第10話 戦い済んで
迂回に迂回を重ね、数時間掛けてミキたちが友軍陣地に何とか戻ると既に戦闘は終了していた。
陣地の前には敵兵の死体がゴロゴロと転がり、戦闘後特有の血の臭いと硝煙が漂っている。
攻撃を受けた第五中隊の損害は一名が戦死、五名が負傷で後送という形であり、対して敵兵は二〇か三〇が倒れていた。
しかし河川での時のような全滅するまでの戦闘ではなく、ある程度の戦闘をしたら即座に撤退していってしまったという。
「間違いなく威力偵察だな」
戦場清掃を見ながらアサキが言う。
「威力偵察ってなんスか?」
「お前……初年兵の頃に座学で少し習っただろ」
「そんな昔の事はもう忘れたっス」
アサキは溜息を吐く。
「実際に攻撃を行って相手の戦力がどれくらいか調べる事だよ。うちの損害は少なかったみたいだけれど、敵さんに兵力不足って事がバレただろうな」
説明をするアサキの横でミキは死体の山を眺める。
「でも偵察だけでこれだけ死なせたら攻撃する際の兵力も足りなくなるんじゃないかな?」
「偵察にこれだけ使えるだけの兵力が上陸してきているって事だろ」
アカツキは露骨に嫌な顔をした。
「防げるんっスかね?」
「莫迦言わないで」
真っ茶色になった軍服を脱いだミキは自分に言い聞かせるように呟く。
「防ぐんだ。私たちで」
三人とも少しの間、無言になった。
「ところでベニキリ、その鞄はいつまで持っているんだ?」
アサキに言われ、ミキは敵将校から奪った図嚢を持ったままだという事を思い出した。
「持って帰るんスか?」
「いや、なんか大事な書類とか入っていないかと思って」
「じゃあ指揮班に持ってかないと駄目だろ」
言われてみればそうである。下っ端のミキが持っていても仕方がない物だ。
中隊指揮班に提出するためにミキは中隊本部に向かう。
新しい中隊本部は河川の陣地と同様に半埋蔵式であったが、前の所に比べると遥かに素晴らしい造りをしていた。
中隊本部内では指揮班が戦闘の後始末のために慌ただしく書類作業などをしている。軍隊は基本的に「お役所」だ。何かしたり、何か起きたりしたら報告のための書類を作成せねばならない。
ふと机の上を見ると大量の手帳が積み重なっているのに気付いた。
何の手帳なのかは解らないが、デカデカとマーガレット公国の国章が書かれている事から敵兵の物であると察せられる。
ただその手帳が指揮班に山積みになっているという事は持ち主はもう生きてはいないのだろう。
「軍隊手帳だ」
ミキの視線に気づいたのか、事務の兵士が言う。
「我が軍じゃあ中隊本部が管理しているが、公国の連中は個人携行が基本だ。兵隊の出身地から軍歴、配属先まで書いてあるから情報が取り放題だ」
そう言えば死体片付けの際に手帳を集めるように言われた記憶がある。その時は忙しくて気にも留めていなかったが、重要な情報収集であったらしい。
平時では忌むべき死体漁りだが、戦争になると推奨される行為になるのだろうか。
「ところで何の用だ」
「森の中を退避中に敵の将校と遭遇しまして。その際にこれを拾ったのでマイハマ中尉に渡そうかと」
言いながらミキは図嚢を差し出す。
それまで迷惑そうな顔をしていた事務の兵士だが、途端に顔色を変えてマイハマを呼び出した。
「どうした」
「敵の将校から図嚢を手に入れたそうです」
言われてミキは改めて図嚢を差し出す。
「中は見たのか」
「罠の有無だけ確認しました。書類が入っているみたいですが、中身自体は読んでいません」
マイハマはミキから図嚢を受け取ると、中から何枚かの紙を取り出した。
「地図や行動表……命令書まで入ってるぞ」
まるでお宝を見付けた子どものようにマイハマは目を輝かせる。
「ベニキリ、でかした」
褒められて、ミキは嬉しいような曖昧な気分になった。
やった事は死体から物を奪ってきただけである。褒められるような事なのか、ミキには判断がつかなかった。
「おっと……」
図嚢から一枚の紙がペラリと落ちる。
慌ててミキが拾うと、それは私物の写真であった。
写っているのは数人の
真ん中に少女と一緒に写っている女性が、どうやらこの図嚢の持ち主――つまりミキが殺した敵将校のようであった。
傍らの少女は小学生くらいだろうか。寄り添っている姿から仲が良かったのだろう事が察せられる。
何気なくミキが写真の裏を見ると、少し崩れた文字が書いてあった。
『がんばって おねえちゃん』
ミキはこの写真をどうしたら良いのか解らなかった。
困惑するミキの様子をマイハマが睨むように見る。
「ベニキリ」
「はぁ」
「お前は何も見ていない」
「は?」
「お前は何も見ていない。何も知らない。そんな写真なんぞ存在しない。解ったな?」
ミキはただ「はぁ」と答えるしかなかった。
「破棄してきます」
写真を胸の
だがその前に「ベニキリ」とマイハマに呼び止められた。
「この書類は連隊本部に送る。その時にお前の功績も伝えておく」
喜んで良いのか解らず、ミキは曖昧に「はぁ」とだけ言って本部を出る。
そして外を少し歩いてから、アレがマイハマなりに慰めていたのだという事に気が付いた。
不器用な人だ。
つくづくそう思う。
しかし真っ直ぐ陣地に戻る気にもなれず、気付けばミキは小銃を背負って森の中を歩いていた。
無意識だったが、足が向かう先だけはしっかりしている。
「何処に行くんスか」
唐突に背後から声を掛けられて跳び上がりそうになった。
「ななななななな」
「ナ?」
いつの間にか付いてきていたらしいアカツキが首を傾げる。
「いや、なんでいるのって言おうと思って……」
自分でも気づかぬうちに歩いていたわけだから、当然ながら誰かに何処かに行くと言った記憶はない。
「いや、ベニキリがフラフラと森の中に入っていったのを目撃した奴がいたんで、心配になって追ってきたんっス」
「ごめん」
謝ってから、ミキは「ありがと」と礼を言う。
「で、何処に行くんスか?」
「それは……」
ミキは言い淀んだ。
あまり言わない方が良いような気がしたからだ。
察してくれたのかアカツキは何も言わなかった。言わなかったが、普通にノソノソとついてくる。
「なんでついてくるの」
「だって敵出るかもしれないじゃないっスか。一人だとさっきみたいにやられるかもしれないっスよ」
ぐうの音も出ない正論である。
撤退したとはいえ、まだ敵が残っている可能性は十分にあるのだ。独り歩きするには危険に過ぎる。
本音をいえば帰って欲しいのだが、身の安全を考えるとそうも言っていられない。ミキは黙ってアカツキの好意に甘える事にした。
黙々と一時間ほど森の中を歩く。
迂回を重ねて逃げて来た時と違い、真っ直ぐに進んできたわけだから目的地はここら辺の筈だ。
記憶を頼りに周囲を確認すると、斃れている青い軍服の兵隊を発見した。生きていたら嫌なので銃剣着きの小銃を構えてソッと近付く。
やはり、死んでいる。
あれだけの暴力の末の死である。そこら辺に血が飛び散っていてもおかしくない筈だが、雨で洗い流されたのか周囲に血痕は見当たらなかった。
「埋葬でもするんスか?」
「ううん」
周囲を見渡し、ミキは目当ての死体を見付けて歩み寄った。
金色の髪をした青い軍服の女性将校。当時は気付かなかったが、ミキが突き出した銃剣は貫通していたらしい。背中から出血して軍服を赤く染めている。
顔を見ようと触った瞬間、ピクリっと死体の耳が動いた。
「うわぁッ!」
慌ててミキは小銃を構える。
「う…………ぅ……ッ」
まるで蘇ったかのように、将校が呻き声を上げる。
「往生際が悪いっスよ」
アカツキが小銃の照準を将校の頭に定める。
「待って」
ミキは手で制し、うつ伏せだった将校をゴロリと転がした。
「ぅ……う」
唸る声のような、呻き声のような、今にも掻き消えそうな「音」を咽喉から発しながら、将校は虚ろな目でミキの顔を見る。
どうやら死んだわけではなく、意識を失っていただけらしい。
しかしどう見ても死ぬのが時間の問題なのは明白であった。
将校は震える手をようやく動かしながら、自分の身体を探っている。
「…………シャ……」
「え?」
「シャ……レ…………」
掻き消えそうな声で呟きながら将校はもう動かなくなりそうな手で何かを探す。
ふと思い立ち、ミキは胸の物入の写真を取り出した。
もともとこの写真を彼女に返そうと戻って来たのである。
「これ?」
写真を見せると将校は小さく「シャー、レー……」と呟き、ガクンと事切れた。
「……人の名前っスかね」
「たぶん」
返事をしながらミキは写真を将校に持たせた。
「帰ろう」
「用事は済んだ感じっスか」
「うん」
死体に草を被せて埋葬をした事にして、二人はその場を後にした。
暗くなってくると森の中にポツポツと明かりが灯る。最初は二人とも、すわ敵か、と身構えたが直ぐに蟲の類であると気付いた。
「蛍……かな?」
「解らないけど、似たような蟲みたいっスね」
ドウメキ島には固有の生物が幾つもいると聞く。
もしかしたらこの蛍のような光を発する蟲もそのような固有種なのかもしれない。
光る蟲たちはフヨフヨと漂い、やがて火の粉のように空に向かってゆっくりと飛んで行く。
その光景はまるで、死んだ兵士たちの魂が天に昇っていくのを暗示しているかのようだった。
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