第3話 お礼と危機


 伊与木さんに声をかけられた後。

 俺が入明友成だということを確認した伊与木さんは俺を見てニコッと微笑み、満足そうに帰っていった。


 教室は騒然。

 あの男嫌いの紗江様が入明という男に話しかけに行ったという噂はあっという間に広がった。

 おかげさまで、今日一日見られてばっかりである。


 放課後のチャイムが鳴り響く。

 ふぅー、とため息をつき天井を見上げた。

 ほんと、改めて伊与木紗江といううちの学園のアイドルの人気さを痛感させられた日だったな。


「……帰って寝るか」


 そう心に決めて鞄を持ち、帰ろうとしたところで教室の外が騒がしいことに気が付いた。

 

「え?! あれ、紗江様じゃない?!」


「嘘?! なんでうちのクラスの前に?!」


「あの入明に用があるんじゃない?」


「絶対そうだよ!」


 伊与木さんが俺の教室の前に?

 ほんとにもしかして、俺に用があるんじゃないか?


「私思ったんだけどさ、伊与木さんがわざわざ話しかけに来るって……もしかして、あのヒーローなんじゃない? 入明って」


「た、確かに!」


 鋭い。

 でも思えば、わざわざ伊与木さんが俺に話しかけに来たのは俺が伊与木さんを助けたからなのかもしれない。

 いや、そうに違いない。


「でも入明、陰キャって感じだし違うでしょ」


「あぁー確かに」

 

 納得されてしまった。

 な、なんか複雑な気持ちだ……。

 いろんな意味で気まずいなと思っていると、俺に気づいた伊与木さんがパーッと顔を明るくした。


「あの、入明くん」


「い、伊与木さん……」


 伊与木さんが声をかけたおかげで、さっき俺をボロカスに言ってたクラスメイトがすごい顔してる。

 ここは「何も聞いてませんでしたよ?」という顔でいることにしよう。


「どうしました?」


「今日、この後予定とかありますか?」


「いや、ないですけど」



「じゃあ、一緒に帰りませんか?」


 

「え、えぇ?! お、俺とですか?!」


「は、はい! ダメ、ですか?」


 な、なんだこの人……可愛すぎる!

 上目遣いの破壊力が凄まじくて思わず吹き飛びそうになってしまった。


 いかんいかん正気を保て日本男児!

 顔を横に振り、キラキラとした瞳で俺を見つめる伊与木さんと目を合わせる。


 いやいや、俺と帰ろうって言ってくれた理由が分からなすぎるだろ。

 あの学園のアイドルが、俺なんかと?

 普通に考えてありえないことが現実に起こっている。


 でも、伊与木さんを誘拐犯から助けたのは俺だ。

 もしかしたらその時に、俺に好意を……って、そんなのあり得るわけがないか。


「お願いします、入明くん」


 ダメ押しの一言をもらう。

 周囲はなぜ俺がだんまりなのか不審に思っている様子だった。

 

 周りからの圧が俺を圧迫する。

 俺は逃げるように再び伊与木さんを見た。


 本当にアイドル顔負けの美しい容姿。

 その中でも一際輝きを放つ伊与木さんの瞳が俺をじっと捉える。

 心が伊与木さんの瞳に引き込まれていくような感覚に陥る。

 不思議と伊与木さんの頼みを断れないような、そんな気がしてきた。 


「……分かりました。一緒に帰りましょう」


「ほんとですか?! ありがとうございます、入明くん!」


「い、いえいえ」


 嬉しそうに小さく微笑む伊与木さんを見て、はっと我に返る。

 

 な、なんだこの展開。

 まるで俺がラブコメの主人公になったみたいじゃないか。


 ぽっと頬を赤く染めた伊与木さんと並んで歩く。

 すると廊下を歩く全員が立ち止まり、俺たちを凝視していた。


「う、嘘だろ……」


「俺たちの紗江様が、男と並んで帰ってるぞ!」


「生き甲斐が……生き甲斐がッ!!」


「あの男を調べろ! 今すぐにだッ!!!」


 とんでもない騒ぎになってきた。

 しかし、伊与木さんはそんなのお構いなしに、気品高く歩く。


「ふふっ、少し騒がしいですね」


「で、ですね」


 気まずい空気ながらも歩き、やっとの思いで校門を出る。

 外に出てしまえば人の目はなく、ようやくふぅと一息ついた。


「入明くん、なんかすごい疲れてますね」


「あんなに人の目に晒されるのは慣れてないので」


「ふふっ、入明くんすっごい強いのに、なんだか変です」


「そ、それとこれとは関係ないんですよ」


 単純に慣れていないというだけだ。


「そういえば、どうして入明くんはあんなに強いんですか? 明らかに素人の動きじゃなかったですけど」


「それは……父が格闘家で。幼い頃に色々な武術を叩きこまれたんです」


 思い出すだけでも苦しい訓練の日々だったが、そのおかげで助かったことも多い。

 今となっては父に感謝だな。


「へぇ。じゃあ今度、お父様にもお礼を言わないとですね」


「い、いいですよそれは」


「えぇ? 私はしたいですけど」


「か、勘弁してください……」


 伊与木さんのような美人を連れて行ったらどうなることやら。

 たぶん母はぶっ倒れるだろう。


「というか、まだ私入明くんにお礼できてないですね」


「お礼とか、ほんといいですよ。当然のことをしただけですから」


「その謙虚さ、入明くんらしいです」


 トロンとした瞳で伊与木さんが俺のことを見つめてくる。

 なんだろう。ずっと見つめられたらダメになってしまいそうな、そんな目だ。


「い、伊与木さん?」


「ねぇ、入明くん?」


 伊与木さんが俺の腕にしがみつき、指を絡めてくる。

 ふんわりと香る、いい匂い。

 頭がぼんやりとするような感覚に襲われた。



「私にして欲しいこと、ありませんかぁ?♡」



「っ!!!!」


 我に返り、危機を察知して伊与木さんの腕から逃れる。

 

 なんだ今の感覚は……。

 間違いなく身の危険を感じた。

 

 本能が「伊与木さんはヤバい」と告げている。

 

「あ、あの! 用事を思い出したので帰ります!」


「えぇ? お礼は?」


「ほんと大丈夫なんで! 気にしないでください!」


 走ってその場から去る。

 危機の予感は、もはや確信に変わっていた。





    ♦ ♦ ♦





「あぁー行っちゃった」


「……でも、逃がしたりしませんよ? ふふっ、私のヒーローっ♡」


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