第6話 訪問ときっかけ


 その後、俺の家に行こうという話になり。

 もし暇だったら今からでもいい? という伊与木さんの提案の下、漫画を買って家に帰ってきていた。


 恥ずかしい話、俺の家に上がったのは家族以外で伊与木さんが初めて。

 どう対応すればいいんだろうかと思っていたがそれは杞憂だったようで。


「へぇー、綺麗にしてるんですね」


「元から物が少ないんですよ」


 伊与木さんは何も気にする様子もなく俺の家に上がった。

 なんとも不思議な光景だ。

 いつも俺がいる空間に、あの学園のアイドルがいるんだから。


 きっと男なら誰しもが羨むシチュエーションだろう。


「でも、なんだか入明くんの家って感じです」


「それって、どういうことですか?」


「なんていうか……入明くんって感じ!」


 それは説明になってなくないか?

 ただ、伊与木さんはそれが正解だと言わんばかりに満足そうな表情をしているので何も言わないでおく。


「あっ、ダンベルだ。鍛えてるんですね」


「そうですね。父からの教えが今も残っちゃってて」


「ってことは、入明くんって結構筋肉あるんですね。まぁあれだけ強かったらそうですよね」


「そうですね」


 筋肉に名前を付ける、まではいかないものの筋トレが趣味ではある。

 数少ない運動機会って感じだ。


「でも、普通に見るとそんなにゴツイ感じじゃないですよね」


「着やせするタイプなんですよ」


「へぇ」


 じぃーっと意味ありげに俺の体を見てくる。

 恥ずかしくなって視線をそらすと、伊与木さんが一歩近づいてきた。


「ちょっとだけ見せてくれませんか?」


「え?」


「腹筋! 腹筋だけでもいいので!」


「ま、まぁいいですけど」


 自信がないというわけではないので、服をめくってみせる。


「えっ、すごい! めちゃくちゃ割れてます!」


「結構鍛えてるので」


「あ、あの……ちょっと触ってもいいですか?」


「さ、触る?! 腹筋を?!」


「だ、だめですか?」


「ちょ、ちょっとなら」


「じゃ、じゃあ……」


 人差し指でつつくように俺の腹筋を触る伊与木さん。

 くすぐったいのを我慢していると、どんどん触る手が激しくなっていく。


「す、すごい……入明くんの、腹筋を、私が……」


 な、なんだこれ?!

 伊与木さんがだいぶだらしない顔をしている?!


「い、伊与木さん?」


「はっ! ご、ごめんなさい。つい夢中になって」


「いいですよ。そんなことより、漫画読みに来たんですよね?」


「は、はい! そうでした」


「本棚にあるんで、適当にとってください。俺は水入れるんで」


「ありがとうございます、入明くん」


 この家に本棚は一つしかないので、すぐに見つけられるだろう。

 冷蔵庫から冷えた水を取り出し、コップに注ぐ。

 もしかしたら俺の家のコップを使うのが嫌かもしれないという配慮から、コップは紙コップにしておいた。


 部屋の中央にあるちゃぶ台に運ぼうとしたその時。


「へぇ、こんなのもあるんだ」


 俺は思わず目を疑った。

 いや、見ていいのかとすら思った。


 伊与木さんが四つん這いの態勢で、本棚の下の段を見ていたのだ。

 こちらに尻を突き出すような態勢。

 決して長くないスカートからはむちっとした足が伸びていて、黒タイツごしのパンツの線がちらちらと見えていた。


 男としての本能が俺に思考停止を迫ったのだ。

 十秒ほど固まる。


 視線を感じたのか伊与木さんは俺の方に振り返った。


「入明くん?」


 その言葉ではっと我に返る。

 俺、伊与木さんの足に完全に意識を持っていかれてた……。


「いや、なんでもないで――あ」


 普段なら間違いなくつまづかない段差。

 そこに見事につまづいた俺は、伊与木さんにとびかかる形で倒れ込んだ。


「きゃっ!」


「うわっ!」


 ドサッ、という音が響く。

 完全に伊与木さんを下敷きにしてしまった。


「すみません! 伊与木さ……」


 言葉を失った。

 童貞の俺にはあまりにも刺激が強すぎる光景だった。


「いたたた……」


 俺のこぼした水をモロに受けた伊与木さんのシャツは黒い下着が透けるほど濡れてしまっていて。

 伊与木さんに覆いかぶさるような態勢は、触れちゃいけない乙女の柔肌に密着せざる負えなかった。

 

 ドクン、ドクンと心臓が鳴り響く。

 早くこの状況から抜け出さなければ。

 そう思ったのが悪かった。


「今すぐどくんで!」


 床に着いた手に力を込めたその瞬間。 

 水で濡れた床がするりと滑り、より完全に伊与木さんに密着してしまった。


「っ!!!」


 伊与木さんの温もりがダイレクトに伝わる。

 明らかに早い心臓の鼓動の音も、もはやどっちのものか分からない。

 鼻腔一杯に広がるいい匂いは、まさに魅惑的でどうにかなってしまいそうだった。


「ほ、ほんとすみません!」


 今度は気をつけて手をつき、伊与木さんから離れる。

 ほぼ俺に襲われたのだ。

 あの時の事件のトラウマもあるだろうに、俺はなんてことを…。


「今のは事故で! ほんと、わざととかでは……って、伊与木さん?」


 ふと見てみると、伊与木さんはボーっとしたように、でもどこか頬を緩ませて俺を見ていた。

 俺の声が聞こえていないようだ。


「だ、大丈夫ですか? 伊与木さん?」


「……大丈夫です。怪我とかはないですから」


「そ、そうですから。ならよかったです。濡れちゃったんで、タオルとか持ってきますね。もしあれだったら着替えとかも」


「……ありがとうございます」


 その後、俺のでかいジャージに着替えた伊与木さんは心ここにあらずと言った感じで予定通り漫画を読んだ。

 心配したのだが、本人曰くあの時のことを思い出しているわけではないようだ。

 

 結局その日は七時くらいで伊与木さんは家に帰っていった。

 一人になった部屋で、はぁとため息をつく。


「伊与木さんに申し訳ないことしたな」


 なんて反省しながら家の扉を閉めた。




 

 それからだった。

 

 伊与木さんのタガが外れたのは。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る