第一章 令嬢やめます②

「お父様、私、はくしやく家のれいじようをやめて、おじいさまの所へ行きます」

 このままミラベルが予言した通りの未来になるなんていや

 お父様から見捨てられ、婚約破棄され王族から睨まれる……?

 そんなものだまって待つと思ったら大間違いだわ。

「令嬢を、やめる……?」

「はい」

 やめるとはいえ身分を捨てるわけではない。伯爵家の一人ひとりむすめあとりなのだから、捨てようと思っても捨てられるものではないし。

 ただ、これから先の歩む道を変えるだけ。

「父上は今、ランシーンとりでだぞ!?」

「はい。そこへ向かいます」

 だんは冷静ちんちやくなお父様が、立ちあがったひように机に足をぶつけインクをこぼすのをながめながらコクリとうなずいた。

「か、考え直してくれ!」

 ひとみうるませながらギュッと私をめるお父様の腕をたたき、もう決めたことだと首を横にる。私の決意は固い。お爺様へのさきれの手紙も、馬車やちゆう立ち寄る宿の手配だってすでに終えている。協力者はお父様のをしているゆうしゆうしつ、ブラムだ。

 今夜出立する予定だと口にすれば、絶対に放さないとしがみつかれてしまい、すみひかえているブラムと頷き合い出立日をずらすことにした。

 翌日、まさか早朝から家を出ると思っていなかったお父様はげんかんさきさわぎ、その騒ぎを耳にしてけ付けたおさまにお父様を押し付けお爺様のもとへ旅立った。


    ● ● ●


 ロティシュ伯爵家が国王陛下からしんらいを得て重用されているのは、国軍のげんすいを務めていたお爺様の功績によるものだ。

 若くしてそくされた国王陛下を支え、苦楽を共にしたという美談があるが、お爺様いわくただのくさえんで「あいつは問題児だ」とのこと。国の頂点に立つ人をあいつ呼ばわりできるのはお爺様だけだろう。

 数年前にげんえきを引退したお爺様はいんきよ先にランシーン砦を選び、今は後進の教育に力を入れているらしい。

 あいまいなのは、お父様に本格的に領主の仕事を任せられるようになったと判断したお爺様がさっさと爵位をゆずり、ランシーン砦にこもってしまわれたからだ。

 年に一度くらいは顔を見に領地へ戻って来てくれていたのに、隠居されてからはそれもなく、それでも私だけはお爺様と手紙のり取りをしているのでお元気に過ごされているということは分かっていた。

 ちなみに後進というのは軍のことだけではなく、ロティシュ家の私兵もふくまれていたりする。

 私兵を持つ貴族はごく一部のゆうふくな貴族か、軍事貴族としようされる者たちだけ。我が家は軍事貴族なので当然私兵を持っているのだが、三分の一は領地に、残りはお爺様が居るランシーン砦に待機させ有事の際に駆け付けることになっている。

 国軍の砦に私兵を置けば私物化していると批判されしよばつされてもおかしくはないのに、そこはあのお爺様だからとみなが口をざしているのだと聞いた。

 領地からランシーン砦までは馬車では六日。

 ゆっくり向かいたいからと馬車を急がせず、長い旅路を楽しむ。

 伯爵家の令嬢が数名の護衛と侍女を連れて六日も旅をすることなどほぼ……ではなく絶対にない。

 これが許されるのは、元国軍元帥フィルデ・ロティシュのもんられている馬車をおそうような者がこの国に一人もいないからだ。そんなことをすればロティシュ家だけでなく国を敵に回す可能性が高い。

 それでも危ないからとお父様から遠出は許されていなかったので、こうして領地を見て回ることはなかった。それは私付きの侍女も同様で、子爵家の出の彼女たちもこうして馬車で旅などしたことはない。これから長い時間、領地を離れお爺様が住む辺境の街で過ごすと説明したが、彼女たちはだれ一人として領地に残ることなくえうるかくを決め同行してくれた。お母様が直接選んだ人たちなだけあり、皆が私を妹のようにおもってくれているからこうして寄りってくれる。

「もうすぐとうちやくするとは思いますが、何かお飲みになりますか?」

 ジッと見つめていたからだろうか、かごからコップを出す侍女にしようし頷く。

 侍女が用意している物はさきほど小さな村に寄ったときに買った甘い飲み物。果物を潰して水でうすめたそれは初めて口にするものだった。その村だけではなく、街や村によっては売っている物や好まれている物などが違い、気候や土地によって食している物が全く違っていてすごおどろいた。

「甘いわね」

「はい。ですが、凄く美味おいしいです」

「もっと外へ目を向けるようにとお爺様がおつしやっていたけれど、こういうことかしら?」

「おじようさまは将来伯爵家をがれますので、こうした経験は重宝されるかもしれません」

 将来領地を治めるなら外へ出て見聞を広げるべきだと常々口にしていたブラムを味方にできたのは良かった。

 ブラムはお父様の息子むすこで、おばあさまの計らいでお父様とは兄弟のように育てられたという。貴族のようにマナーや教養、学術だけでなく、お爺様からはけんじゆつを、前執事からは内政だけではなく外政も学んだとても優秀な執事なので、お父様は彼にぜんぷくの信頼を置いている。

「ブラムのおかげね……」

 外に出て様々なことを知れたのは大きく、これから私がやろうとしていることはお父様が決して逆らえないお爺様にしかたよれないこと。

 身内であっても甘くはなく、基本ようしやがない。そんなお爺様をなつとくさせ許可を得ることができれば、私の未来は明るいだろう……多分。

「お嬢様、そろそろですよ」

 侍女に声をけられ馬車の窓から大きな門を見上げた。

 おそらく、お父様は私がお爺様の下に身を寄せるのは一時的なものだと思っているだろう。

 めぐまれたかんきようで育った貴族の令嬢なら長くて数ヵ月、早くて数週間、不自由に耐えきれず、気が済んだら家に戻って来ると楽観視しているかもしれない。

 そのほうが私としてはうれしいのだけれど。

「大きな門ね……」

 ランシーン砦に入るにはず手前の街の門で身元のかくにんを受けなくてはならない。たいざい先や日数、予定などをくわしくかれるが、これに関しては貴族であろうと平民であろうと変わらない。国境をまもるランシーン砦につながる街なので、きよや不敬だと騒いだところで軍が出て来てはいじよされてしまうだけ。

 私の場合はお爺様の下へしばらとどまるつもりなので、砦へ確認を取ったあと真っぐランシーン砦の門の前へ通された。



「良く来たな」

 馬車から降りると、砦の前にはぎんぱつで赤い瞳という私と同じしきさいを持つ老年の男性がおうちしていた。

 まくられた隊服のそでから見えるはだは日に焼け、にも軍人という筋肉におおわれている。

 じやに笑いながら「……ん? どうした?」と首をかしげるおじいさまつねごろからきたえているからか、ねんれいよりも大分若く見え、書類仕事ばかりのお父様よりも身体からだが大きく健康的にとしを取っている。

「セレスティーア」

 両手を広げているお爺様が右手の指をクイッ……と二度ほど折り曲げた。

 意図していることは分かっているのだけれど、貴族令嬢らしくゆうしとやかにと気をつけて馬車から降り、微笑ほほえみながら口を閉ざしている意味がなくなってしまう。

 困ったわ……とまゆを下げるが、お爺様はお構いなしで、期待に満ちたまなしを向けられてはどうしようもない。

 それに、しゆくじよ教育やマナーなんて今は必要ない。私は王都の学園に入るつもりがないのだから。

「大好きなお爺様、お会いしたかったです!」

 護衛やじよとりでの前に立って居る者たちに見守られながらダッとけ出し、お爺様の広い胸の中へ飛び込んだ。

 砦の存在は知っていたがおとずれるのは初めてで、ごつかんの地というがら春先だというのにはまだとても寒い。軍の関係者用に造られた街は小さいと聞いていたが、思っていたよりも大きく活気があり発展していたし、砦の中は広く王城とまではいかないがようによって各区画にわけられきちんと整備されている。

「……うっ!」

 石積みのじようへきにある門をくぐけお爺様の後ろを歩きながら周囲を見回していれば、立ち止まったお爺様の背中にベシッ……と顔をぶつけてしまった。

めずらしいのは分かるが、転ぶぞ?」

「はい。すみませんでした」

ほこりを落としてくるから、その部屋で待っていろ」

 階段を上がった先にあるとびらを指され、護衛と侍女を連れて部屋に入った。

 客室なのか、暖かくされた室内には貴族の家とそんしよくない高価な調度品が置かれている。内装は全体的にあわい色合いで、この部屋だけを見れば砦の中だとは思えない。


 ──コンコン……。


 ソファーに座り大人しく待っていると数度扉がたたかれたので返事をする。

 侍女が開けた扉の向こうに立って居た人を目にし、きんちようが解け嬉しさが込み上げた。

「ルジェさま!」

「久しぶりだな。父上がもどるまで俺とお茶でもしていよう」

「まぁ、叔父様がお持ちくださったのですか?」

可愛かわいめいためだ。ようこそ、ランシーン砦へ。暫く見ないうちに大きくなったなぁ……」

 紅茶とおを持って現れたのはお父様の弟であるルジェ叔父様だった。

 あわてる侍女を片手で制し慣れた手つきでテーブルのセッティングをした叔父様は、私のとなりこしを下ろし微笑みながら頭をでてくれる。

「お爺様も叔父様も全然顔を見せに来てくれませんから」

「父上の暴走を押さえるのが俺の仕事だから、此処をはなれるのは厳しい。それに長年此処で暮らしていると王都がこわくなる……!」

 両手でかたを押さえながら怖いと口にする叔父様が可愛らしくて思わず笑ってしまった。

 はくしやく家でありながらではなく軍人となったお爺様も叔父様も、仕事にほこりを持ち楽しく過ごしているのだろう。

 説得しなくてはならない人が二人に増えたことに内心頭をかかえながらも、お爺様が戻るまでどう話そうかと考えていた。



「待たせたな……って、ルジェも居たのか」

 ノックもなしに開かれた扉に叔父様が文句を言う間もなく、お爺様がれたかみをタオルできながらテーブルの上に置いてあるクッキーをまむ。

「父上……いくら身内とはいえ淑女の前です。シャツくらいは着てください」

めんどうだろ。暑いし、な?」

 お爺様から同意を求められ苦笑しながらうなずくが、おがりだとしても決して暑くはなく、むしろ湯冷めしてを引かないか心配なほどだ。

「訓練中に門番からセレスティーアの身元確認の伝令が来て抜けたからあせを流していなかったんだ。悪いな」

「いえ」

 私はだいじようだと首を左右にるが、ルジェ叔父様は「老人のはんなんてだれも見たくない」とつぶやき顔に濡れたタオルを投げつけられていた。それが合図となったのか、そのままソファーに置かれているクッションをつかみ投げ出す親子。目の前で小さなけんが始まった。

「誰が老人だ!」

「誰って一人しかいないでしょうが! 目に毒なので早く服を……ぶっ!?」

 鍛えられたお爺様の身体には所々にきずあとがあり、目を細めなくては分からないほどうすいものもあれば、剣でられたあとだとハッキリと分かるものもある。

 軍人ゆえのものなのか……こくな仕事なのだと改めて認識し、決心がにぶる前に話してしまおうと二人に声を掛けた。

「お爺様、ルジェ叔父様、大切なお話があります」

「大切な話? その顔だと、あまり良いことではなさそうだが」

 投げ返されたタオルを肩に掛けソファーに身をしずめたお爺様と、少し髪が乱れたルジェ叔父様からの視線がさる。

「セレスティーアからの手紙が届いたのは昨夜だ。で、その翌日の昼には街に入っていた。事前に準備していたか、それともげ出すように家から出て来たのか……」

「俺もおどろいたよ。領地からだとしても此処に来るまでにかなりきよがあるだろう? まさか昨日の今日でとうちやくするとは思いもしなかった」

 家出だと思われているのだろうか……。

 まぁ、確かに家出のようなものに近いとは思うのだけれど。

「お手紙を出して直ぐに出発しましたから」

「よくバルドが許したな……」

「お父様にはきちんとお話ししてあります。ですが、此方こちらたいざいするのは長くてもひとつき程度だと思っているかもしれません」

「待て、しばらく滞在すると手紙にはあったが、いつまでの予定でいるんだ?」

「そうですわね……」

 右手を持ち上げ、ゆっくりと指を折り曲げていく。

 四本目の指を曲げた辺りでじやつかんうれしそうだったお爺様の顔色が変わり、私の隣に座るルジェ叔父様から「……え?」という声が聞こえた。

 そっと手を戻し、真っ直ぐお爺様の顔を見ながら口を開く。

「ざっと、六年くらいでしょうか」

「……あぁ?」

「六年……え……?」

 てんじようを見上げるお爺様と両手で顔を覆うルジェ叔父様。

 無言になってしまった二人を横目に、冷めてしまった紅茶と美味おいしそうなお菓子へ手をばす。

 気力を補給すべくクッキーをかじっていたら眉をひそめたお爺様と目が合い、そのままスッと視線をらされためいきまでかれてしまった。

 いくらお爺様とはいえ、六年も此処に滞在すると言われたらあきれもするだろう。心の中で謝罪しながら三枚目のクッキーをねらっていると、ルジェ叔父様から「今はめておこうか?」と伸ばしたうでを下ろされてしまう……。

「菓子を食いながら話すような内容じゃないと思うのは、俺だけか?」

「いえ、俺もそう思います」

 え、お菓子……? と驚きながらハンカチで口元をぬぐい、何事もなかったかのように姿勢を正した。

「やはり家出だったか」

「家出ではありませんよ? お父様としつが護衛や侍女を手配してくれたのですから。それに、六年後には家に戻るので」

「その六年はどこから出てきた? 何があったのかかくさず説明しろ」

 少しなやんだあと、ずはまだ当時五歳であったミラベルが私のおそろしい未来を予言したことから話し始めた。

 こんやくするねんれいからその相手まで当主しか知らないことを言い当て、全く信じていなかった予言はもうそうじようだんだと笑って済ませられるものではなくなり、婚約者との現状の関係をまえ自身の将来を考えた結果家を出る決断をしたのだと、都度質問を受けながら長い説明を終える。

「意味が分からないことだらけだな」

 あごを撫でながら暫く無言で思案していたおじいさまが、「順を追ってかくにんしていく」と口にした。

まいのその予言とやらは、婚約者、学園、卒業後、そこまでだな?」

「私は修道院へ送られるらしいので、そこで終わりなのかと思います」

「でだ、今のところ予言が当たっているのが婚約者に関してのことか」

「はい」

ぐうぜんだと……そう言ってやれたら良かったが確証がない。ほかで確かめるにしても実際に学園に通ってみなければ分からないことだしな」

「学園でのことはセレスティーアが予言の通りに行動しなければ良い話では? 卒業するまでは目立たず過ごし、王族と義妹からは距離を取るとか」

 かかわらず大人しくしているのが一番なのだけれど、それができないから困っているのだとルジェ叔父様に向かって首を横に振る。

「私の婚約者はアームルこうしやく家の子息なのですよ? 学園に入る年には王太子殿でんを除き彼より階級の高い方たちはみな卒業していますし、私は次期伯爵家当主です。ですから必然的に私が最大ばつまとめることになるのです」

 私の入学から一年後にミラベル、その翌年には公爵家のれいじようや侯爵家の子息が入ってくるが、それでも学園での私の立ち位置は変わらない。

「貴族の縮図としようされる学園での立ち位置はそのまま社交界に反映されます。私は女性当主となるので積極的に交流する必要がありますから、学園でただ大人しく静かに過ごすわけにはいきません」

 政治は男性、社交は女性と決まっているが、私はそのどちらにも同志が必要なのだ。

「それに、貴族は血統関係のない者、階級が低い者をけんし認めません。もしミラベルが入学後もフロイド様の側に立ち、殿下や他の子息たちに好意を寄せられれば、令嬢たちからひんしゆくを買いこうげき対象となります」

「セレスティーアでなくても、他の令嬢たちが勝手に義妹を攻撃するということか」

「私の派閥の者たちがミラベルに攻撃するようなことがあれば、それをせいぎよできなかった私の罪になるのでしょうね」

 ある意味取り巻きを引き連れた女王様というのもちがいではない。派閥を纏めるためには学園内で定期的にお茶会や集まりを計画し交流する必要があるから。

「義妹はけるとして、問題は王太子と第二王子だな」

「王太子殿下は私と、第二王子殿下はミラベルと同じとしでしたよね?」

「歳は近いが王族だからな、そう関わるようなことはないと思うが……」

 言葉を切ったお爺様にまゆを寄せると、まえがみをかき上げ宙を見上げたお爺様がうなり声を上げた。

「先日、国王がとりでに逃げ……視察に来た。そのときに、たがいの家の子どもたちも親友のような関係になることを願っているとかほうなことを口にしていたんだが……。まさかとは思うが、息子むすこたちに同じようなことを言いふくめていないだろうな」

「だとしたら、セレスティーアはいやでも殿下たちと関わることになるのでは?」

 お爺様はも角、会ってあいさつすらしたことのない王太子殿下にどう纏わりつくのかと思っていたら、思わぬところに落とし穴があった。

「無視するか……」

「それが許されるのは父上だけですよ」

 挨拶はするし、話しけられれば答えなくてはならない。殿下たちのことをめいわくだと感じる者はらず、むしろもっと親しくなりたいと思う者がほとんどだ。

「無視することも追いはらうこともできませんし、親しくすることも避けたいところです」

 王太子殿下や第二王子殿下に気に掛けられひんぱんに話し掛けられでもしたら、それを気に食わない者たちが「王族に纏わりついている」といううわさを流すかもしれない。

「だが、何があろうとバルドがまなむすめを修道院に入れるとは思えないが?」

「私もお父様がそのようなことをするとは思っていませんが……」

 この四年間お父様は何もしてはくれず、だとうつたえても軽く流されてしまい、私はあきらめることを覚えてしまった。だからか、お父様を信用できないでいる。

「婚約者と義妹については、バルドもアームル家もぼうかんか」

「兄上は何を考えているのだか」

「何も考えていないな。何せ、バルドはそっち方面に関してはポンコツだ」

 ゆるく首を左右にったお爺様があわれむような目で私を見たので首をかしげた。

「俺が早々に爵位をゆずったのは、バルドがそれだけゆうしゆうだったからだ。幼いころから何をさせてもそつなくこなし、周囲の人間の使い方も上手うまい。まぁ、けんじゆつの才能だけはなかったがな」

「俺の目から見ても兄上はかんぺきな人でしたが?」

「完璧? バルドがリュミエと結婚した理由を覚えていないのか?」

「……あ!」

 私と同じく首を傾げていたルジェさまが声を上げた。

 リュミエとはお母様のことだが、どうかしたのだろうか?

「お父様とお母様は政略結婚ではないのですか?」

「違う。学園でひとれをしたと言っていたな……リュミエが」

「お母様が?」

「あぁ」

 両親の仲はとても良く、お母様がんでいた時期はお父様が仕事をほうって寄りっていたので、よくお母様がおこっていたのを覚えている。だからお父様ではなくお母様が一目惚れしたというお爺様の言葉に思わずき返していた。

「婚約者というのは、たいていは学園に入ったあと成人するまでの間に話が上がるものだ。セレスティーアは早過ぎるが、バルドは学園を卒業してからでいいと言い張っていたからおそいぐらいだったな。かたくなに婚約の話をる息子が、卒業前に婚約すると口にしたときはどれほどおどろいたことか」

「では、お父様もお母様に一目惚れをしたのですか?」

「……いや、あれはそとぼりめられ囲い込まれたな」

「あぁ、そんな感じでしたね。あのとき兄上は責任がどうのとあわてていましたし」

 どうやらお母様は計画的にお父様を手に入れたようだ。

 お爺様やルジェ叔父様が言うには、お母様は常にお父様のそばに張り付き学園中に交際しているとにおわせ、そので成人する歳に行われる社交界デビューでエスコート役がいないと訴えお父様にエスコートしてもらったらしい。

 友達だから当然だと言い張るお父様にあきれながら様子を見守っていれば、「バルドの所為で婚約者ができない」とお母様に泣きつかれ責任を取って結婚することにした……と。

「お父様は、お鹿さんなのですか?」

 人を使って情報操作することくらい貴族では当たり前のこと。

 社交界デビューでのエスコート役は婚約者がいなければ家族や親族にたのむものだし、婚約者のことだってお父様が責任を取る必要はない。

 完全にねらわれていたのに、どうしてお父様は気付かなかったのかしら?

「お馬鹿さんか……まさにその通りだが、言っただろう? バルドは優秀だったが、完璧ではない。あいつは心のうとい……というよりもかいめつ的だ」

「それなのにどうして優秀という評価になるのですか?」

「貴族とひとくくりにされているが、立場によって見方は変わる。国のちゆうすうにいるかんりようは優秀なことはもとより心の機微にびんかんでなくてはならない。互いに腹をさぐってに利益をむさぼとすかの勝負だからな。バルドは官僚であればれつあくと評価されるだろう」

「学園を卒業したあと、爵位をぐ者たちは皆一度中枢に取り込まれると聞きましたが」

「あぁ、だからバルドには成人前から領主の仕事を覚えさせ卒業と同時に爵位を譲った。優秀な領主とは領地を発展させたみえさせない……これさえできればいいからな」

「領主としては問題ないのですね」

 そもそも完璧を求められていないのだろう。

「兄上だけじゃなく中枢からはなれている貴族は皆そのような者たちばかりでは?」

「まぁ、少なくはないな」

「ルジェ叔父様は?」

「俺は父上と同じく学園ではなく軍学校出身だ。貴族のような考え方ではやっていけないし、卒業後は軍に入ったから周囲には貴族よりも平民のほうが多い。だからか、思考は平民寄りだな」

 になるには学園の騎士科を卒業しなくてはならないが、軍人に関しては特に規定がない。だからルジェ叔父様は軍学校を卒業したあと軍に入ったのだと思っていた。

「何か違うのですか?」

「貴族は基本的に自分優先。他者の立場に立ってものを考えることもなければ、寄り添うこともない。そう教育されているから。だが、平民は違う。自分優先、無関心、目に見えているものだけを信じていたら生死にかかわる。だからこそ支えてくれる人や友、家族をことほか大事にする。身分やけんていが一番の貴族とは違うだろう? 父上に忠告され分かっていたつもりではいたが、差を埋めるのにかなり苦労した」

「どうして学園ではなく軍学校へ入られたのですか?」

「うちが、軍事貴族だからだ」

 軍学校を出ていなくても軍人にはなれる。軍の上層部を狙うなら軍学校を卒業する必要があるかもしれないが、ルジェ叔父様が言ったようにロティシュ家は軍事貴族であり、身内にげんすいが居るのだからその点をこうりよすればほかの貴族よりは出世ができると思う。だからえてつらい道を選ぶ必要などなかったのではと思い訊いたのだ。

「戦争が起これば最前線に立つのは軍人だが、じんとう指揮をるのは軍事貴族だ。ロティシュ家だと、ルジェが指揮を執ることになる。戦場でさいはいを振るには意思伝達が求められるが、軍人というものを知らなければろくに動かせず敗退する。逆にバルドは後方えんを受け持つ。物資、武器、兵を送るにはかなりの資金が必要だ。その資金集めができなければ前線が押され、王都防衛戦に切りわる。ここまできたら敗戦間近だな」

「要は適材適所。兄上と俺とでは求められている役割がちがう。セレスティーアの代は俺の息子たちが前線に出ることになる」

 軍事貴族の当主に求められるものは領地を発展させ資金を得ること。他の兄弟たちは軍人となり采配力をつけること。

 では、おじいさまは?

 四人兄妹きようだいだったが男児はお爺様一人だけ。当主となることは決まっていたのに軍学校に入り、軍人となったあとは領主をけんにんし、国王陛下のまでしていた。

 そんなことも、可能なのだろうか?

「それでだ、あのポンコツがセレスティーアの現状に気付くと思うか?」

「兄上なら気付かないかもしれませんが……。姉のこんやく者に対する接し方についてまいが何も理解していないだけでは? だんしやく家の者だったのなら教育が行きとどいていない可能性もあります」

「いや、セレスティーアの話が本当なら意図的だろう。だが、ポンコツなら兎も角アームル家も傍観とくれば、義妹には協力者がいるはずだ」

「協力者ですか? まだ幼い子どものたわごとを信じる者などいますかね?」

「両家の大人を、その幼い子どもが一人で画策しあざむくなんてことは不可能だ。アームル家はこうしやく家だぞ? フロイドが次男だからといって好き勝手させるわけがない。階級が高ければ高いほど体面を気にするものだからな」

 ミラベルの周囲に協力してくれる人など居るのだろうか? と考え、背筋に冷たいものが走った。

 視線を泳がせる私にニヤッと笑ったお爺様が「気付いたか?」と言う。

 気付きたくなかった……! むしろ、気付かなかったの、私!?

「バルドを説きせることは簡単だ。領主の仕事でいそがしいだろうから、セレスティーアに関しては同じ女性だからと任せていそうだしな。アームル家もバルドがなつとくしているのであればと、かんることなく今だけのことだろうとだまる。いや、俺の息子むすこだから黙るしかないと言う方が正しいか」

「父上、協力者とはだれのことですか?」

 ルジェ叔父様は一度しか会ったことがないから顔すら覚えていないかもしれない。

「ルジェは分からないか? き夫の親友だからとはじも外聞もなく格上のはくしやく家にすがり、何も望まないと言っておきながら今では女主人の真似まねごとをしているやつがいるだろうが」

「やはり。おさまのことなのですね……」

「兄上がめんどうを見ている例の女性のことですか?」

 両手で顔をおおいながらうなれ、やさしくて思いやりのあるてきな人だと思っていたのに!? と心の中でさけんでいた。

「俺があの家に寄りつかなくなったのは、あの女の所為でもあるからな」

「え、もしかしてあの話はじようだんではなかったのですか? こんな年寄り相手にまさかと思って笑い飛ばしてしまったじゃないですか! 何故、兄上から離さなかったのです!?」

「いいとしをした息子の面倒を何故俺が見なくてはならない? それにな、バルドには何を言ってもだ。親友の忘れ形見がどうのと、あの親子を引き取るときものすごい勢いだったぞ?」

「兄上、友達少ないですからね……」

「で、誰が年寄りだ? もういっぺん言ってみろ……!」

「うわぁ!」

 お爺様とお義母様との間に何があったのかは分からないが、お爺様がここ数年ほど全く顔を見せに来てくれなかったことには理由があったのだ。

 爵位をゆずった時点で前当主であっても家のことに口を出す権限はなくなる。まれに口を出すような者もいるが、そういった家は当主が未熟だというらくいんを他家から押されてしまう。

 だから敢えてきよを取っているのだと思っていたのに。

「セレスティーア」

「はい」

「お前が望むのであれば義母も義妹もはいじよしてやるが、どうする?」

 お爺様から探るようなまなしを受けながら、私は首を左右にった。

 あの親子を引き取ると決めたのは当主であるお父様で、次期当主とはいえ子どもである私にはまだ何の権限もなく、それは前当主であるお爺様も同じ。

 だからお爺様が動くとなったら、あらゆる者が逆らうことのできない権力者を使い排除するつもりなのだろう。

 たよったほうが楽だ。

 けれど、それをしてもらえば我が家は他家からあなどられることになる。それは私が当主となったときにによじつに表れ、軍事貴族としての役割を果たせなくなるかもしれない。

 おそらくこの提案を受けたらお爺様はルジェさまの息子のうちどちらかを当主としてすだろう。だから答えはひとつだけ。

「お断りします。敵前とうぼうではなく、戦略的てつ退たいですので」

 こういう考え方お好きですよね? と微笑ほほえむと、お爺様はこわい顔をしたまま深く重いためいきいた。

「誰に似たんだ……」

 気だるげにソファーに寄りかったお爺様に、もう一押しだと言葉を続ける。

「貴族の子息、子女の学園への入学は国で決められているものです。きよは許されません。それをかいする方法は、起き上がれないくらい病弱か、他へ入学するかの二つだけ。ですので、私は軍学校へ入ろうと思います」

「……そうきたか」

 学園に通えばいやおうなしにミラベルの予言通りになってしまう気がする。だったら学園に入学しなければ良いと、そう決めたからへ来た。

 正面に座るお爺様から注がれる圧がすさまじく、となりあいづちを打ってくれるルジェ叔父様がいなければ口を閉じていただろう。黙ったまま私から視線をらさないお爺様に向かってあせりを表に出さないよう表情を取りつくろって説明を続ける。

「軍学校は王都の学園と同じく四年制ですから、卒業するまでこの土地からはなれないとなると、たいざい予定が六年となりますね」

「いや、兄上が許さないだろう?」

「ポンコツだと言われているお父様でしたら、軍学校へ入学する直前までだましきります。入学してしまえばお父様であってもどうにもできませんし」

 軍学校の入学を取り消したところで期限までに手続きを行っていなければ学園に入ることはできない。

「それに、軍人には女性も居ると聞きました」

「女性軍人はみな平民だ。男性には貴族も多少は居るが、学園に通わせる資金を用意することができない下級貴族の次男や三男だ。セレスティーア、貴族の子女で軍学校に入る者は一人も居ない」

「ですが、資金がないと言うのであれば下級貴族の子女はどうしているのですか?」

「貴族の子女には国からえんじよ金が、平民には特別制度が設けられている」

 そんな制度があるのかとうなずきながらも、貴族の子女が一人も居ないという理由で進路を変えるつもりはない。

「いいか、セレスティーア。軍学校に入れば手のひらは固くなり、真っ白なはだはあっという間に真っ黒だ。手足には筋肉がつき、ドレスは着られなくなるんだぞ? 成人のデビューはどうするつもりだ? 笑い者になる……って、その顔はあきらめるつもりはないな」

 私の説得に失敗し項垂れるルジェ叔父様には悪いけれど、このままでいてもいずれは笑い者になってしまう。

 だって、十五歳で行う社交界デビューでフロイド様が私をエスコートしてくれる確証などなく、もうそのころにはミラベルも学園に入学しているので、もし予言がまた当たれば婚約者を義妹に取られた情けない姉という立ち位置になっているだろうから。

「父上、黙っていないで何とか言ってください」

「セレスティーアは昔から軍人にあこがれていたからな……」

「そうですよ。将来軍人になりたいと言ってぼつけんを振り回すようになったから、リュミエさんがしゆくじよ教育を早めたんです」

 私はあまり覚えていないが、幼い頃はおじいさまに憧れ軍人ごっこをしていたらしい。

 お爺様もおもしろがって私をきたえようとしていたらしく、焦ったお母様によって厳しいと有名だった教師をつけられた。

「父上にそっくりなセレスティーアの将来を心配されていましたよね」

 お父様もルジェ叔父様も、銀ではなく灰色よりのかみ色で、ひとみの色も真っ赤ではなくうつすらと赤いだけ。家族や親類の中で、私一人がお爺様のしきさいいろく受けいだので周囲の人たちに色々と危機感をあたえたようだ。

「私には剣術の才能があるのだと、そう仰ったのはお爺様なのでしょう?」

「才能があっても努力しなければ意味がない。王都のはなやかなとはちがい、軍人は鍛えいた男であってもこくだと言われるかんきようだ」

 お爺様の言葉に頷き同意を示すルジェ叔父様を横目に、さきほどよりも圧がなくなったお爺様をうかがう。

「だが、セレスティーアは軍人になりたいとは言っていない。軍学校に入りたいだけなのだろう?」

「はい」

「それなら、本人の意思を尊重してやれば良い」

「父上!?」

「叫ぶな、うるさい。まだ話は終わっていないだろうが。軍学校がにあるか、分かっているな?」

「ランシーンとりでのために造られた街トーラスです」

「そうだ。此処はどの砦がある街よりも人の生死を目にする機会が多い。今は戦争中じゃないが、小さないざこざは日常はんだ。もしこの砦や街がおそわれるようなことがあれば、軍学校に通う生徒たちは軍人見習いとされ戦場に出ることも、街の警護にくこともある。当然を負うこともあるが、かくの上だな?」

 低く重い声で問われた最後の言葉に躊躇ためらうことなく頷く。

 怪我できずあとが残るようなことがあれば貴族の女性にとってはめいしようとなり、こんいんはおろか婚約だって有り得る。だからこそお爺様は私にかくにんしたのだろう。

 でも、婚約中である今のような関係がこの先も続くのだとしたら、怪我でもして婚約をなかったことにしてもらったほうがまだ幸せかもしれない。私だけが不利益を受けあの二人を喜ばせることになるのはしやくだから絶対にしないけれど。

「軍学校に入るのはミラベルの予言回避の意味もありますが、私の将来にも関係しているからです」

「セレスティーアは当主となるのだから、父上や俺のように軍学校に入る必要はない」

「いいえ、そうではなく。おばあさまが、夫は物理的にしつけをしなくてはならないときがあるとおつしやっていましたから。強くならないといけませんよね?」

「……」

「……ぶっ!」

 まただまってしまったお爺様とき出したルジェ叔父様に、にっこりとがおを向ける。

 お爺様と相思相愛だったお婆様ですら躾が必要だと口にしていたのだから、フロイド様にはそれがひんぱんに必要になる日が絶対にくる。

「無理だと思ったら諦めて家にもどれ」

「はい!」

 ソファーから身体からだを起こし立ち上がったお爺様が、私に向かって手を差し出す。

「入学するまでの二年間、みっちり鍛えてやる。ようこそ、北の地ランシーン砦へ」

 私も立ち上がり、お爺様の大きな手をきつくにぎめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る