいとしか言えない。 


「で? どう思った?」

「……とても綺麗だと思いました」


「それだけ?」

「ちょっとだけ……いえ、かなりえっちいと思いました」


「ふーん。男ってやっぱ女の裸が好きなんだ~何でだろ?」

「ボクにもわかりませんが本能ですかね……ははは」


「で……どの辺がえっちいと?」

「お胸とか腰回りとか……」


「……緒方のヘ・ン・タ・イ」

「すみません……ってか言わせるなよ! 忘れようとしてるのにまた思い出しちゃうだろうが!」


 いつまで続くのだろうこの地獄のような尋問。

 とても辛いです。心が砕けます。


「別に忘れなくても良いよ……でもまぁ責任は取ってもらうけど」

「はぃい~~~~!?」


「流石に何もなかったってわけにはいかないだろ、傷のついた果実と同じでオレはもう出荷できないし……このまま緒方のものにしてもらって、美味しく食べてもらうしか」


「まぁそうかもだけど……って食べねーよ!」


「え? ひょっとして味見しただけでポイ捨て? マジ?……それはあまりに酷い」

「そんなことはするか~!」


「じゃあかわいがってほしいな。代わりにオレ……わたしのこと、いつでも好きなようにして良いよ。緒方霞君」


 浴衣姿でいつもの着崩した制服姿以上に際どい格好の前園凜は、俺に危険な果実を食べるように進めてくる。


 このとてつもなく魅力的な提案をどうするの俺ぇ――!?

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