鬼と兵器と戦友と

矢舷陸宏

ドウメキ島上陸

第1話 敵地上陸第一歩

 突き抜けるような晴天だった。

 真っ青な空のキャンパスには白い雲がポツポツと描かれ、緩やかな風によって至極ゆっくりと流れている。蒼穹の下の海も同じくらい青々としており、燦々と降り注ぐ日光が反射して輝いていた。

 そんな美しい光景を台無しにするかのように、洋上を多数の船舶が波を立てながら横切っていく。

 奇妙な船だった。

 エンジンとスクリューをとって付けた空き箱のような外観で、蓋に該当するような屋根は無い。波の飛沫が吹き込むままになっていおり、その「箱」の中にはギッシリとお菓子のように兵隊が詰め込まれていた。

 上陸用舟艇。

 敵地上陸を行う兵士たちを載せる小型船舶である。

 実際、上陸用舟艇に乗り込んでいる兵隊たちはいずれも完全武装であった。着用している軍服は濃緑で、装備を通した帯革ベルトのバックルには「帝政ヨモツ国」の国章が描かれている。必需品をパンパンに詰めた背嚢リュックサックが嵩み、船が波で揺れる度に隣同士ぶつかり合っていた。乗り心地より、とにかく「詰め込む」ことを優先したが故の余裕の無さである。

 そして揺られる兵隊たちの額には奇妙な突起物が生えていた。

 角、である。

 比喩でもなんでもなく、彼ら彼女らの額には牛のような二本の角が生えていた。

 軍事国家「帝政ヨモツ国」に住む「鬼人族オーガ」と呼ばれる民族の身体的特徴である。

 鬼人族は帝政ヨモツ国の人口の八割を占めており、そのヨモツ国の陸軍に属する上陸用舟艇であるから、当然、乗り込んでいる兵隊たちは例外なく角を生やしていた。

 現在、角は保護のために革や厚い布製の保護具で覆われている。そのため遠目から見ると鉄帽ヘルメットの装飾品であるようにも見えた。

「吐きそう……」

 大きく揺れる船内で一人の兵隊が呟いた。

 切れ長の目をした女性兵である。他の兵隊たち同様、黒髪に金色の瞳であるが、顔立ちはよく整っていた。

「吐きゃ良いじゃないスか。楽になるっスよ」

 少年のような顔の兵隊が受け答える。先の兵隊同様の若い女性兵だ。というよりも、この上陸用舟艇に乗り込んでいる者は過半数が女性兵であった。

「そういうわけにもいかない、よ……」

 船の揺れに合わせてグラグラ揺れる切れ目の兵隊。

 彼女だけでなく、上陸用舟艇に乗り込んでいる者の大半が船酔いになっていた。

 上陸用舟艇は船の前面が渡し板になっており、上陸する際にはソレが降りて即座に兵隊が展開出来るようになっている。そこまでは効率的で良いのだが、平らな船首は凌波性が悪くて波がぶつかるとモロに揺れるのだ。

 そして輸送船から移乗して三十分以上、揺れに揺られている状態なのである。

 そのため兵隊はみんな顔面蒼白であった。

 しかしそれは何も船酔いのせいだけではない。これから兵士たちは敵のいる島に上陸するのである。船酔いでなくとも気分は悪く、吐き気がするような心境であった。

「酔い止めあるよ」

 前の方に乗っている兵隊がそう言って、後ろの兵隊に「ベニキリに渡して」と錠剤を託す。

 伝言ゲームのように錠剤が回され、少年顔の兵隊がそれを受け取ると切れ目の兵隊――ベニキリ・ミキに差し出した。

「ほら、酔い止めっスよ」

「ありが…………ぉうぇッ」

 受け取ろうとした瞬間、ミキは我慢できずに胃の内容物を全部吐き出してしまった。

「きったなッ!」

 ブチ撒けた反吐が少年顔の兵隊の手に襲い掛かる。

 慌てて手を引っ込めたものだから錠剤は何処かに飛んで行き、そのまま行方知れずになってしまった。

 ミキが吐いたのに釣られて、今まで我慢していた兵隊たちも一斉に吐き出す。何しろすし詰め状態であるから避ける場所もない。床にブチ撒けるなら未だマシで、中には前に立っている兵隊の服に吐く者までいた。

 一瞬にして船内は大惨事となったが、降り込んで来る海水によってブチ撒けられた反吐は洗い流されていく。

「手に吐くのは勘弁してほしいっス」

 入り込んでくる海水で手を洗いながら少年顔の兵隊は言う。

 彼女の名前はアイカヤ・アカツキといい、ミキとは同年兵である。

「ごめ……ぅおえっ」

 再びミキは吐く。

「早く、着いて……」

 浜辺で待っているのは銃弾か、それとも砲弾だ。

 しかし今のミキにはそんな事を考える余裕はなく、何なら今すぐにでも海に飛び込みたいような心境であった。

「浜に着く前に死ぬんじゃないスか?」

「ホントに死ぬかも……」

 絞り出すような声で返事をしながらミキは頷く。

「上陸三十秒前!」

 操舵員からの報告。

「実包装填ッ!」

 小隊長の号令。

 船内にいる全員が弾薬盒ポーチから弾薬を取り出し、小銃ライフルに装填する。もちろんミキも他の者と同じように、五発の弾薬が付いた挿弾子クリップで愛銃に装填した。

「扉が開いたら即座に上陸し、そのまま予定通り集合地点に向かえ。途中で止まると後続がつかえる。とにかく脇目も振らずに走れ」

 それだけ言うと小隊長は兵隊たちを見渡して頷く。

「集合地点で会おう」

 何人かの兵隊が円陣を組むように手を重ね合い、お互いに声を掛け合う。

 上陸の緊張を前にしてか、ミキの気分の悪さも消えた。というより自分が酔っていた事すら忘れたと言った方が正しい。

 今は不安と恐怖が膨らみ、思わず叫び出しそうな心境になっていた。

「ミキ」

 アカツキがミキの肩を小突くように叩く。ミキも彼女の顔を見て、小さく頷いた。

「うん。後で会おう」

 ピーッという警笛と同時に上陸用舟艇前方の渡し板が降り、続けとばかりに小隊長が軍刀を引き抜きながら真っ先に跳び出す。少し遅れて兵隊たちもそれに続き、一斉に集合地点にまで駆けて行った。

 ミキも上陸用舟艇から跳び出すと、脇目も振らずに無我夢中で走る。

 予想していたような銃弾や砲弾は飛んでこない。それでも必死になって浜辺を駆け抜ける。

 鋲付きの編上靴ブーツが重くて砂浜を上手く走れない。うっかりすると転びそうになってしまう。それでも懸命に、無我夢中でミキは走った。

 浜辺はそれほど広くはなかったが、それでも重い装備、走り辛い足元、そして全力で駆け抜けた事で集結地点に着いた時には誰も彼もが息絶え絶えになっていた。

 しかし銃弾は飛んでこない。

 まるで全力疾走してきた兵隊たちを小莫迦にするように、浜辺はシンッと静まり返っている。ただ波打ち際の方で後続の部隊が上陸している音だけが喧しい。

「静かっスね」

 いつの間に来たのか、ミキの隣で身を隠しているアカツキが言う。

「うん」

 目前に広がる鬱蒼とした森に小銃を向けながらミキは頷いた。

「一発撃ってみましょうか」

 誰かが言うが、小隊長が「止めろ」と制止する。

「上手く奇襲上陸が出来たのかもしれない」

 そういう小隊長も不安なのだろう。後から合流した中隊長や他の小隊長たちと小声で協議している。しかしそんな小さな声も兵隊たちの耳に届くほど、浜辺は静かであった。

 全くの無抵抗、というのは小隊長を始めとする指揮官たちにとっても想定外であったらしい。

 とりあえず浜辺周辺の安全確保が急務であるとして、ミキの属する第五中隊を先鋒にして上陸部隊第一波は浜辺を出発した。

「なんか貧乏くじ引いたみたい」

 ミキは不服を口にする。

「なんでっスか?」

「だって折角無傷で上陸出来たのに、また敵が居そうな所に突っ込むわけじゃない。悠々と上陸出来る第二派の連中が羨ましいよ」

「でも一番乗りって栄誉は私たちが全部貰いっスよ」

「はいはい。真面目な事で」

 呆れながらミキは口をへの字に曲げる。職業軍人ならともかく、ミキのような下っ端兵隊は基本的に「栄誉」なんて大層なものに興味はなかった。もっともそれを言うならアカツキも同じなのであるが。

 最初のうちは他の兵士たちも文句を言っていたが、木々の密集する森に一歩足を踏み入れると口を開く者はいなくなった。

 森の中は日光が薄っすらとしか入って来ないので暗い。至る所で木の根が隆起しており、うっかりすると足を取られて転びそうになった。

 何処からか鳥の鳴く声が聞こえてくる。

 耳障りな鳴き声で、しかし何処にいるのかは解らない。そもそも密集した木々に反響して、どの方向から聞こえてきているのか見当すら付かなかった。

 誰かが枝を踏み、折れる音がなる度に跳び上がりそうになる。

 うっかり撃つといけないので指は引き金に当てずに伸ばし、取り付けた銃剣が即座に突き出せるような構えで前に進んでいく。

 とにかく視界が悪い。少し気を抜くと周囲を歩いている戦友たちを見失いそうになる。

 不意に。

 何の前触れもなく視界が開けた。

 あまりにも唐突に日の光の中に飛び込んでしまったものだから目が眩み、ミキは慌てて暗がりの中に転がるように逃げ込む。

 そこは森の中に突如現れた広場のような場所であった。

 木々を切り倒した跡があり、一目見て自然に出来た物ではなく人の手で作られたという事が解る。

 この島は敵上陸以前は無人島であったという話しだから、必然的に人工の物は全て敵が構築したものだ。

 一瞬にして緊張が極限まで達し、全員が持っている小銃を広場に向ける。

 しばらく小銃を構えたまま、誰も何も言わず、行動もしなかった。

 ただ先ほどの耳障りな鳥の鳴き声だけが聞こえてくる。

 ……静かだ。

 思い出したかのように小隊長が指示を出し、兵士たちが左右に展開しながら広場に入っていく。

 予想していたような反撃は一切なかった。否、それどころか敵の姿すらない。所々に塹壕のような埋没式の兵舎らしき物があったが、そこにも人影は見当たらなかった。

 しかし放り出された寝具や食べかけのスープが入った食器など、先ほどまで生活していたかのような痕跡だけは残されている。

「なんか……夜逃げしたみたいっスね」

 確かにアカツキの言う通り、まるで大慌てで逃げていったかのような様相であった。

 ふと見ると、広場の端にある一際大きな樹に梯子が掛かっている。

 その事を小隊長に報告すると、登ってみろと言われたので嫌々ながらミキは梯子を上がっていった。

 敵がいたらどうしよう。梯子を昇っているわけなので即座に武器を取り出す事は出来ない。

 しかしミキの心配は杞憂で済み、梯子の先には誰もいなかった。

 ホッと安堵の溜息を吐く。

 そしてそこから見渡す光景で、ミキはこの大樹が見張り台として使われていたであろう事に気付いた。周囲の樹海は木々が邪魔で何も見えないが、浜辺の方は一望出来るのである。

 どうやらこの広場は監視哨の類であるらしかった。

「ではなぜ逃げた?」

 小隊長は首を傾げる。

 監視哨であるならばミキたちの状況を司令部か何処かに逐一報告すべきなのだ。

 ところがミキたちが広場に来た時点で誰もいなかった。それはつまり監視を放棄して逃げた事を意味している。

「しかし少なくとも我々の上陸が敵に知られたのは間違いない。小隊は現在地を維持。敵襲に備えるぞ」

 小隊長の命令で、ミキたちは広場の中の状況を確認し、改めて敵がいないかどうかの確認を行う。


 この日、帝政ヨモツ国陸軍、歩兵第四六三連隊は一滴の血も流さずに「ドウメキ島」上陸に成功した。

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