第26話 戦いの意味

「軍歌演習ヨーイッ!」

 何もする事がなく、兵舎でダラダラしているとキクリの朗らかな声が響いた。

 それきた、とばかりにダラダラしていた兵隊たちは寝台から跳び上がってキクリに続いて海岸まで走る。

 この軍歌演習はキクリが提案、始めたものだ。自由参加であり、当初は「なに言っているンだコイツ」とアカツキくらいしか参加していなかったのだが今では進んでみんな参加している。

 どういう意図で始めたのかは定かでないが、大きな声を出すのは気持ちが良いし、何より歌っている間は戦場のアレコレの苦悩を忘れる事が出来た。

 浜辺に整列し、キクリの音頭取りで大きな声を出す。

 浜辺で一列に並びながら歌っているわけだから敵襲でもあったら一溜りもない筈だが、こんな行為が許される程度の安全は確保されている。それだけ敵を追い込んでいるという事だ。

 軍歌は概ね兵営で習ったポピュラーな物ばかりなので歌詞はすっかり脳裏に刻んであるので楽譜も何も要らない。

 軍歌が終わると「駆け足!」の号令で浜辺を走る。端からは「何やってんだコイツら」という目で見られたが、良い運動になるので皆お構いなく走っていた。

 その後は「解散」の号令が掛かって各々バラバラに兵舎に戻っていく。一時間にも満たない短い時間だったが一日の良い気分転換である。

 兵舎に戻ると各自の寝台の上に幾つも封筒が置いてあった。

「なんだこれ?」

 見てみると内地からの郵便物である。多くは故郷から届いた物だったが、ミキたちが前線にいた為に遅配して何週間も前の物も少なくなかった。

 あまり気は進まないがミキは封を開けて中身を出す。

 どうせ除隊したらどうとか、見合いの話しがどうとか書いてあるに決まっている。向こうからすれば家から奔放した娘など死んだも同然なのだ。安否の心配などしている筈もない。

 案の定、中身は似たような物だった。知った事か、とミキは丸めてゴミ箱の中に突っ込む。

 それとは対照的にアサキとアカツキはシッカリと手紙を読み込んでいた。

「…………おい、ちょっと読んでみろよ」

 なんだか解らないがアサキに手紙を手渡されたのでミキはサッと読んでみる。数枚のうちの一枚なので前後の内容は解らないが、概ね国内の現状を書いた物であった。

「野菜が値上がりして困ってるとさ」

 アサキは深い溜息を吐く。

「……オレたちが食うや食わずで命懸けで戦っているのに、国じゃ何も知らん連中が葱の値段を気にしてる」

 何も言えずにミキは手紙をアサキに返した。

 ふと周囲を見渡すと、誰も彼もが何とも言えない表情をしている。アサキと同様に前線と銃後のあまりのギャップに戸惑っているようだった。

 流石にいたたまれなくなってミキは逃げるようにして兵舎を出る。ただでさえ最近は精神的に疲れているのだ。これ以上辛気臭い空気を浴びたくない。

 さりとて行くところもないのでフラフラしていると、飛行場の端で砲兵隊が一斉砲撃している音が聞こえて来た。

 前線にいたミキたちは知らなかったが、マムシ高地を掃討している間に新たな敵が上陸していたらしい。それを撃破するため、今では独立混成第四四旅団よりも後に上陸した増援の師団が島の中心部で激闘を繰り広げているとの事だった。ミキたちがブラブラしていられるのも、ヨモツ国側の主力と戦場が大きく変わったからである。

 しかし戦場が離れたところで砲兵隊の仕事は変わらない。毎日毎日、前線から要請のあった場所に砲撃をしている。

 前線にいた時は「砲兵の連中は敵の弾を浴びないで良いな」などと考えていたが、見ている様子ではそれなりに大変そうだ。

 飛行場の方でも爆弾を抱えた急降下爆撃機が日に何度か飛び、一度洋上に出てから旋回して島中央に向かっていく。たったそれだけの事実で島では未だ大激戦が繰り広げられているという事が解った。

 それでもミキが手ぶらで歩いていられるのだから戦況は余ほどヨモツ国側に有利に動いているのだろう。もっとも戦っている兵士たちがそれを実感しているかどうかは別であるが。

 気付けば軍歌を歌っていた浜辺近くまで戻っていた。

 飛行場からは少し離れているが、敵の奇襲上陸に備えて多くの陣地が設営されている。実際、敵の少数部隊が舟で島の周りをグルリと一周して上陸してきた事があったらしい。そのため陸上だけでなく沖にも哨戒艇が数隻常駐して警戒に当たっていた。

 もっともそんな奇襲をやってくるのは夜である。そのため明るいうちは軍歌演習をしたり、のんびり昼寝をしたりと気楽なものだった。

「上官ッ」

 近くで談笑していた兵隊が急に立ち上がる。見れば敬礼する兵隊たちにマイハマが答礼をしている所だった。慌ててミキも敬礼をする。

 マイハマはミキの姿を見ると足を止めた。

「兵舎に手紙は届いたか」

「はぁ」

「そうか。良かった」

 そう言ってから、マイハマはミキの曖昧な表情に気が付いたのだろう。怪訝そうな顔をした。

「なにか問題でもあったのか?」

「いえ、その……内地との空気の違いに戸惑いまして」

 少し間を置いてからマイハマは頷く。

「仕方あるまい。軍隊すら経験した事のない連中に、まして戦場を想像するなんて事は無理なんだ」

「……そうかもしれません」

 ミキも、同じ軍人とはいえ自分の全く知らない兵科の事などは想像も出来ない。事実、先ほどまで「砲兵隊は楽そうだ」という考えを改めたばかりである。

「中隊長殿、月並みな質問をしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ」

「私たちは、なぜ戦っているのでしょうか?」

 手紙を読んだ時に湧いた疑問だ。

 内地では多くの国民が戦場の事など考えもせずに惰眠を貪っているというのに、ミキたちはこんな価値があるのか無いのか解らないような島で生死を賭けている。

 そんな必要が本当にあるのだろうか? もっと何か別の方法があるのではないだろうか?

「それを考えるのは私たち将校の仕事だ。兵隊が将校の仕事をしようとするな」

 即答だった。

 あるいはミキの質問を予想していたのかもしれない。

「……まぁ、といっても納得は出来ないだろうな」

「はぁ」

「我々軍人が戦う理由はただ一つ。国のためだ。それ以上でも以下でもない」

 それは、確かにそうではある。

 兵隊は国のために集められ、国のために戦い、国のために死ぬのである。そこに異論を挟む余地はない。

「では私たち兵隊が死ぬ事に何か意味があるのでしょうか?」

「ある」

 やはり即答だった。

「ある筈だ。無いわけがない」

 言いながらマイハマは空を見上げる。憎々しいほどの晴天だった。

「部下が一人死ぬ度に十人の兵隊が救われたと考えるようにしている。いや、もっと多く助かったかもしれない」

 自分に言い聞かせるかのように、マイハマはしっかりした口調で言う。

「それで良いんだ。一人よりも十人の命の方が重要だ」

 ただ、とマイハマは付け加える。

「その死んだ一人は、十人の命以上に価値がある事をやれたかもしれない……」

 しばらく間があった。

 何か考えているのか、マイハマはただ青い空をジッと眺めている。

「中隊長殿……?」

「いや、なんでもない。お前に話す事ではなかったな」

 マイハマは深い溜息を吐く。

「私も疲れているのかもしれない。最近忙しかったからな。少し休もう」

 言いながらマイハマは微笑む。ミキから見ても下手くそな作り笑いだった。

「兵隊に死ぬ意味があるのかと言ったな」

「はぁ」

「さっきも言ったとおりだ。国のために死ぬ。それで良いじゃないか。それ以上に何が必要なんだ」

 それで問答は終わりだ、とばかりにマイハマは背を向けて歩き出した。ミキはそれに敬礼をして見送る。

「…………それだけじゃいやだ」

 小さくミキは溢した。

 死ぬのを受け入れるには、もっと何か、もっともっと重要な、貴重な「何か」が必要なのだ。

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