四 半壊する渦

第一の時間

まったく、現地入りした途端にすべてが水の泡とはね。休日を返上までしたのに。まさに悪夢よ。下調べがみんなパー。

だから私その日の午後は、気晴らしにその街を散策することにしたの。ホテルを出た時刻は二時を回ったくらいだったかしら。正確なところはわからないけれど。

なんだか嫌な街だったわね。とくにこれといった理由はないけど、とにかく嫌な街だったわ。


地面のほとんどがアスファルトとコンクリートに覆われていた。それが影響しているのか、かなりの数の建物が建っていた。

人が歩いているのに、喫茶店きっさてんがあるのよ。それから、駅があった。タクシーも見た。自家用車まで走っていた。あとね。私、バスとバス停を同時に見たのよ?

それだけじゃないわ。ペットショップの前にノラねこが寝そべっていた、道端のゴミを拾い集める怪しい集団もいたし、自販機が数十台も密集しているのも見た。

なにより印象的だったのは、その街でいちばん高いビルのとなりに平屋が建っていたことね。

こうして思い返してみて、確信する。間違いなく嫌な街だった。不気味だった、と言ってもいいと思う。目に映るものすべてがどこか不自然だった。


街の人もどこか変だった。仕草がいちいち大袈裟で、わざとらしくて、何かを暗示しているようなの。まるで舞台の練習でもしているみたいに。

確かにみんな、にこやかで親切なのよ? でもどこかおかしいの。はきはきしゃべって、きびきび動いているのに、顔にはまったく生気がないの。死人みたいに。あたまのなかでパチリと音がした。思ったの、「薄気味わるい」って言葉はこういうときに使うんだって。


時刻は三時を回っていた。私は、街のある一画いっかくを歩いていた。

あたりの景観は異国情緒いこくじょうちょにあふれていた。これだってやはりどこか不自然だったわ。いろいろな国を混ぜ合わせたみたいで、統一感がまったくなかった。


たとえるなら、パニックを起こし続けているような風景。

金色の泥に花をけていくような。

ガトーショコラに骨粉こっぷんをまぶしたような。

死にかけた古木こぼくに、造花ぞうかを接ぎ木していくような。

無理やりだれかとだれかをキスさせるような。

くさっていくリンゴに、真っ赤な絵の具を塗るような。

ミイラに心肺蘇生しんぱいそせいをするような。

ミイラに水を飲ませるような。

ミイラに花嫁衣装はなよめいしょうを着せるような。


それは、パチンコ屋かケーキ屋か判然はんぜんとしない建物の裏でのことだった。

ねこの死骸しがいに立ち小便しょうべんをしている男の人と目が合って、私ぞっとした。さらに彼、にっこりと微笑ほほえんで、私にウィンクをしてみせたの。それで私思わず発狂しちゃった。その場でハンドバッグの中身を地面にぶちまけて、目薬を拾いあげて、それで何度も何度も手を洗ったんだから。話は変わるけど、私の姉、私が小学生のころに蒸発したの。


でね。そのあと、すぐに私は気を取りなおして散策を続けたわ。

へたに慌てて、自分自身の機嫌きげんそこねてしまったら大変だものね。

平常心はいいわね。穏やかな空が広がっているというのは、それだけでひとつの幸福だわ。


人間だれしも、自分の影に目を落としながら歩いていると、つい物思いにふけってしまうものよね。私もそうだった。内側の世界。

「生きている」の反対は何? 「生きていた」の反対は何? 「生きてほしい」の反対は何? 「生きなくちゃいけない」の反対は何? 「生きたい」の反対は何? 反対の反対に意味はある?


内側の世界。

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