大狼原野の戦い

第11話 吉報と凶報

 カーン、カーンと空のドラム缶を叩く音が何度も響き渡った。

「空襲警報ーッ」

 陣地全域に空襲を知らせる声が響き渡る。

 しかし陣地内にいる兵士たちは「やれやれ」といった体で逃げる素振りすらしなかった。

「敵さんも仕事熱心な事で」

 呆れ顔をしながらアサキが土嚢を重ねる。

 敵による強行偵察があってから数日。敵襲は無いが備えておくに越した事はないという事で陣地の補強が行われていた。

 そんな最中での空襲であるが、敵航空隊の狙いは遥か離れた飛行場である。

 樹海の中にある歩兵陣地など目もくれないどころか、見つけすらしていないのは誰もが知っており、壕の中に逃げ込む者は一人もいなかった。

「珍しく昼間だね」

 空を見上げながらミキは言う。

 いつもなら嫌がらせを兼ねて夜間での空爆なのだが、今日はどういうわけだか真昼間である。

「豆鉄砲が当たんねーって事が解ったンじゃねぇの?」

 ミキたち歩兵は飛行場にある高射砲つまり対空用の大砲の事を「豆鉄砲」と呼んでいた。音ばっかり派手でサッパリ当たらないからである。

 花火でも撃ち上げているのか、と文句を言いたくなるほど命中率が低く、今のところ敵爆撃機を撃墜しているのを見た事がない。

 実を言うと高射砲部隊も砲弾が欠乏しているせいで効果的な砲撃を出来ずにいたのであるが、そんな事はミキたちが知る筈もなかった。

「たまにゃあ一機くらい撃墜してくれよなァ」

 ブツブツとアサキが文句を言った時、ミキはふと気付いた。

「なんか聞いた事のない音が聞こえるけれど……」

 何の音かはハッキリとしないが、おそらくはエンジン音の類だろう。

 航空機は詳しくないミキであるから、エンジン音で飛行機の機種を聞き分けるなんて芸当は出来ない。

 しかしそんな素人のミキでも解るくらい異なる音であった。

「あれ? なんか上空にいるけど」

 中隊の誰かが空を飛んでいる爆撃機の、さらに上空を指差す。

 言われてみると、確かに二十に近い爆撃機の上から九つの点が急降下している。

「これ、キハル三号エンジンの音っスね」

 耳を澄ませていたアカツキが言う。

「キハル三号エンジンって確か……」

 ミキがそこまで口に出した時、横で見ていたアサキが「あっ」と素っ頓狂な声を出した。

 見上げると上空の爆撃機から真っ赤な炎が噴き出ている。

 最初は小さな火だったが、やがて機体全体を覆い尽くす程に燃え広がると爆撃機は遂に爆散した。

「キハルは……うちの軍のエンジンっス」

 アカツキの言葉で中隊は一瞬、シンッと静まり返った。

 そして理解が追い付くと、全員再び空を見上げた。

 爆撃機を屠った飛行機は、翼を翻して再び爆撃隊に襲い掛かる。

 一気に歓声が上がった。

「やっちまえー!」

「どんどんやれーッ!」

「待ってたよーッ!」

 口々に歓喜の声を上げ、見えていないであろうにも関わらず上空で戦う友軍の戦闘機隊に向けて手を振る。

 今まで一度も迎撃などなかったので敵の爆撃隊は慌てたのだろう。散り散りに解れ、爆弾も投下せずに離脱を始める。

 しかし戦闘機隊は逃がさないとばかりに食いつき、爆撃機は二機、三機と落ちていった。

 ワァーッと歓声が上がる。

 僅か十分にも満たない戦闘であったが、ミキが見ただけでも爆撃隊の半分が撃墜されていた。

 地上から皆で手や旗を振ると、戦闘機も気付いたのかバンク――翼を左右に振って水平線へと帰っていく。

 再び歓声が上がり、ミキたちは飛行機が見えなくなるまでずっと手を振り続ける。

 久しぶりの痛快な出来事に、みんなしばし興奮が醒めなかった。

「作業止めーッ。当直を残して全員中隊本部前に集合」

 唐突に集合命令が掛かり、ミキたちは手を振るのを止めて中隊本部前にゾロゾロと集まる。そもそも作業など端からしていなかったので集合はいつもより随分と早かった。

「中隊指揮官殿に敬礼ッ!」

 全員が敬礼し、マイハマが答礼する。

「全員楽にしろ。良い知らせと悪い知らせがある」

 一度全員の顔を見渡してからマイハマが前置きをする。

「まず良い話だ。先ほど水軍より連絡があった」

 非常に上機嫌で、嬉しそうにマイハマは言う。

「我が海の荒鷲、水軍航空隊が敵主力艦隊を撃滅した。報告によれば我が空母航空隊による波状攻撃で空母一隻を含む二隻の軍艦を撃沈、一隻を大破せしめたそうだ」

 先ほど空戦を観戦していた時と同様に大きな歓声が上がる。

 だがミキの隣に立っていたアサキだけは固い表情を変えなかった。

 まだ「悪い知らせ」が何であるか伝えられていなかったからだ。

「中尉殿、悪い知らせというのは?」

 アサキが訊ねるとマイハマは気まずそうに一度目を逸らした。それから深い溜息を吐く。

「敵の第三派が上陸した」

 全員の顔から笑みが消えた。

「おそらく上陸第二派の連中と合流、それから攻撃に出る事が予想される」

 笑みが失せたどころか血の気まで失せていく。

 予想が正しかった場合、敵は河川での戦いの時を遥かに越える規模で総攻撃を仕掛けてくる筈だ。

 その場にいる全員が絶望したような暗い表情を浮かべていたが、マイハマだけは平然としていた。

「確かに敵は強大だ。しかし敵主力艦隊を撃滅した事によって、ようやく我が軍の輸送船も大々的に荷揚げを再開している」

 もう少しの辛抱だ、とマイハマは全員を励ました。

「もう少しすれば交代要員や増援も来る。それまでは何としても持ち堪えろ。貴様らならそれが出来ると信じている。以上だ」

「中隊指揮官殿に敬礼ッ!」

 敬礼。答礼。

 マイハマが中隊本部に戻ると、残された兵士たちはみんな曖昧な表情を浮かべていた。

 喜ぶべきなのか、それとも悲観するべきなのか解らなかったのだ。

 ミキもどういう感情を抱いたら良いのか解らず、自分たちの壕に戻ってからも補強作業が手に着かなかった。

「飯あげー」

 やや早い夕食の時間がやってきて、全員が給食を受ける。

 今日の献立は飯盒の蓋に半分くらいの米と、雑草が浮かんだ薄い味噌汁であった。量も質も悪く、ここ数日はずっと同じ内容なので楽しみようもない。

「寿司食いてぇな」

 唐突にアサキが呟く。

「すしっていうと、あの握り飯に刺身が乗ってる奴っスか」

「あれは握り飯じゃなくてシャリだ」

「ふーん」

 アカツキとミキは顔を見合わせた。何しろ二人とも山の寒村出身である。寿司どころか海の魚自体滅多に食べない。

「なんだか解らんけれど、私はお茶漬けが食べたいっス」

「私はスキ焼かなぁ。正月の時にしか食べないんだけれどね」

「うーん、それなら酒も飲みたいな」

 ミキとアカツキは首を傾げる。飲みたい以前に、二人とも酒を飲んだ事すらなかった。

「あんた未成年っスよね?」

 ヨモツ国では未成年は喫煙は大丈夫だが飲酒は禁止である。当然ながら軍でも容認されていない。黙認はされてるが。

「この際、固い事は言いっこなしにしようぜ」

「飲めない酒よりあんぱん食べたいなぁー」

「それなら羊羹っスよ」

 三人同時にグゥーッと腹が鳴る。

「しかし食べたいと言ったところで天からアンパンが降って来るわけでもなし……」

「腹ぁ減ったなァ」

 味噌汁もどきを一気に飲み干し、ミキは天を仰ぎ見た。

「…………ねぇ、変な事を聞いて良い?」

「彼氏ならいた事ねーゾ」

三位寸法スリーサイズも教えないっスよ」

「いや、そういう話しじゃなくて」

 ミキは空になった飯盒を地面に置く。

「二人はどうやって消化してる?」

「胃袋っスね」

「いや、そうじゃなくて」

 何て言ったら良いのか、ミキは少し迷った。

「どうせ敵兵を殺害した時の心の整理とかそういう話しだろ」

「……なんで解ったの?」

「最近ずっとそういう顔しているからな」

 どうやら無意識に陰気な顔でもしてしまっていたらしい。

「アイカヤはどうだ」

「私っスか?」

 唐突に話しを振られてアカツキが変な声を出す。

「うちの中隊で最初に敵兵を撃ったのはお前だろ」

「そりゃあそうっスけど」

 アカツキは少し考えているようだった。

「ベニキリって熊に襲われた事とかあるっスか?」

「私はないけれど、隣村で一人だか二人食われたって聞いた事はあるよ」

「うん。だから山から下りてきた熊は撃たないといけないっス。憎いから撃つんじゃない。撃たないと誰かが食われるから撃つ。そういうもんじゃないっスかね?」

 随分と割り切った話だ、とミキは思った。

「人間も熊と同じって事?」

「熊が駄目なら鹿でも猿でも」

 ミキにはとても同じには思えなかった。理屈は解る。だがアカツキのように割り切りは出来ない。

「ゼンザイは?」

「似たようなもんさ」

 下らない冗談でも聞いたかのような態度でアサキは答える。

「お前だってさっき敵の爆撃機が墜ちているのを見て喜んでたじゃないか。あれにだって人間が乗ってるんだぜ」

「それはそうだけれどさ……」

 それとこれとは違うのだ。

 しかし何が違うのか、ミキには上手く説明が出来なかった。

「……二人とも割り切ってるね」

「生きてりゃ悩む事も出来るが死んだらそれも出来ないからな」

 これで話しはお終い、とばかりにアサキは立ち上がる。

「さっさと食器片づけよーぜ」

 頷いてミキも近くの小川に飯盒を洗いに行く。

 少なくとも二人は割り切れていた。

 ミキもいずれは割り切れるのだろうか。そしてそれは良い事なのだろうか。

 今のミキにはサッパリ見当もつかなかった。

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