第6話 試練

 さらに10分ほど歩き、ついに2人は目的地へと着いた。

というよりも、ここがあるじがいる場所なのかと疑問に思うような場所だった。

何故なら……。


「――――デーメーテール様?」


「なに?」


「ほ、本当にここが主がいる場所なんですか……?」


「そうよ。一見何もないように見えるでしょ?」


「は、はい」


「そうでしょ? じゃあ、ここで跪いて。もうすぐ主がいらっしゃるから」


「はい……」


 女神デーメーテールの指示に従い、トビーはその場に跪いた。

彼女もその場に跪くと、胸の前で合唱をする。

すると、女神デーメーテールは小さな声で何かを唱え始めた。

近くにいるトビーでさえ聞こえないほど。

 

「――――っ!」


 彼女が唱え終わると、いきなり眼の前に光の筋が天から出現始め、そして眩しい光が辺りを照らす。

トビーは思わず目を瞑り、腕で目を塞いだ。

 そしてしばらくして、だんだんと眩しい光は弱り始め――――目を開くことが出来るほどまでの明るさになった。

目を開けると……。


「呼んだか、デーメーテールよ」


「はい、急にお呼びして申し訳ございません。本日はあるじにお話したいことがあり、お呼びしました」


 目の前に突然、人影が見えた。

しかし、まだ目が慣れていないせいか全体像の詳細が分からない。


「そうであったか。それで、話というのは何だ?」


「実は、わたくしの横にいるトビーという男を、わたくしのお世話役として使いたいと考えております。しかし、彼は地上で暮らしていた人間。そのため、彼に洗礼を受けさせたいと思います」


「なるほど……。そなたがトビーか」


「は、はい! トビー・マフバフです!」


「トビー・マフバフか。普段は農業や畜産で生計を立てて暮らしているようだな」


「えっ、知っているんですか?」


「もちろんだ。我はここにいる神、全てを管理している立場だからな」


「へ、へぇ〜」


 やはり、トップに君臨している神は全てを知っているのかと思ったトビー。

だんだんと、話している者の姿が見えてきた。

どうやら人間と変わらない姿をしているようだ。


「トビーよ。この天界で暮らす覚悟は出来ているか?」


「はい、覚悟を決めてここに来ています!」


「よろしい! では、早速だが試練を受けてもらうぞ! 我の名はゼウス。全てを取り仕切る者。そして、この試練の審判を務めさせて頂く!」


 遂にトビーの目の前にいる人物の全体像が、トビーの目に完全に映し出された。

いかにも威厳がある出で立ちの持ち主だとすぐに分かる。

釣り上がった目と眉が、トビー自身にさらにプレッシャーを与える。

 さあ、トビーの人生がかかった試練が今始まる。

一体どんな試練が待っているのか、固唾を飲んで待ち構えるトビーだった。


「ではいくぞ。準備は良いな、トビーよ」


「はい! いつでも!」


「そなたに与える試練は……。『稲荷神いなりのかみの補助』だ! では行ってくるがよい!」


「は、はい! ――――えっ? それってどう――――」


 ゼウスはそう告げると、右手を天に向けた。

その瞬間、トビーはその場から消えた。

消えた様子を傍で見ていた女神デーメーテールは立ち上がると、ゼウスのもとに歩み寄った。


「――――ゼウス、あんたこれで良かったの? トビーに甘すぎなんじゃない?」


「デーメーテール、お前が選んだ人間だ。お前が厳選してやっと見つけたのだから、素質のある者だと判断した。それに、世話係ならあのような仕事ができれば十分だ」


「はあ……。あんたのそういうところ、本当に嫌い。もっと厳しくやれば良いのに……。彼なら余裕で乗り越えられると思ったんだけど」


「彼を見た瞬間に分かった。あいつは相当な実力の持ち主だとな。だからこそ、このような試練を用意したのだ。それに、あまりやりすぎると今度はお前が怒るって分かってるからな」


「――――まあ、トップのゼウスがそういうのなら否定はしないわ。すべての判断はあんたに委ねられているんだから」


「ふむ。だからこれで良い。恐らくだが、彼はこの世界で重要な存在になってくるだろうな」


「あら、珍しく意見が合うわね。わたしもそう思うわ」


 しかし、女神デーメーテールの顔は笑っていない。

それは、同じ意見の相手がゼウスだからである。

 そして彼女は、何も言わずにその場を去るように歩いていった。

男神ゼウスもまた、女神デーメーテールに何も告げずにその場から消えた。

先程まで緊迫感に包まれたこの空間は、一瞬にして何もなかったかのように静まり返った。









◇◇◇










「ごめんねぇ〜。急に手伝わせることになっちゃって……」


「あ、はい! 全然大丈夫ですよ!」


(なんか――――思ってたのと違う……)


 『試練』という言葉を聞くと、拷問のような厳しいものを受けるものだと思っていたトビー。

しかし、彼が今していること、それは……。


「お稲荷さん! また来ましたよ!」


「はーい! 持ってきてー!」


 祈祷札や銭などが大量に入った袋を抱え、稲荷神のところまで運んで、運んで、運びまくるという、すごく単純な作業である。

確かに体力的には疲れるが、どんな厳しい試練が来るのかと待ち構えていたトビーからすれば、この作業はへっちゃらである。


「おいなり様持ってきました!」


「ありがとー! もうちょっとだから頑張って!」


「はい!」


 今日は稲荷神を祀る神社、稲荷神社のあちこちで祭り事が行われている日。

日本中の稲荷神社から奉納されたものが全てここに集まるため、稲荷神は大忙し。

普段は子分も含めて仕事をするが、今回は突然この場に来たトビーがいる。

 試練だと言われてここに来たと知った稲荷神は、すぐさま手伝って欲しいと頼んだ。

1人でも多く仕事をしてくれたほうが、自分も子分たちも負担が減るからである。

もちろん、ゼウスからの指示だということも分かっている。


「おいなり様! もうちょっとでお祭り終わるそうです! もうちょっとで終わりますよ!」


「分かった! よぉし頑張るぞー!」


 作業が終わるまで残りわずか。

さらに気合を入れてラストスパートをかける稲荷神であった。

子分たちもまた、稲荷神につられて気合が入る。

仕事のスピードがさらに上がる。


(みんなすごい気合だ! よし、僕もみんなに負けないように頑張るぞ!)


 みんなはこんなにも気合が入っているのに、自分が入らない訳がない。

トビーは負けじと気合を入れた。

 そして、トビーは運び続け……遂にその瞬間がやってきた。


「ふぅ……終わったあああ!!」


「やったぁ! みんなありがとう! おかげで今年も無事アクシデントも起こることなく終わったよ!」


 目一杯に喜ぶ稲荷神と子分たち。

そんな様子を見て、トビーは感じたことがあった。

 彼自身が勝手に思っていた神の世界とは、もっと緊迫した世界だと思っていた。

しかし、今この瞬間を見ると、全くそんな感じはしない。

むしろ、逆に楽しい空間になっていた。


(神様の世界って――――すごく良い世界なんだね。こうやって素直に喜べるなんて、なかなか出来ないことだから)


「トビーくんもありがとね! おかげで例年より早く終わることが出来たよ」


「いえいえ、これは試練ですから」


「試練だけど、僕はものすごく助かったよ! そうだ、トビーくんはもし試練を乗り越えたら、デーメーテールのお世話係になるんだよね?」


「ええ、そうみたいです」


「じゃーあ……僕もお願いしようかなぁ」


「えっ、おいなり様のお世話係ですか?」


「うん! 僕は基本暇だから頻繁にではないけど、こういう忙しい時にだけお願いしても良いかな……? お願いトビーくん!」


 両手を合わせて頭を下げる稲荷神。

トビーは一瞬戸惑ったが、今回の試練を通してかなり楽しかった。

断る理由が見当たらなかった。


「――――ぜひよろしくお願いします! おいなり様!」


「――――! ほ、本当に良いのかい?」


「はい! 僕が出来る限り、全力でサポートさせていただきます!」


「あ、ありがとうトビーくん! 僕、トビーくんのこと気に入っちゃった!」


「うわっ!? お、おいなり様!?」


 嬉しいあまり、思わずトビーに飛びついて抱きしめる稲荷神。

今までずっと一人ぼっちで暮らしてきたトビーにとって、他人に頼られるというのは、こんなにも良いものなのかと感じたのであった。


「じゃあ、主のところに行ってらっしゃい! 本当にありがとね!」


 稲荷神が手を振った瞬間、目の前が真っ白になった。

これからまた、あの場所へ行くのだろう。

果たして試練は成功したのだろうかと心配になるトビーだった。

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