第35羽♡ 令嬢Sと謁見
「お待ちしておりました緒方様」
「こんばんは、桧山さんよろしくお願いします」
午後七時『ディ・ドリーム』でのアルバイトを終えた後、すぐそばで待機していた送迎車に乗り込む。
桧山さんは身なりの整った五十歳前後の紳士で、赤城さくらの専属従者であり護身術の師でもある。
素人の俺でも分かるくらい全くスキのない身構えをしている。
送迎車の行き先はフィアンセである赤城さくらの自宅。
今朝、さくらと話がしたいとRIMEで送ったメッセージの返事は一時間目の終わりに届いた。
内容は「アルバイトが終わったら家に来て」というもの。
さくらの一日は忙しい。
学校や部活の他に習い事だけでなく、経営者としての顔まである。
日によっては分単位のスケジュールになる。
だから俺がさくらに合わせる。
普段は婚約していると言ってもあまり実感はない。
去年の夏に偶然再会するまで三年も会っていなかった。
だけど、普通の高校生である俺のために送迎車を用意してもらえることを考えると普通の間柄ではないことを実感させられる。
高速道路を軽快に進む車窓の向こうには夜の光が輝いている。
綺麗だと思うけど自分が走っている方向が正しいのか不安になる。
◇◇◇
東京都国立市某所……都内ながら多くの緑が残り、公共施設の多く環境の良いこの街にさくらの実家はある。
駅から徒歩十分ほどのところに赤城家の広大な敷地が広がっている。
三メートル以上ありそうな外壁は外部からの侵入を許さない。
各所に設置された監視カメラ、庭にはケルベロスではないが番犬がいるし、要塞というか大魔王の城なみに堅牢に見える。
違いは周囲に毒の沼地がないのと手下のモンスターが出現しないことくらい。
母屋はモダンな三階建ての洋館であり、敷地内には純和風の離れや武道専用の道場やテニスコートまである。案内された母屋一階にある客間でさくらを待つ。
絵画やアンティーク家具が並ぶその客間は高校生の俺には分不相応でしかない。
桧山さんとは別の使用人さんが入れてくれた高そうなコーヒーを
コンコン――♪
入口のドアを叩く音する。
「はい」
「失礼するわ」
待つこと五分ほど、ドアの向こうから学校の制服のままのさくらが姿を現す。
レッドブラウンの長い髪はいつものポニーテールではなく下ろしている。
結ばれた状態から解放された髪は艶やか光沢がありマントのようにふわりと広がる。
切れ長の瞳と薄っすらと笑みを浮かべる唇は自信に溢れている。
「ごきげんようマイ・ダーリン」
「こんばんはマイ・ハニー」
……この挨拶は今夜も変わらないようだ。
「座っていいかしら?」
「どうぞ……ってさくらの家で俺がいうの変じゃないか」
さくらは微笑を浮かべたまま、俺の向かい側のソファーに腰を下ろす。
ふわりと髪を一度掻き揚げてから俺を見据えると、ゆっくりと語りはじめる。
「わざわざ来てもらって悪いわね……あまり時間がないの」
「かまわないよ。それより俺のためにスケジュールを削っただろ」
「それほどでもないわ……でも取れた時間は一時間だけ。何の話かしら?」
「まずは昨日の件だけど、前園と出かけることをさくらが一番最初にOKしてくれただろ、ありがとう」
天使同盟メンバー五人は基本的には仲が良いが、たまに揉めることもある。
互いが譲歩できるところにたどり着くまで、休み時間や放課後も使いモップ会は延々と続く。
ちなみ俺は発言権も拒否権もない。
結論が出るまで大人しく話を聞いているだけ、空気の様な存在なのに寝ることも退席することも許されない。
放課後まで続く場合はアルバイトの日なら、それを口実に逃げられるけど、どういう訳か揉める日に限ってアルバイトのない日ばかりで最後まで付き合うことになる。
前にモップ会があまりにも長すぎて意識を失ったことがある。
目が覚めた後、俺はこの世で最も恐ろしいものを見た。
今でも思い出すだけで鳥肌が立つ……何が恐かったかは誰にも言えない。
「たまたまよく切れる鋏を持ってなかったからOKしたのだけど……今ならすぐに某有名未来型ロボットに貰った『
悪役令嬢の三百倍くらい恐い笑顔でどこまで冗談で、どこからが本気なのかわからない発言をする。
ここは赤城邸、完全アウェーで逃げ場はない。
広大な敷地の中で多少の事件が起きたところで、塀の向こうまで悲鳴は届かないし警察も気づかないかもしれない。
とは言え、このままでは緒方霞の緒方霞が浮気男矯正鋏でばっさり切られてしまう。
「ダメださくら……待てない」
「ちょっとだけよ」
「この部屋から決して出さない」
俺はテーブルを乗り越えさくらの手を掴む。
「どうしてかしらダーリン?」
「ふたりだけの時間はたった一時間しかないんだろ? 一秒でも長く一緒にいたい、離したくないんだハニー」
「まぁ嬉しいわダーリン、でも額から凄い量の汗が噴き出してるのはどうしてかしら?」
それはさくらたんがマジ恐いからだよ――!
どこまで本気でどこからが冗談かわからないからだよ――!
「ところでさ、さくらは前園のことが好きなのか?」
朝方に校舎の屋上出口でさくらと前園が対峙した際、珍しいことにさくらは終始前園に圧倒されていた。
しかも、さくらは真っ赤な顔でデレデレだった。
「さ、さぁ何のことかしら」
「お前、今日前園と話をしてた時、素になりそうなってただろ?」
普段お嬢様風に喋るさくらだけど、元々こんなではない。
俺の知っているさくらは普通の女子高生と同じように話す……普段はあまり見せないけど。
「前園さんなんてクールな超イケメンで頭も性格も良くて、手足が長くて、しかも物凄い美少女なだけじゃない。
わたしが三月までいた三条院なら絶対君主として千年王国が築ける程度よ」
「それ……前園のことをけなしてないよね! めちゃくちゃ褒めてるよね!!」
三条院はさくらが幼児舎から中学まで通っていた名門女子校。
近隣になる
なお三条院中等部出身者で、白花高等部に進学したのはさくらが史上初らしい。
さくらは三条院在学時は首席だったため、優秀な人材を引き抜かれたと激怒した三条院の学園長とウチの学園長が取っ組み合いの大喧嘩をしたという噂がある。
実際に入学式で見た学園長の顔には殴られたとしか思えない大きな青あざと前歯が折れたままで左足も引きずっていたため、生徒の間では噂は真実だと思われている。
「A組とB組は体育を合同でやるじゃない。
入学してすぐの授業で五十メートル走のタイムを計った時にたまたま前園さんと一緒に走ったの、結果は同着だったけど、あの爽やかな笑顔で『ありがとうキミのおかげでいつもより早く走れた』って言われたわ」
「ほう……」
「キラキラして
「で?」
「結論から言うとあの方、前園さん、いえ凜さんはマジでマジな天使よ!
彼女のためなら火縄銃一丁で十万の軍勢に戦いを挑むわ!」
「前園のためにどんだけ危ない橋を渡ろうとしてるんだよ!」
「……仕方ないわ。人は誰しも
「何だよ、その怪しい病気は!?」
「中等部で前園さんと同じクラスになった生徒や担任教諭の九割が発病した恐ろしい病よ。一度かかると……」
「かかると?」
さくらの緊張した顔から俺も思わず唾をごくりと飲む。
「白花学園の中心で前園凜へのアイを叫び続けることになるわ! 永遠に」
「それは誰か助けてくださいだな……ある意味」
「……というのが凜さんの良いところで、欠点はあまりにも無防備過ぎるところね、だからこそ彼女にはすずが必要だったのね」
「どういうことだ?」
「それはダーリンが見つけてみて、さてと……そろそろ本題に入りましょうか、会いに来てくれた理由はこの事と別だと思っていいわよね」
「もちろん」
「何を聞かせてくれるのかしら」
さくらは人差し指と中指を口にあてるとフッと笑みを浮かべる。
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