第25話 歯
キクリの着任は第二小隊を絶望させるには充分であった。
新しい指揮官の着任は即ち第五中隊が内地に帰還出来ない事を意味しており、下手をすれば再び戦闘に投入される事も充分に考えられるからだ。
実際問題、後方に下がれたとはいえドウメキ島での戦いは未だに終わっていないのである。第二大隊が予備戦力扱いになったとはいえ、いつまた戦闘参加になるかなぞ解ったものではない。そこにまるっきり新品の指揮官がポンッと置かれたわけである。
「大丈夫なのか、あれは?」
「私に聞かれても困るよ」
必然的に兵舎の中での話題はキクリの話しで持ちきりになっていた。
さりとていきなり着任したばかりなのであるから情報など皆無に等しい。そのため評価をする材料もなく、各々の勝手な予想を口にするしかなかった。
「上官ッ」
出入り口付近の兵隊が言ったので、全員起立して踵を鳴らす。
入って来たのは指揮班付きの曹長と噂をすれば、のキクリであった。
「もう知っている者もいると思うが、新しい小隊長が着任された」
曹長が前置きをしてからキクリが前に出る。
「いま紹介のあったとおり、新しい小隊長に任命されたイイヅナ・キクリ見習士官です」
もとい、とキクリは改める。
「イイヅナ・キクリ見習士官、だ。経験不足故に皆も不安であると思うけれど、私もきちんと士官教育を受けた身であるから安心して貰いたい」
それだけで短い挨拶は終わり、キクリたちは出て行った。
兵舎内の兵士たちは不安そうな顔を見合わせる。即座に、やれ不安だの、やれ大物だろう、等といった適当な評価が飛び交う。
みんな各々で勝手な評価を言い合っていたが、ただ一つだけ一致している評価があった。
「……顔、メッチャ丸いな」
◇
後退してから早数日、キクリも迎え入れた第五中隊の雰囲気は徐々に変わっていった。
なんというべきか、何処となく殺伐としている。
かくいうミキも一人座っていられず、せわしなく立ったり座ったりして、特に意味も無くそこら辺をフラフラ歩いたりしていた。
誰かが言う。
戦闘は終わった後が一番怖い。
最初は意味が解らなかった。だが今は理解できる。
戦っている時には何も思わなかった事が戦場から離れて冷静になった途端に一気に押し寄せてくるのだ。恐怖や後悔、何よりも罪悪感が深く精神を蝕む。
瞼を閉じれば、ミキが初めて殺した金髪の若い女性将校の姿と彼女の持っていた写真が目に浮かぶ。
『がんばって、おねえちゃん』
あれは妹だったのだろうか。
もちろん幾ら考えても答えなど出ない。ミキと彼女はどこまで行っても敵であり、加害者と被害者であり、全くのアカの他人であるからだ。事情など知る筈もない。
他の兵隊たちも大体同じような感じなのだろう。少し手が空くとボーっと虚空を見つめていたり、寝たら寝たで魘されたり飛び起きたりしていた。
何も手が付かずにそこら辺をブラブラしていると、ふと「助けてくれッ!」と叫ぶ声がする。何事かと見てみると人が集まっていたので、ミキも野次馬根性丸出しで見に行った。
「助けてくれ! アタシは呪われた!」
衛生兵に抑えつけられながら騒いでいるのは同じ第五中隊の女性兵士である。ミキは会話した事がなかったが、記憶が正しければそれなりに荒くれ者で通っていた筈だ。
「助けてくれ!」
「おちつけ! おいッ、速く鎮静剤持って来い!」
振り払おうとするのを衛生兵が二人掛かりで抑える。
抑えられている兵士は「助けてくれ!」と叫びながら何かから逃げようとしているらしかった。
「これ?」
転がっているズタ袋を一人の兵士が拾うと、底が抜けたのかバラバラと光る何かが地面に散らばった。
途端に抑えられていた兵士は耳をつんざくばかりの悲鳴を上げ、衛生兵たちを振り払って「許してくれ!」と叫びながら逃げ出した。
「おいっ! そっちは危ないぞ!」
止める間もなく車のブレーキ音と衝突音。大慌てで衛生兵たちが轢かれて転がっている兵士まで駆けて行く。
唐突な惨事に周囲にいた者たちはみんな呆気に取られていた。
ふとミキは地面に散らばった物を見る。確かに彼女はこれを見て悲鳴を上げていた。
そしてソレが何かを確認して、ミキも追わず「ヒッ」と短い悲鳴を上げる。
歯だ。
それも金歯である。
後に小銭になるからと、殺した敵兵から「戦利品」として金歯を抜いている連中がいるという話しはミキも知ってはいる。だが実際に現物を見たのはこれが初めてだった。
底が抜けるほどであるからそれなりの数の死体から抜いたのだろう。これだけあれば相応の金額にもなる筈だ。
しかし誰も掻き集めようとする物はおらず、ただ散らばった歯から距離を取るばかりであった。
「……埋めようか」
放置しておくわけにもいかない。
数人で散らばった歯を集め、飛行場の片隅に持って行く。敵兵や捕虜の死体を埋めた仮の墓所があるのだ。
その墓所の端の方に小さな穴を掘っていると、後からバツが悪そうな表情で何人かの兵士が同じように歯を持ってきた。
袋に入った物もあれば、二、三個、コロリとあるだけの物もあったが、いずれも歯の持ち主はもう生きていない。
とにかく集めて埋めると、アカツキが何処からか清酒を持ってきて土の上から掛けた。
「これでまぁ、堪忍してほしいッス」
振り返れば何人かの兵士が手を合わせていた。中には小さく震えている者もいる。
実際、あの女性兵士が死んだのは、本当に祟りだったのか、それとも良心の呵責に耐えられなくなったのかは解らない。
ただ一人の兵士の気が狂って死んだ事だけは間違いなかった。
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