第16話 心
「ただいま」
家の玄関を入り、私は力無く呟いた。
なんだか今日はドッと疲れた。
「お帰り」
顔を上げるとそこにはお兄ちゃんが腕を組んで立っていた。
……うわぁ、機嫌悪そう。
ぜったい今、貴島君に送ってもらっていた姿見てたんだろうな。
ついでに朝、迎えに来た件も説明しろって言われそう。
「ただいま、お兄ちゃん」
取り繕うように可愛い声を出してニッコリ微笑む。
しかし、お兄ちゃんには通用しなかった。
「説明しろ」
「はい……」
面倒だけど、シスコン兄にはきちんと言っておかないと後がうるさそう。
仕方ないか。
こっそりため息をつき、リビングの椅子に座る。
お兄ちゃんは対面に座り、机の上で手を組んだ。
「今、男に送られてきたな。朝の奴と一緒だ。アイツは誰だ」
端的に、単刀直入に聞いてくる。
「同じクラスの貴島君です」
「付き合っているのか」
「はい。一応……」
下を向きつつ、言葉小さく答える。
付き合うと言っても、一週間の期限つきだけどそこまで説明するのは面倒だ。
「ふぅん」
お兄ちゃんは黙って私を見る。
何か言いたげな様子にドキドキしてくる。
見透かすような、観察するような視線が怖い。
「何? 何か文句ある?」
強気で言い返してみると、首を横に振られた。
「いや……。まぁ、いいさ」
お兄ちゃんはそう言うだけで、席を立ってソファーの方へ移動し、さっさとテレビを点けて見始めた。
あれ? もっと色々聞かれて言われるかと思った……。
ちょっと拍子抜け。
「毎日朝は迎えにくるんだろ?」
「あぁ、うん。毎日かはわからないけど、多分そうなんじゃないかな?」
「あっそ」
お兄ちゃんの言い方が妙にひっかかるけれど、変に突っ込まずほっとした。
今のうちに、と私はそーっと黙って自分の部屋に戻っていった。
それから毎朝、時間になると貴島君は迎えに来てくれた。
その度にお兄ちゃんは威圧感バリバリで対応する。
もう、やめてほしい……。
何か言いたげだが、何も聞かれない所が余計いやだ。
登校しながら貴島君に謝る。
「ウチの兄が毎朝ごめんね?」
「ううん、いいよ。大事にされてるんだね」
貴島君は苦笑しながら、優しい言葉をかけてくれる。
そして、あっ、と呟いた。
「ごめん。今日一緒に帰れないんだ」
「そうなの?」
聞き返すと、貴島君は困ったようにため息をついた。
「うん。今日は塾の開始時間が早くてさ。ダッシュで帰らなきゃならないんだ」
「そっか、わかった。大丈夫だよ」
「少しでも一緒に痛いんだけど、こればかりはね」
残念そうな貴島君に軽く微笑む。
そう思ってくれていたんだ。
私は、たまには一人で帰るのもいいなんて思ってしまったよ……。
期限まで今日をいれてあと四日。
土日を入れたら、学校で会えるのは今日と明日だけだ。
期限を設けてしまった分、余計に残念に思うのだろう。
「塾、頑張ってね」
笑う私に、貴島君は嬉しそうに微笑んだ。
放課後。
久しぶりに一人で帰るし、帰り道にどこかへ寄って遊ぼうとちなを誘ったが、今日はピアノの日だからと断られてしまった。
ちなは子どもの頃からピアノを習っている。今日はレッスンの日だったか。
残念だけど仕方ないからひとりで帰ろうかな。
そう思いながらも、帰る前に気になることがあった。
……ここ数日、ずっと心に引っかかっていること。
私の足は、ゆっくりと資料室へ向かって歩いていた。
放課後の人気のない廊下を進み、奥ばった資料室の前まで来てしまった。
奥にあり、人目につきにくいから余計にそこだけぽっかりと別空間な気がする。
今の私には、扉を開ける勇気がないけれど……。
「何してんの?」
扉の前にたたずんでいると、後ろから声をかけられ、驚いて振り返るとそこには龍輝君いた。
「龍輝君……」
なんか、少し気まずい。
「貴島と一緒じゃないのか?」
「あ、うん。今日は違う……」
「ふぅん」
龍輝君は私の横をすり抜け、扉を開けた。
「入る?」
「あ、ううん……」
入ろうかとも思ったが、それは何だかいけない気がした。
「あの、龍輝君……」
「ん?」
「あの……」
何か言おうと思うのだけれど、言葉が見つからない。
そんな私を見兼ねてか、龍輝君は開けていた扉を閉め、私に向き合った。
そして一言呟いた。
「帰るなら送るよ」
――――
辺りはもう薄暗くなってきている。
ソッと隣の龍輝君を見上げるが、その表情はわかりにくい。
結局、送ってもらっているけど会話がない。そもそも何を言ったらいいんだろう。
貴島君とのこと、弁解するのも違う気がするし……。
考え込み、俯いていると龍輝君が口を開いた。
「ここ……、よく遊んだ公園だよな」
「あ……」
見るとそこは幼い頃一緒に遊んだ公園だった。
近所だけど、この道を通ることは少なくて最近は来ていなかった。
懐かしい。
「この木……、こんなに小さかったんだな」
龍輝君は道路脇に植わっている大きな木を指差した。
いまでも十分大きいが、子どもの頃はもっともっと大きい木のように感じていた。
あんなに大きく感じた木も、今ではこんなにも小さく感じる。
あれからどれだけ歳月がたったのか、自分達が成長したのかを思い知らされた。
「あの日……」
「え?」
龍輝君は木を見つめながら呟いた。
「最後に会ったあの日、本当はさよならを言いにきたんだ」
「えっ? さよならって……?」
龍輝君が言うあの日とは、彼がこの木から落ちた日のことだろう。
苦く苦しい記憶が甦り、胸が痛む。
「両親が離婚することになって、母親に着いて行くから学校を転校することになった。だから、あの日がお前と会える最後の日だったんだ」
「そう……だったんだ」
離婚と転校……。
そんな事情があったなんて知らなかった。
「怪我して病院へ行ってすぐに町を離れたから、あれきりになっちゃったんだ」
幼い龍輝君は私を追いかけ、この木から落ちて怪我をした。
その傷はまだ腕に残っている。
たぶん、一生消えない傷だ。
「私、たっくんは死んじゃったかと思っていた」
「アハハ。再会したとき本当に驚いていたもんな」
「だって誰も何も教えてくれなかったんだよ。私自身、ショックで記憶も曖昧になってしまって……。ここでの出来事を思い出せなくなっていた」
時々、夢で見るくらいでしか覚えていなかった。
いつも、事故が起きる前に目が覚めていた。
でも、龍輝君と再会して全てを思い出した。
だから。
「生きてたって知って… …、会えて……凄く嬉しかったんだよ」
そう言った私を龍輝君はじっと見つめる。
真っすぐな瞳から一瞬目が離せなかった。
そんな風に見つめないで欲しい……。
非難するような目ではなく、どこか熱を帯びる様な目にドキドキしてくる。
戸惑っていると、龍輝君は静かに言った。
「……帰ろう」
スッと踵を反し、歩きだす。
ちょっと遅れて、黙って私も着いていった。
途中で公園へ立ち寄ったけど、それでも学校から家までの道程はあっという間だった。
初めて、家まですぐに着いてしまったと思った。
「ありがとう」
私はお礼を言って頭を下げた。
龍輝君は向かい合って小さく頷いた。
「……負けだな」
「え?」
低い龍輝君に声にドキッとする。
何の話?
「俺の負けだ」
「負け……?」
「貴島と付き合ってるんだろ?」
「あっ……」
あれは、一週間のお試し期間だと伝えるべきだろうか。
「あのね、あれは……」
「お前が俺に惚れたらお前の負け。でも……、お前は貴島を選んだ」
「選んだって……」
選ぶ?
私は別に貴島君を選んだ訳じゃない……。
「私は……」
言いかけた私に龍輝君は小さく微笑んだ。
「GAME OVERだ。楓」
GAME……OVER?
言葉を詰まらせる私に背を向けて、龍輝君は振り返らず帰って行った。
どうして、こんな気持ちになるの。
龍輝君に違うと叫びたくなる。
誤解だと言いたくなる。
でも、言った所でどうなると言うのだろう。
突き放されたような気持で、悲しくて仕方ない。
それなのに、龍輝君の背中をボーっと見送る私に、涙はでてこなかった。
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