王子様はお姫様の夢を見ない

 わたしはべつに茉花幸まかろんのことが嫌いなわけではない。

 むしろ好ましいと感じている。可愛らしい容貌も、それを引き立たせる豊かな表情も、自身の赤毛を誇るでも貶すでもなくただあるがままに振る舞う姿も。

 きっかり型に嵌まらなければいけない自分とは違う。短く切りそろえた黒髪も、大きく露出したおでこも、はきはきと喋る口調も。

 すべて、求められるイメージの通りに振る舞っている。

 幼いころのアルバムを見ても、少年のような見目をしていると思う。それが成長の過程で、女性らしい線の細さと相まって、王子様、なんて呼ばれるのは漫画の世界でだけだと思っていた。

 ある意味で。

 梅雨のある日に茉花幸から偽装カップルの話が持ちかけられ、それを承諾したのも、そういったイメージに無自覚に合わせてなのかもしれない。

 可愛らしい、花が咲くようなお姫様。そこに寄り添う王子様。

 なんて幻想的なのだろう。

 それが、わたしの求めた役柄とは違っていても。

 ──だから、桜の舞うあの日。

 新入生から熱のある視線を向けられ、同級生からは冷やかされ、でもそこに少しの熱があるのもわかって、上級生から受験が終わったら付き合ってほしいなんて言われて……疲れ果てたわたしが部活棟の裏の苔むした日陰で空を見上げている頃。

 桜の花弁のように空へ舞い上がることができたら心地いいだろう、なんて空想にふけっていたとき。


『えっと……姫宮さん、だよね?』

 べつに特別なことでは何もない。立ち入り禁止というわけでもない。

 ただ、あまりに日当たりがよくなく虫も湧くことから嫌厭けんえんされていて、ひとり逃げ込むにはちょうどよかっただけで。

 そんなことが、わたしの特別になった。


『次、移動教室になったって』


 彼女の名前はなんだっただろうか。一度名乗ってくれた人物のことは憶えている、なんてイメージがあるのは知っているが、事実はそれに合わせて必死に記憶してるだけ。

 一度、二度声をかけられた程度じゃ顔すらぼんやりとしている。

 今年からクラスが一緒になっただれか、のはず。


『ごめんね。足労をかけた。めんどうだったでしょ、先生からの頼みとはいえ』

『え……いや? 連絡忘れてたって先生飛び込んできて、そしたら姫宮さんいないなーって思って。ほかの子が教えてくれる気もしたけど、まあいちおうね』


 その言い方が、胸の中心にひっかかった。


『探しに来てくれたの?』

『そんな大層な話じゃないけどね』

『どうして?』

『いやだって、姫宮さんが困ったら大変じゃん』


 そんなひと言だった。

 それで、わたしはわたしの感情を知った。

 困っていたのだ。そして、どうしようもなく救われたがっていた。

 おとぎ話のお姫様が、幸せになるように。

 わたしが救えないわたしに、だれか手を差し伸べてほしかった。

 目の前にある手がすくい上げたのはわたしの心で、現実にはただ不思議そうな表情があるだけ。

 今はまだ、ひとりで立ち上がる。あるいは、誘引されるように彼女の近づいた。手のひらに伝わる温度がなくても、心はもう知っている。


『名前、なんて言ったけ』

『え、私? 瀬良だよ』

『下の名前は?』

『灯、だけど……』

『ありがとう、灯。行こうか』

『おおー。モテる女は違いますなぁ』

『何それ』


 そうやって笑ったはずの私は、後日聞いてみれば親に迎えに来てもらった迷子のようだったという。

 そんなことを今になって思い出すのは、やはり告白するからだろう。

 部活棟の裏。告白の雰囲気なんて微塵もなくて、わたしが恋に落ちた場所。

 桜はとうの昔に空の彼方へ消え、紫陽花は枯れ、向日葵が頭を垂れて土に還った頃。

 赤に色づく葉に、幸福な嘘を築き上げた少女の姿がよぎる、そんな季節。


「好きだよ」


 呆気にとられた灯の顔は、迷子のようだった。

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