第12話 襲撃

 吉報があってから数日後、第五中隊の所属する第二大隊は陣地変換を命ぜられた。

 もっとも「陣地」と名打っているが実際は敵に向かっての前進である。改めて飛行場周辺の安全を確保するためだ。

 そのためせっかく入念に構築された陣地を出て、第五中隊は森の中を進んでいた。

「目的地は何処なのさ」

 薄暗い、まだ霧の出ている森の中を進む。

「この先に原っぱがあるらしい。とりあえずそこら辺までだとさ」

 相変わらず何処から情報を手に入れているのか、アサキがミキの疑問に答える。

 ミキは、否、歩いている兵士たちはみんな不満だった。

 あれだけ入念に陣地構築をさせておいて、いざ敵襲の可能性ありとなったら前進命令が出たのだから当然である。

 守備ならば陣地内で充分ではないか。司令部の連中が何を考えて前進命令を出したのか、さっぱり見当も付かなかった。

「応援って事で第六中隊も来ているらしいぜ」

「第六っスか」

 露骨に嫌な顔をするアカツキ。

 アカツキだけでなくミキも、というよりも第五中隊の全員が第六中隊の連中を嫌っていた。

 公言こそされていないが第五中隊に女性兵士が多いのは「女性部隊」を創るための実験的措置であるらしく、従って連隊中の女性兵士が集められている。必然的に他の中隊からすると女性兵士は珍しく、第五中隊自体も度々「女性兵士の集まり」である事を揶揄されていた。

 そんな中で特に酷い揶揄、否、中傷をしてくるのが第六中隊である。彼らは公然と第五中隊の事を「玉無し」中隊と呼んでいたし、中には平然と「第五中隊は売女の群」などと言って来る者もあり、実際に暴行未遂事件も起きていた。

 そんなわけなので第五中隊の中には敵以上に第六中隊の事を嫌っている者も多く、連隊司令部でも問題視している程である。事実、第五中隊と第六中隊をわざわざ違う大隊に配置するという措置まで取られていた。

「あいつらの応援なんか要らないんスけどね」

「命令だから仕方ないよ」

 文句を言いながら半日ほど移動すると目標の原野に出た。実際の名称は知らないが、ヨモツ軍が「大狼原野」と名付けた場所である。

 第五中隊は左右に展開して防衛線を構築し、とりあえず円匙シャベルで簡単な壕だけ構築した。土嚢などの資材はないので、本当に穴を掘っただけのいわゆる「タコツボ」だ。

 ある程度の構築が出来たら昼食となる。

 輸送が進んでいるのだろう。劇的な変化はなかったが、数人に一つの割合で魚の水煮缶が支給された。これまで僅かな米と具無し味噌汁ばかりだった兵たちからすればご馳走である。みんな喜んで食べた。

 そしてそのまま壕の中で一夜明かす。敵前の筈なのだが静かなものである。斥候が出されたようであるが、無関係なミキたちは歩哨を立てながらゆっくり寝た。

 日が昇ると米と味噌汁だけの朝食である。内容としては同じだが、味噌汁に具が入っていたので皆喜んだ。

 そして朝食が終わると今度はミキたち第二分隊には前哨が命ぜられた。他の者はタコツボの補強や前進のための準備である。

「もし来るとしたら北部からって話しだけれど、東部こっちにも来るのかな?」

「そいつは敵に聞いてみないと解らん」

 原野の繁みの中を散策する。

 草の背がそこまで高くないので視界は良好だ。しかし遠く離れた森の中は霧が掛かっていて良く見えなかった。

「軍曹、これってもしかして森まで見に行くんですか?」

「そうした方が良いだろうな。何しろ……」

 そこまで言った時、ヒューンという空気を摩擦する音が耳に届いた。

「伏せろッ!」

 言われるまでもなく全員その場に伏せる。

 続けて爆音。それなりに離れた場所での爆発の筈だが、衝撃波がミキたちのいる場所まで揺らす。

 敵の迫撃砲による攻撃である。

 しかも砲撃はその一発だけに留まらなかった。次から次へと、引っ切り無しに爆発音が響き渡る。 砲弾が散らす小さな無数の破片はそれ自体が殺傷力を持つ凶器だ。

 砲撃の下では誰もが無神論者でなくなる、と言ったのは何処の誰だったか。

 少なくともミキは嘘偽りないと思う。

 砲撃の目標は中隊が布陣している場所であり、ミキたちではない。

 しかしミキは砲撃が続いている間はずっと「自分に落ちないように」と神に祈っていた。例えどのような人間でも、一度砲撃が始まれば祈って耐える事しか出来ないのだ。

 身動きが取れないという現実と今すぐ泣き叫びながら逃げたいという衝動が心中で戦い、ともすれば気が狂いそうになる。

 砲撃は物理的な破壊だけでなく、同時に兵士たちの精神も直接殺しに来るのだ。

 砲撃下で伏せるミキには、炸裂音が死神の笑い声にすら聞こえる。

 何時間にも感じた砲撃は、しかし実際には物の数分で終わった。

「下がるぞ!」

 そう言って軍曹が立ち上がった瞬間、銃弾が彼の身体を撃ち抜いた。

「軍曹殿!」

 思わずミキは大声を出したが、即死だったのか軍曹は何の反応も示さずに倒れる。

 匍匐でミキは軍曹の傍まで行って身体を揺すったが、やはり反応はない。飛行場を占領した時、古兵が狙撃された時と同じ死に様であった。

「頭を上げるな!」

 アサキに言われるまでもなく、分隊全員で地べたに抱き着くような形で伏せる。

 頭上を銃弾が飛んで行くので身動きが取れない。これでは進む事も戻る事も出来ず、とにかく早く銃撃が終わるのを待つしかなかった。

 号笛ホイッスルの音が鳴り、怒号と蛮声が聞こえる。

 伏せているミキたちは現状を全く把握できなかったが、中隊の方では既に反撃を開始していた。

 大隊から派遣された重機関銃が引っ切り無しに鳴き、歩兵砲や擲弾筒が砲声を上げる。

 しかし何しろ双方に距離があったので敵の姿を捉える事が出来ない。機関銃や火砲は引っ切り無しに撃っていたが小銃の発砲はまばらだった。

 構図としては河川での戦いの時に近い。

 ひたすら双方で向かい合って撃ち、どちらかが動かなければ状況は変わらないという一種の膠着状態である。

 そして河川の戦いの時と同様、膠着状態を破ったのは敵側による前進であった。号笛と怒号が轟き、敵兵たちが前進を開始する。

 しかし今回の前進は河川の時とは大きく異なっていた。

 重厚なエンジン音が響き渡り、巨大な鉄の塊が大地を踏み締めて周囲を揺れ動かす。鉄と鉄がぶつかり合うような、独特で不気味な音が戦場に轟いた。

 そして倒木で舗装された森の道を抜け、巨大な鋼鉄の猛獣が姿を現す。

 巨大な鉄製の肉体を持ち、心臓の代わりにエンジンを備え、四肢の代わりに履帯を付けた怪物――戦車である。

「どっから湧いて来やがった!」

 アサキが悪態を怒鳴るのに被せるように、戦車の火砲が咆哮を上げる。

 砲弾は原野を易々と越え、中隊に対して襲い掛かった。

 派手な爆発音。土砂が舞い、爆炎と爆風が兵士たちに襲い掛かる。

 戦車は一輛だけではない。片手を超える数は軽くいる。それらが一斉に戦車砲を撃つのだから堪らない。さらに戦車に装備されている二丁の機関銃が目に見える物を片っ端から撃つ。まさに圧倒的な火力である。

 しかし今のミキには仲間を気遣うだけの余裕はなく、ただ地面にしがみ付くように伏せているしかなかった。

 大地を踏みしめる戦車の前進に合わせ、敵兵たちも前進を開始する。士気を鼓舞するための民族楽器の演奏が響き、号笛と怒号が繰り返された。

 世界的な基準でいえば敵戦車は「軽戦車」に分類され、胴体も大砲も比較的小さな部類に入る。

 しかし歩兵にとっては「巨獣」以外の何物でもない。そのうえ第五中隊にはまともな対戦車兵器がほとんどなかった。

 歩兵の直協火力である歩兵砲や擲弾筒の砲弾は対歩兵用の榴弾であり、装甲目標を攻撃する事は想定されていないのである。

 それでも何とか食い止めようと砲弾が飛来するが、効果の有無以前になかなか命中しない。当然だ。どちらも戦車のような動く目標を狙う事など想定していないのだ。

 中隊による必死の防戦と前進する敵。堪らないのは双方の合間にいるミキたちで、敵味方問わず銃弾、砲弾が飛んで来るものだから身動き一つとれなかった。

 さりとて動かないでいるわけにもいかない。

 何しろ敵は前進してきているのだ。逃げずに留まれば間違いなく死ぬのである。

 しかし頭を上げると撃たれる可能性があるので中々動けない。

 ミキは近くで伏せているアカツキと目配せをして、雑嚢から手榴弾を取り出した。

 せーのっ、で二人同時に適当な場所に手榴弾を投擲。爆発したのを確認してから揃って走り出す。

 しかし僅かに数歩で二人は逃亡を断念せざるを得なかった。既に敵が間近まで迫っており、銃弾と砲火でとても逃げられるような状況ではなかったのだ。

 二人とも、落ちるようにして窪みの中に逃げ込む。

 そして息を吐く間もなく、二人の目前に戦車の履帯が現れた。

 ミキとアカツキは抱き合って悲鳴を上げたが、戦車が止まる事はない。悲鳴ごと押し潰すかのように履帯が二人に襲い掛かった。

 二人とも咽喉が張り裂けんばかりに悲鳴を上げる。泣き喚いていると言った方が正しいかもしれない。

 騒ぐ二人の上に無慈悲に履帯が降りてくる。

 僅か一メートル。

 まさに二人の目前を戦車は通り過ぎていった。穴の底にいたので何とか踏み潰されずに済んだのである。

 ほとんど土に埋まった状態になったまま、ミキとアカツキは抱き合いながら大声で泣く。

 逃げないといけないとか、戦闘中だとか、そういう考えは何処かに全部飛んでいた。とても、まともな状況判断を出来るような状態ではない。

 二人とも軍袴ズボンの股にシミが出てきていたが、今はそんな事はどうでも良かった。

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