第20羽♡ ナイショのお仕事

 

 俺のアルバイト先であるカフェレストラン『ディ・ドリーム』は交通量の多い国道沿いにある。


 学校から徒歩圏内だけど、うちの学校の生徒が来ることは少ない。

 ファミリー向けのためドリンクバーにしろ、その他のディナーメニューにしろ高校生の小遣いから考えると少し値段が高い。


 俺もプライベートなら、もっと安いファーストフードやカフェを使うだろう。


 でもアルバイト先にうちの生徒があまり来ないのは都合がいい。

 同級生に働いてるところをあまり見られたくないから。

 

 バカにされると言うか、変な目で見られそう気がする。

 そうじゃなくても普段から学校で肩身が狭いのに。

 

 お客様同様にカフェレストランの正面入り口から入ると会計カウンターにいるスタッフさんに声を掛け、スタッフルームの鍵をもらう。

 

 レストラン内の通路を道沿いに一番奥へと進み、先ほどもらった鍵でドアを開けスタッフルームのロッカーを開くと手早く着替えを始める。


花粉対策眼鏡と紙マスクを外し、学校制服を脱ぎ、アルバイト先の正装である白のコックシャツに着替える。


丈が膝まである紺のロングスカートと、黒のニーハイソックスに履き替える。

最後にワイン色のミドルエプロンの紐を縛る。


 次にヘアブラシを髪をとかし、両目が隠れる前髪は左右両側で分けクリップで留める。今日は睡眠不足のため目の下のクマがある。


 クマなど肌のくすみを隠すための化粧品であるコンシーラーと、顔全体にまんべんなく塗るファンデーションでベースメイクをしていく。


 アイラインはお客様に不快感を与えないように最低限にする、

 リップは薄いピンクかオレンジのものを使っている。

 

 今日はピンクにするかな……。


 一通り完成したらロッカーの内側にある姿鏡で、身だしなみに乱れがないか確認する。


 鏡にはもう俺じゃなくなった俺が映る。

 元々男にしては華奢だし線が細い。


 部活をしていないせいか日焼けすることもなく色白のままだし、まつ毛が長く、奥二重で左目の下に小さな涙ぼくろ。

 

 年中花粉症でよく鼻をかむから少し赤いのが気になる。

 でもこちらもベースメイクである程度は修正済。

 

 リップは十分唇に馴染んでいる。

 客観的に見ても、男には見えない。

 

 背が少し高めのショートカットの女の子と言ったところかな。


 小さい頃から初対面の人には大抵女の子と間違えられた。

 リナも初めて会った日に「霞ちゃんはわたしのお姉ちゃんになるの?」って聞いてきたっけ。

 

 この姿で人前に立つのは気が重い。

 できれば誰にも見られたくない。


 女装趣味を満たすためにこのアルバイトをしているわけではない。

 でも仕事として引き受けた以上仕方ない。四の五の言わずやるしかないのだ。


 とは言え、目の前に広がるこの現実はあまりに理不尽だ。

 

 だから俺はこの現実に立ち向かうため秘密の儀式を行う。

 男子なら中学生の頃、最低一度は妄想し、誰もいない部屋で一人やったことがあるかもしれない。

 

 もうすぐ十六歳になる俺は、アルバイト先でそれをやる。

 誰かに見られたらドン引きされるだろう。


 額に右手人差し指と中指を眉間に当て、いつものように魔術詠唱を始める。


「時を司るいにしえの大神クロノスよ!

 バベルの箱庭での約定に従い我が願いを阻むものへ悠久の眠りを与えた給え!

 

 魂はやわやわ絹豆腐、願いはソーシャルゲームとアニメ鑑賞だけののんびりスローライフ!


 Angel lunine svetlobe ima prsi, ki se mu tresejo že, ko teče po hodniku,

 Angel češnjevih cvetov mi na vsakem koraku grozi, da me bo ubil,

 Angel svobodomiselnosti ves dan govori neumnosti,

 Angel zdravljenja govori ostre stvari,

 Angel po šoli si pravilno zapne uniformo - vidim njene prsi!


 仮初めと偽りの螺旋結界『夢幻の美少女』発動――!」


 魔術を高らかに叫び、しばしの沈黙の後、眉間に当てた指を離す。

 スタッフルームには静寂が戻る。

  

 ただの陰キャ男子高校生である俺のMPはゼロ、慢性厨二病をこじらせて適当に考えた魔術詠唱をしたところで超常現象は当然発生しない。

 

 それでも少しでも何かで気を紛らわせないとやってられない。

 だってこの後、俺は普通のカフェレストランで女装姿で接客アルバイトをする。

 

 こんな罰ゲームみたいなこと普通じゃ耐えらない。

 だから自分で考えた設定に浸ることで現実から目を背けて、合わせて恥を捨てる。


 俺、緒方霞おがたかすみはアルバイト先のカフェレストランで、普段誰にも見せない女装した姿「女形おがたカスミン」に変わる。

  

 カスミンの姿は普段の俺と大分違うけど、だからと言って絶対にバレない保証はない。

 

 リスクを抱えたまま今日も仕事をする。 

 着替え終えた俺……いやわたしは、スタッフルームを出ると、さっそく仕事を始める。

 

「カスミンちゃん今日もよろしくね」

 

 シフトがよく重なるパートのおばさんに声をかけられる。

 

「はい、こちらこそ宜しくお願いします」


 カランカラン――♪


 お客様来店を告げるベルと共に入口から小学生くらいの男の子を連れた親子ずれが入ってきた。


「いらしゃいませ。カフェレストラン ディ・ドリームにようこそ」


 紺のスカートをなびかせたわたしはできるだけ最高の笑顔でお客様を迎える。

 

 まるで本物の少女のように……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る