第3話 狙撃
日が暮れる間際の飛行場には戦闘をした形跡がなかった。
聞くところによるとミキたちが広場に突入した時と同様で別動隊が到着した時には誰もいなかったらしい。
飛行場の各所に残された大きな穴も、敵が撤退時に行った破壊工作ではなく上陸前の艦砲射撃で空いた物なのだそうだ。要するに敵は何もしないで一目散に逃げていったわけである。
ひとまずミキたちの第五中隊に残敵の捜索が命じられたが、既に敵はいないという事は明白であり、捜索というよりも飛行場散策と言った方が正しかった。
「随分と質素な飛行場っスね」
周囲を見渡しながらアカツキがボヤく。確かに彼女の言う通り飛行場というには些か殺風景過ぎた。
管制塔と言っていいのか解らない大きな建物がポツンと一つ。それに幾つか小さな掘っ立て小屋。飛行場というよりも空き地と言った方が正しそうなくらいである。
「滑走路が出来ただけだったんだろ」
首を鳴らしながらアサキが言う。
日が暮れる前に到着出来たとはいえ、流石に濃霧の森を緊張状態でずっと歩いていたので身体がカチコチに固まっていた。
「じゃあ未だ飛行機使うのは無理な感じなんだ」
「どうだろうな。オレは専門じゃないし」
ボンヤリとした会話をしながらミキたちの分隊は歩く。
滑走路の真ん中では工兵の乗ったブルドーザーが忙しなく走り回っている。
設備だけでなく、機材関係までほとんど手付かずで残されていたらしい。お蔭で機材の荷揚げ前から作業が出来ると指揮官たちは喜んだが、工兵たちは「休む暇もねぇ」と文句たらたらだったそうだ。
「逃げる時にあれも持っていけば良かったのに」
「あんなので森の中に入れるかよ」
「あっ、そうか」
会話をしながら歩いていく。まるで呑気に散歩をしているような気分であった。
「分隊、左右に別れろ」
唐突に分隊長の軍曹が指示を出す。
半埋蔵式の小屋を発見したのだ。遠目からでは解らなかったが、倉庫か何かであるらしい。
しかも明らかに中で何かが動いているような気配がする。
一瞬にして緊張が奔り、左右に別れた分隊はゆっくりと小屋に進んでいく。
距離を詰めて行くと、小屋の中から何かが歩く音が耳に届いた。こうなると気の迷いなどではない。不規則な動きは確実に生物のソレである。
「気を付けろ、敵兵かもしれん」
注意しながら前進し、先頭を行く古兵が小屋の扉に手を掛けた。
瞬間。
不意に何かが飛び出して来て、思わず古兵が「敵だァ!」と叫びながら発砲する。銃声が響いたがロクに照準を付けていなかったのか、弾は小屋の奥に飛んで行っただけだった。
ミキたちも慌てて照準を付けたが、小屋の中から出てきたモノを見て思わず笑い声が零れる。
小屋から出てきたのは豚であった。
どうやら飼育小屋の類であったらしい。ぶうぶうと鳴きながら数匹の子豚がトコトコ歩いてくる。
「古兵殿、それが敵ですか」
思わずミキは古兵を揶揄した。というのも普段からこの古兵には弄られているからだ。こういう時くらいはやり返しておきたい。他の兵士たちもゲラゲラ笑っていた。
「クソッ!」
顔を真っ赤にして、古兵は豚に小銃を向ける。
「撃ち殺してやる」
乾いた銃声。
しかし血を噴き出したのは豚ではなく古兵だった。銃弾も古兵の小銃からは撃ち出されておらず、カタンという音を立てて地面に落ちる。
「狙撃兵ッ!」
アサキが叫び、反射的に全員がその場に伏せ、あるいは物陰に隠れる。
しかしミキは何をどうしたら良いのか解らずに立ち尽くしていた。
目の前で古兵が血を出して倒れている。
直ぐに助けに駆け寄るべきなのか、それとも無視して伏せるべきなのか。
いま何が起きているのか理解が追い付いていなかった。
「伏せるっスよ!」
アカツキがミキの襟首を掴んで物陰に引っ張り込む。
途端に今までミキが立っていた所に着弾して砂煙が立った。
どうやら狙われていたらしい。アカツキが引っ張り込んでくれなければ撃ち抜かれていたところだ。
しかしミキはアカツキに礼を言えなかった。
とてもでないが、それどころではなかったのである。
「何処から撃って来やがった」
困惑するミキを置いて状況はどんどん進んでいく。戦場に「待った」は存在しないらしい。
「オレならあの残骸から」
物陰の隙間からアサキが軍曹に教える。ミキの位置からは見えなかったが、どうやら何かの残骸があるらしい。
「クソッ。迂闊だった」
悪態を吐きながら軍曹は双眼鏡で確認し、アカツキを呼んだ。
「小屋の残骸の二階に狙撃兵がいる。やれるか」
「この程度の距離なら楽勝っス」
「よし。全員、頭上げるなよ」
アカツキが匍匐前進で射撃位置に着く間、他の兵士たちはみんな物陰や地面にへばり付いていた。周囲の状況が気になってはいたが、下手に動けばお陀仏になるのは明白である。
そんな状況下でミキは目の前に転がる古兵から目が離せずにいた。
既に死んでいるのか、古兵はピクリとも動かない。ただ血だまりがジンワリと広がっていっている。
本来ならば真っ先に生死を確認せねばならない状況の筈なのに、誰も彼もが古兵の事を忘れているかのようだった。
「古兵殿」
倒れている古兵にミキは声を掛ける。返事はなく、ピクリとも動かない。やはり死んでしまったのだろうか。
こんなに呆気なく?
さっきまで喋っていたのに?
全く現実味がなく、ミキはただ倒れている古兵をずっと見つめていた。
銃声。
思わず身を縮める。
少しの間があってから「仕留めたっス!」というアカツキの声がして、全員がホッと安堵の溜息を吐いた。
即座にミキは古兵に駆け寄って息を確認する。しかし彼は既に絶命していた。
即死だったのか、それとも一瞬なにか考える暇があったのか、目を大きく見開いて驚いたかのような死に顔である。
少なくとも自分の死を理解した顔ではなかった。
「ベニキリとゼンザイ、あの小屋を確認して来い」
軍曹が少し離れた場所にある小屋の残骸を指す。飛行場に立っている掘っ立て小屋では唯一の二階建てだった。
「はい。ベニキリ、行くぞ」
「え?」
何を言われたのか理解が追い付かず、思わずミキが訊き返すとアサキは大きくミキの肩を揺さぶった。
「しっかりしろ!」
それでようやくミキは我に還った。
今は戦争中だ。我を見失っている場合ではない。
小銃を持ったミキはアサキと一緒に小屋まで走る。いちおう後方で分隊員たちが小屋に照準を合わせてくれているが、まだ小屋の兵士が生きているとも限らない。それに他に兵士がいる可能性だってある。
とにかく古兵のように狙撃で死ぬのが嫌で、ミキは懸命に小屋まで走った。距離にすれば三百メートルほど。装具を付けての全力疾走なので息が切れる。
小屋は艦砲射撃によって半壊していた。そのため外部からでも容易に中の様子を窺う事が出来る。逆をいえば中から外が丸見えという事だ。
小屋まで到着したミキとアサキはなるべく中から見えないように壁際にくっついた。
「手榴弾ブッ込むぞ」
アサキが手榴弾を取り出し、ミキは頷く。
取り出した手榴弾の安全栓をアサキが抜いたのを合図にミキが
信管を頭で引っ叩いてからアサキが手榴弾を投げ込み、二人でその場に伏せた。
爆音。中から色んな物が粉になって飛び出して来たが、アサキは構わずに窓から内部に小銃を向ける。その間にミキは半分壊れている扉を蹴り開けて中に突入した。
見たところ一階に人はいない……というよりも砲撃によって落ちてきた屋根によってほとんどが埋まっている。
屋根はほぼ全壊しており、直接日光が入ってきているおかげで灯かりがなくても小屋の中は明るかった。
階段をゆっくり昇り、二階に上がる。
二階も一階同様にほとんど全壊状態であり、床すらも半分ほど抜け落ちていた。残っている床も所々に大穴が空いている。
周囲を見渡し、床が抜けないかどうか用心しながら廊下を進んでいくと唯一全くの無傷な部屋があった。
もし狙撃手がいたら間違いなく此処だ。アサキが援護してくれるというので、ゆっくりと半開きだった扉を開けて中に入る。
いた。
慌てて発砲しそうになったが、済んでの事でとどまった。狙撃手……だと思われるモノは片膝を着き、外に銃を向けた姿勢のまま固まっている。
「手を上げろ」
反応はない……というよりもピクリとも動かない。
ゆっくりと近付き、銃口で狙撃兵と思しきモノを突くと崩れ落ちるように倒れたのでミキは思わず跳び上がりそうになった。
「やったみたいだ」
アサキが周囲を確認しながら言ったので、ミキは遠くの分隊員たちに手を振って安全が確保出来た事を知らせる。
「あいつ大した腕だな」
死体を検分しながらアサキは言う。
「一発で脳天ブチ抜いてやがる」
呆れているのか、感心しているのか解らないような口調だった。
ミキも死体を見てみると驚いた事にミキ以上に若い……というよりも幼い少女だ。やはり彼女自身が撃ち殺した古兵と同様、驚いたように目を見開いて死んでいる。
初めてミキは知った。
人間とは、こんなあっさりと死ぬものなのだ。
◇
少女兵による狙撃以外に敵の襲撃はなかった。どうやら彼女は純粋な逃げ遅れだったらしい。持っている物といえば小銃くらいで装備らしい装備は持っていなかった。
死体を放置するわけにもいかないので飛行場での捜索終了後に古兵と少女兵の火葬が行われる。
そしてそれが終わった頃には周囲はもう真っ暗闇になっていた。
「いつまで立ってるんスか」
古兵が斃れていた場所の側で立っていたミキにアカツキが声を掛ける。
「うん」
心ここに非ずという状態でミキは小さく頷いた。
視線の先、古兵が斃れていた場所には未だ赤々と血の痕が残っている。
「豚、焼けたッスよ」
どうやらアカツキはそれを言いに来てくれたらしい。敵が置いていった飼育小屋の豚を調理していたのだ。
しかしミキは食欲がなかったので「いらない」と短く断った。
「食べた方が良いっスよ」
「食欲無い」
「いらないって言っても駄目っス」
妙な言い回しに、ミキは初めて視線をアカツキに移した。
「食べないと後で絶対に後悔するっスから」
笑顔でそう言って、アカツキは半ば強引にミキの手を引いて分隊のいる所にまで連れて行く。
今晩は各隊が分散して飛行場の掘っ立て小屋に宿営しており、豚肉は発見者である第五中隊が独占していた。
もっとも中隊といえば二百名近くの兵隊がいる大所帯である。そのため豚肉独占といっても配られる豚肉は一人当たり一切れ程度であった。
それでも前線では調理したての豚肉などご馳走である。
飯盒の蓋に置かれた焼き豚はパイン缶と醤油で味付けされており、おかわりが欲しくなるほど、憎たらしいほど美味しかった。
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