第二の時間

私ね、同年代くらいの女の人に声をかけられて、道をかれたの。

なんだかやけに美人な子で、まるでモデルのようだった。

白いワンピースがよく似合いそうだったけど、実際に着ていたのは、キャミソールとデニムのショートパンツ。ばっちり化粧をしているわりに、サンダルを履いて、手ぶらだった。


† ごめんください。突然のお声がけを許してください。道です。私に道を教えてください。市役所はどこらへんにありますか? だいだいでいいので教えてください。私、正直、困り果てています。


† 私、小さいころ、この街に住んでいたはずなのですが、まったく記憶がありません。本当にさっぱり記憶がないんです、私。なので、じつは親たちのウソなんじゃないかって、少し疑っているくらいなんですよ私。


† もともと私の両親にはそういうところがあって、ウソをつけば面白い、ウソをつけば場がなごむ、ウソは最高のジョークだ、みたいに考えている節があるんですよ。


† だからもう私、何がなんだかよくわからなくなってしまって、途方に暮れているんです。そうしたわけで私、見ず知らずのあなたに、いきなり声をかけてしまったんです。すいませんでした。許してください。私を許してください。お願いします。


† 私、こんな私が嫌です。混乱してばかりで、あまりにも無力で、本当に嫌になります。これでもときどき、歯を食いしばったりはしているのですが――前進は遥か向こうです。


† お願いします。こんな私ですが、どうか受け入れてください。お願いします。私に道を教えてください。激しいですよ? 不躾ぶしつけなお願いをしている、と激しく自覚しています、これでも私。でも私、どうしても今日じゅうに、市役所に行かなければいけないんです。でないと私、主様ぬしさまに何をされるかわからなくて――


† だからお願いします。人助けだと思って、私を助けると思って。道を教えてください、市役所の場所を教えてください。


† お礼になんでもします。なんだってしますから。本当になんでもしますから。私、じつはこう見えて、なんだってできるんですよ。どんなことでも、してさしあげられます。だから助けてください。私を助けてください。お願いします。私に道を教えてください。


その日は立て続けにいろいろなことがあったし、彼女の混乱にあてられてしまったのもあって、気が動転していたんでしょうね私。

私、とっさにデタラメな答えを彼女に返してしまったの。

こんなに罪悪感を覚えたことって、いままでなかった。あんなに困っていた彼女に、私、まるっきりウソの道を教えてしまったんだから。


† はーん。浄水場の方から回ってゆくとは、盲点もうてんでした。なるほどだと思います。それは見つからないわけです。たどり着けないわけだ。


† よかった。市役所が実在していてくれて。じつは私、市役所なんてものは初めから存在しないのではないか、と疑い始めていて、ちょっぴり不安気分だったのです。ですが市役所はありました。あなたがそれを証明してくれた。市役所は実在する。よかった。安心気分です。私、今、予備のパラシュートで着地したような気分です。


† ありがとうございます、強く。ようやく道がひらけました。あなたのお陰です。ありがとうございます、強く。ありがとうございます、強く。


† この混沌こんとんとした地で、あなたという人に出会えてよかった。ここはさながら海底都市かいていとしです。息をするにもだれかの許可がいるような、くらよどんだ海の底。私は今日、生まれてはじめて息をしました。あなたは私のナイトだ。それでいてあなたは、私のうるわしい姫君ひめぎみ


† 私はこれ以後ことあるごとに、あなたとの想い出を反芻はんすうするでしょうね。あの日出会ったのは、果たして、天使か女神か妖精か? 噛みタバコ噛みタバコ。夜ごとあなたの夢を見るでしょう。噛みタバコ噛みタバコ。


† こんな気持ち、初めてです。女性のかたに、これほど心みだされるなんて。あなたの鼓動、あなたの呼吸、いずれも私の願いとなってしまった。熱い太陽。そして夜の静けさ。祈らずとも訪れるとわかってはいても、祈らずにいることができない。そうしたものこそ最上さいじょうのものです。あなたは私の最上の人。


† 女は花、そんなことは男たちに言わせておけばいい。私たちは風です。私とあなたは、自由と季節を愛する風なのです。そよ風にも、暴風雨ぼうふううにもなれる。空を越えるも、一所ひとところおどり続けるも自由。四季は私たちを守護しゅごしてくれる。春があり、夏があります、秋があり、冬がありますね。私たちは、あたらしい季節だってつくり出せる。


† それはどんな季節でしょうね? 朝焼けと星月夜ほしつきよの季節? さざなみと黄金おうごんの季節? 灯火ともしびとおとぎ話の季節? 寝入りばなと午睡ごすいの季節? 不死と胎動たいどうの季節?


† あなたのくちびるは旋律せんりつそのもの。そしてまた、澄んだ鏡のようだ。祝福すべきものを祝福し、美しいものを美しいと歌う。あなたの舌は優雅ゆうがなタクト。口蓋こうがいをそっとくだると、そこは甘くなめらかな声帯。


† あなたの声、とても素敵です。あなたの声は魔法をかける。私はあなたに幻惑げんわくされる。私も魔法を使えたのなら、どんなにいいか。管弦楽かんげんがく合唱隊がっしょうたいのように、あなたと聖化せいかし合いたい。そう願わずにはいられない。


† 今だけは時の流れを憎みます。私はもう、いかなくてはなりません。あなたは罪作りなかただ。あなたのすばらしさを教えてくれたなら、あなたの不在に耐えるすべも教えてほしかった。


† あなたは、私たちの手をすり抜けて泳ぐ、可憐かれんな人魚姫だ。あるいは愛をかかえる眠り姫。ひとたび目覚めれば、あなたはきっと陽気な歌姫なのでしょう。あなたに歌われる者は幸せのために涙する。ああ、熱くこぼれる喜びの歌。


† 私は悩ましい。運命は私に、喜びとともに、狂おしさを植えつけたのです。運命は私に美しいサファイアを見せつけ、そうしたうえで、それを海に放り込もうというのです。私のあたまは今、あなたへの渇望かつぼうで渦巻いています。


† あなたは私を残して旅立ってしまう。そこは古代の都市。くらい海底に沈む、無人の街。かつては人であふれ、燃え立つように栄えた王国。運命の加護かごなき私には、決してたどり着くことのできない、最果ての地。


† いくら人魚をまねて泳いでも、あのくら水底みなぞこは、あわいだけ、遠いだけ、くらいまま。おそらく私たちの時代は遺跡いせきになれない。私の想いも、言葉も、生きた痕跡こんせきさえ、あなたにはとどかない。


† だから、今だけは、私の最愛の人になってください。ほんの少しだけでいい。私に、夢を見せてほしいのです。お願いします。あなたは私のナイトだ。それでいてあなたは、私のうるわしい姫君。私の告白を受け取ってください。


† もしあなたがロマンチストなら、私は夢想家むそうかになりましょう。時が二人を別つなら、固く抱き合い、波際なみぎわではじけて、共に時を止めましょう。あなたと幸せになれるなら、私は喜んで偽薬ぎやくを飲み干す。あなたの笑顔のためなら、私は、あなた以外のすべてをだましてみせる。あなたの声は魔法をかける。私はあなたに幻惑される。ああ、噛みタバコ噛みタバコ。噛みタバコ噛みタバコ。

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