らぶはいつだってさすぺんす

 ふたりとしてはあのまま、いつものように談笑で時間を潰すのもありだったのだろうが、私には耐えきれず席を立った。

 常備してる小銭でちょうどを出すと、明希は伝票をもって立ち上がった。

 そのことに駄々をこねるマロをいつものように、私が知るふたりのいつものようになだめて、会計を済ませた。

 外へ出て、口の回らない不格好な別れの挨拶を告げると、


『告白の返事、待ってるから』


 そのあとに『あ、まかろんも忘れないでね!』なんて言葉が追いかけてきて、胸の痛みはいっそう強まるばかりだった。


「なにが……どうして……」


 日当たりの悪い自室。隣の家がつくる影が、風でカーテンがそよぐたびに差し込んでくる。

 机の端に参考書を積んだまま、ブレザーに皴が寄るのに気持ちを割く余裕もなく、うつぶせで視界を閉ざす。

 そのまま眠って逃げてしまいたかったが、あの出来事がいっそう現実であると強調されてしまい、眼窩に鈍い痛みを覚えた。

 リフレインする告白を振り切ろうと耳を塞いでも、どうやら鼓膜がその響きのかたちになってしまったようで、一秒毎の心臓の鼓動でその言葉を繰り返す。

 現実逃避の道は塞がれていた。

 顔を上げて、目が合う。

 鏡だ。卓上を照らすライトが直に目に当たらないため、軒のようなった部分の外側に嵌め込まれた、コンパクトよりも小さな反射板。

 その向こうにいる自分は困り眉で、沈んだ表情で顔のそこらにあるほくろが歪んでことさらみっともなく見える。

 鏡の裏側に不思議の国があったとしても、私の状況はどうやら今と変わりないらしい。


「困ったなぁ……」


 そうぼやいた声が、自分のものとは思えないほどに憂鬱な色を含んでいて、耳の産毛が総立ちするように感じた。

 べつに、告白されたのが嫌だというわけではない。はずだ。

 言い切れないのは、自分の感情を知らないから。

 当然ながら、彼女たちのそれも知らない。……それは嘘だ。

 告白を、受けたのだから。知らないじゃ済まされない。


「……告白なんて、するほうだけが大変だって思ってたのに……」


 人の感情を受けとめるのだ。

 悪口が傷になるように、好意だって何かしらの痕になる。

 考えてみれば自明のことを、痛感する。


「……だからってどうしろって言うのよ」


 吐き出した言葉に気力を誘拐されたように体の芯から力が失われる。腹筋と背筋で姿勢を保っているのもしんどくて、机の天板に頬をつける。

 カーテンの上部が暗く染まっていた。黒ではない。日が落ちて、夜になろうとしている。そういう色だ。

 下部へと運ぶ目線を遮るように積まれた参考書の、上の一冊を適当に開く。英語だったせいで、斜め読みでは設問の意味が理解できない。

 それでも、末尾のページをめくれば回答を知れる。

 だから、そう。

 憂鬱の正体は、


「ふたりはどうして、私のこと好きなんだろ……」


 謎だ。とんだミステリーだ。

 名探偵なら模範解答をカンニングするまでもなく、すべてをつまびらかにできるだろうか。

 私はそれにはなれない。

 背もたれの側にあるベッドの脇には本棚があって、そこに刺さっている本のジャンルで言えばミステリが多くても。

 読者への挑戦状を飛ばさずに解き明かそうとしたのは、思い出すのにも苦労する遠い日のことだ。

 探偵役として、あらゆるものが不足している。

 では、恋愛ジャンルに活路を見出すのはどうか。


「むなしい、っていうか」


 本棚は人生を写すと言う。

 恋愛遍歴を語るまでもなく、コメディなんて浮かれた話が残るほどこの部屋は広くない。

 愛は、ほつれて、ねじれて、ゆがんでしまうものだ。

 ラブの同伴者はいつだってサスペンス。

 血みどろだ。


「むごたらしい」


 私にとって経験もない恋愛とはそういった空想でできていて、結局は綺麗なものばかりを見せてくれたふたりの関係に救われていたのだろう。

 幻想だった。

 それに裏切られた気持ちになるのは、愛犬に牙をむかれて驚くような、身勝手な感情だ。わかってる。

 でも、それでも。


「嘘かぁ……」


 悲しみが胸のうちに渦巻いて、それが痛みとなって今にも張り裂けそうだった。

 裏切られたのが悲しいのではない。私の信じた愛がなかったのが、どうしようもなく悲しかったのだ。

 だから、そう。

 告白の答えは決まっていた。

 起き上がって窓を見ると、日は西に落ちて空は一面の夜だった。

 真っ暗な部屋では着替えもななまらない。手探りでスイッチを探し当て、電気を灯す。

 わずかに眩んだ瞳のなかに告白してきたときのふたりの表情が見えて、どちらも可愛かったなと思う頃には、ブレザーのボタンを見ることができた。

 部屋着へと着替え終わるのと、下から夕食の準備ができたと言う母の声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。

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