第2話 莫迦と濃霧

 ミキが陸軍に入ったのは十六歳の時だ。

 陸軍では志願できる年齢は十六からと定められているので、ミキは規定ギリギリの年齢で志願した事になる。こう書くと愛国心と「やる気」に満ち溢れているようだが、その実態は「逃亡」だった。

 ミキのド田舎百姓の娘である。昨今は不作や物価高の影響で生活に瀕している農家も多いと訊くが、幸いにしてミキの家は極貧というほどではなかった。

 それでも貧乏農家である事に変わりはないので年頃の娘を遊ばせておくような余裕はない。ミキ自身は高等女学校の進学を希望していたが、両親、特に父親はミキの事を他所の家に嫁がせようと考えていた。 

 これは突飛な考えではなく、ミキの住んでいるような田舎では一般的である。むしろ娘を進学させる方が余ほど突飛だ。

 しかしミキは嫁入りなど真っ平御免であった。

 まだ青春を謳歌したい年頃であったし、何よりミキの村では亭主関白が基本である。世間では男女平等が進んでいるとはいえ、嫁が亭主を置いてパーッと遊ぶなど許されない。嫁に入るという事は即ち自由を失うという事と同義である。

 そのうえ嫁入り先の選定は親に権利があるので、好きでも何でもない相手の嫁にならねばならない。そんな結婚は絶対に嫌であった。

 しかし嫌だ嫌だと言っても親は嫁に行かせたいわけだし、ミキにも拒否権などという贅沢な物は存在しない。

 そこでミキが考えた「逃亡」方法が入営であった。

 軍国主義の空気が強いヨモツ国では兵隊になる事は名誉であるとされている。徴兵で引っ張られる男が万歳で見送られるわけであるから、娘が「軍隊に行きたい」と言えば否とは言えない。

 そしてミキは学校の教師を経由して志願入営の旨を親に伝えた。こうすれば第三者がミキの志願を知るわけなので親は尚更駄目とは言えない。こうして首尾よくミキは陸軍に志願し、入営が決まったのである。

 そしてその考えが莫迦だと知ったのは入営してからの事であった。

 教班長や古兵たちが優しかったのは最初の一日だけ。あとはひたすら殴る、蹴る、しごかれるの毎日であり、自由など夢のまた夢。巷では「徴兵懲役一字の違い」なんて言われているが、まさに「堀の無い刑務所」であった。

 しかしそんな所でも「住めば都」とでも言うのだろうか。

 入営してから知り合ったアカツキを始めとする戦友たちとは仲良くやっているし、一年経って古兵が満期除隊してからは兵営生活もかなり楽になった。なんだったらこのまま軍に残っても良いかな? などという莫迦な考えも頭に浮かんでいた時である。

 戦争が起きた。

 兼ねてより緊張状態にあった「エルフィンシア王国」とその属国である「マーガレット公国」が突如としてドウメキ島に上陸したのだ。

 ドウメキ島は何処の国にも属していた無人島である。世界中央大陸の北西、大内海と呼ばれる地域に浮かぶ孤島だ。

 そのドウメキ島で海底資源だか何かが出たのだという。そしてその調査のために王国および公国は協同の調査団を派遣した。

 そこまでだったら戦争にまで発展はしなかっただろう。だがあろう事か王国と公国は島に飛行場を建設し始めた。

 連絡用という主張であるが、もしこの飛行場が完成すれば一時間も満たないで航空機がヨモツ国の上空に飛来できるようになってしまう。当たり前だが帝政ヨモツ国としてはそれだけは絶対に避けねばならなかった。

 このドウメキ島問題をヨモツ国は周辺諸国と協同して解決しようとしたが、相手とするエルフィンシア王国は世界ナンバーワンの国力を持つ超大国である。交渉の席には全く着こうとせず、遂には周辺諸国の意見を無視してドウメキ島の飛行場建設を開始した。

 こうなるともはや外交云々以前の問題である。

 多数の同盟国援助の下、遂にヨモツ国は軍事的手段を以てドウメキ島問題を解決する事に決定した。

 そしてヨモツ国政府の上層部はドウメキ島に展開している王国および公国の警備隊、飛行場設営隊を武力を以て放逐する事を軍に命令。軍は万が一のために備えていた部隊をドウメキ島に急派し、上陸させた。

 そしてその派遣されたのが、どういうわけだかミキのいる歩兵第四六三連隊を主力とする独立混成第四四旅団だったわけである。


   ◇


 軍用毛布の中でミキは目を覚ました。

 外は薄暗く、どうやら未だ日は昇っていないようである。

 起床時間まで余裕があったのでミキは二度寝と決め込もうとしたが、どうにも目が冴えてしまって眠れなかった。今まで起床時間前に起きる事などなかったのだが、やはり敵地にいるという緊張があるのかもしれない。

 敵地上陸の第一日目、どうやらミキたち上陸第一波はツイているようであった。

 上陸は無傷で行われ、やはり無傷で敵の監視哨と思われる広場を確保出来ている。そして終日、その場の維持を命ぜられたミキたちはその場で就寝する事が出来た。

 話しによると第二派の部隊は上陸後、日が暮れてからも物資の荷揚げに奔走し、潮風に晒されながら浜辺で寝たそうだ。

 それに対してミキたちは広場の中にあった半埋蔵式の居住区域に宿泊している。寝台なんて贅沢な物はなかったが、それでも外や地べたで寝るよりは快適に眠れた。これだけでも天と地の差である。

 さらにミキにとって幸運だったのは、恐らく敵が使っていたと思われるスプーンを手に入れられた事だ。野戦での飲食は主に飯盒で行うのだが、箸だとどうしても底の物が取り難いのである。しかし匙だと簡単に取る事が出来るので、手に入ったのは有難かった。

 眠気眼のミキがふと周囲を見渡すと、他の者も眠れないのかモゾモゾ寝相を変えたりしている。阿保ヅラ晒して寝ているのはアカツキくらいだ。剛胆なのか無神経なのか。おそらくどっちもだろう。

 寝てるのか起きてるのか解らないような時間を過ごした後、日が昇ると後方部隊から届いた食糧で朝食と弁当を作った。白米、缶詰、粉末味噌の味噌汁という簡素な物だけだが、それでもお腹いっぱいに食べて出発の準備をする。

 目標は公国の設営隊が造ったという飛行場だ。

 少しややこしいが、いちおうドウメキ島の飛行場はマーガレット公国名義らしい。しかしその実態は宗主国であるエルフィンシア王国の所有物である。従って島には公国軍の警備隊だけでなく、王国軍関連の部隊もいるであろうというのがミキたちに伝えられた事前情報だった。

「公国や王国の将校は森人族エルフが多いって聞くけれど」

 背嚢を背負いながらミキは言う。

「エルフってどんなの?」

「耳が長いって話しっスよ」

「いや、それは知ってるけれどさ」

 一応はミキたちのような下っ端兵隊も座学で王国、公国軍の装備や人種等の基本的な情報は学んでいる。そのため王国、公国の支配階級であるエルフ達が長い耳を持ってるという事も当然知っていたが、ミキには未だピンと来ていなかった。

「嫌でも知る事になるさ」

 そう言うのは同年兵のゼンザイ・アサキである。アカツキ同様に少年のような顔つきの女性兵だが、アカツキと違って手足は長く目付きも悪い。

「なにしろこれから戦争なんだ。敵なんて嫌でも見るさ」

 言いながらアサキは鉄帽の顎紐を結ぶ。

「他にも凡人族ヒュマ犬耳族コボルト小人ホビットなんかもいるらしいが、まぁ、どれも見てからのお楽しみだな」

「詳しいっスね」

 感心しながらアカツキも顎紐を結ぶ。

「詳しいついでに教えて欲しいのだけれど、なんで私たち第五中隊が先鋒なのかな。連隊には捜索大隊あるし、中隊だって九個ある。それなのに真ん中の第五が先鋒っておかしくない?」

「そんなのオレが知るかよ」

 ぶっきらぼうに言ってアサキは小銃を担いだ。

「なんか事情があるンだろ。ほら、急がないと置いて行かれるぞ」

 納得はいかないが置いて行かれるわけにはいかない。ミキも小銃を担いで整列している部隊に加わった。

「第二小隊を先鋒にして飛行場まで進む。射撃は命令あるまでするな」

 出発、と第五中隊隷下の第二小隊は横隊を作って前進する。

「また貧乏くじだ」

 思わずミキは嘆いた。

 ここで簡単であるが、ミキたちの部隊の話しをする。

 ドウメキ島に上陸したのは独立混成第四四旅団だ。これは歩兵第四六三連隊を中核に編成されており兵数はおよそ八千名。

 歩兵連隊には三千名ほどの歩兵がおり、連隊の他に工兵隊、砲兵隊、捜索大隊などといった補助部隊が付いている。混成旅団に「混成」という文字がつくのは、こういった様々な兵科で編成されているからだ。

 連隊は三個の歩兵大隊と補助部隊で編成されており、一個大隊の下には二百名前後の歩兵中隊が三つに重機関銃や歩兵砲と呼ばれる小型の大砲を扱う部隊が附属している。

 つまり一個連隊には歩兵中隊が九つあり、ミキは第五中隊の所属だ。

 そして中隊には三つの小隊がある。その下には四つの分隊だ。

 従ってミキの所属を正確に描くと独立混成第四四旅団、歩兵第四六三連隊、第二大隊、第五中隊、第二小隊、第二分隊となる。

 第一分隊は小隊長がいる分隊なので、第二小隊が先鋒となると必然的にミキのいる第二分隊が先頭を行く事になる。

 木々の密集した森の中は上陸してきた時と同様に暗くて視界が悪かった。それどころか霧まで出ており、文字通り一寸先も見えない。隣を歩いている筈のアカツキでさえボンヤリと陰が浮かんで見えるのみであり、その姿を捉える事は容易でなかった。

 さりとてもしかしたら敵がいるかもしれないので声を掛け合う事も出来ない。出来るだけ音を立てないように、姿勢を低くして進んでいく。

 誰も彼も無言で、足音さえ気を付けているから森の中は静かである。時折り例の気色の悪い鳥の鳴き声だけが聞こえて来るが、それが耳に届く音の全てであった。

 いちおう飛行場までは約一〇キロ程と言われており、山あり谷あり状態だが一日で走破できない距離ではない。しかしこれだけ視界不良な状態では到着どころか半分行けるかどうかすら怪しかった。

 銃剣を付けた小銃を槍のように構え、ゆっくりと一歩一歩正確に前に進んでいく。

 隆起した木の根や顔の前を遮る小枝などが煩わしい。

 ふと。

 ぼんやりと何かが見えた気がした。

 立ち止まり、小銃を構えて凝視する。無論、濃霧のせいで何も見えない。しかし一度気になると、もう「何か」がいるような気がしてならなかった。

 ジッと凝視し、濃霧の中にあるものを見出そうとする。

 瞬間。

 ポンッと肩を叩かれてミキは銃剣を突き出しそうになった。それでなくても跳び上がる寸前である。

「交代だ」

 肩を叩いたのは後続の分隊の兵であった。流石に同じ兵隊をずっと先頭にしておくと疲弊するので、時折り交代する事になっていたのだ。

「今あそこに何かいた」

 ミキが小銃を構えて差すと、仲間の兵隊も同じ方向に小銃を構える。

「何かって、なんだ」

「解らない」

 言いながら、一歩一歩、にじり寄るように「何か」が見えた場所に向かっていく。

 相変わらず濃霧で視界が悪く、ほとんど何も見えない。

 だが数分ほど警戒しながら進んで、二人はホッと安堵の溜息を吐きながら銃を下げた。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花、か」

 それは言葉通り、古くて細い木だった。ちょうど人の腕と同じくらいの高さで左右に枝が伸びていたから見間違えたのだ。

 途端に恥ずかしくなってミキは先鋒を任せて後ろに下がった。あれだけ怖かったのに、正体が解ってしまうと莫迦らしくて仕方がない。

 莫迦らしい、と言えばこの後である。

 ほとんど丸一日掛けてミキたちは何とか飛行場に着いたが、そこには敵の姿はなく、それどころか既にヨモツ国の国旗である「飛龍旗」が翻っていたのだ。

 なんて事はない、ミキたちが上陸した少し後に別動隊が他の場所から上陸して飛行場を占領したのである。

 濃霧の森の中を緊張しながら急いだだけ損だ。

 全くもって莫迦莫迦しい話しであった。

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