第5話
SIDE A
「おはようございます、先生。月末の校内ライブに出ること決まりました!」
前期授業では古賀さんを受け持つ授業が無かったのでこうやって話すのは久々である。熊さんからはPCとDAWソフト相手に悪戦苦闘しているけれど、クラスメイトとはちゃんと打ち解けられているようだと報告が入っていた。
「おはようございます。それは良かったですね。」
「それで、あの…初めてライブするんで、ちょっと色々と教えて貰うてもいいですか?出番も一番目で…」
ちょっとなのか色々なのかどっちなんだと思いつつ、私の初ライブはいつだったのかと一瞬考えた。
「一番目でしたら当日にリハーサルがあると思うので、その時に音響さんに聞けばいいと思うんですが。」
「そんなぁ。」
「…では、どんなことが知りたいのでしょうか?」
「ライブの時のギターの繋ぎ方もよう分からんし、不安しか無いっていうか…」
「そうですか。ではどうしましょうか。」
「熊野先生に聞いたんですけど、バンドカウンセリングって先生にお願い出来んのですか?」
この学校では希望者側の生徒のバンドが先生を指名し予約を入れ、ひとコマ使ってアドバイスをしてもらえる時間が持てる。ただこのシステムが始まった当初に色々あったらしく、今ではアーティスト単位で2週間に一回という制限がついている。ライブパフォーマンスをチェックして欲しいだとか、同じような曲ばっかりに聞こえると言われたから見て欲しいだとか、カウンセリングの目的がそういうスポット的な意味合いの問題点が多いこともあり、指名されるのは実演科目の先生なことが多い。
私は理論科目の主任として一部の生徒には頼りにされている自負はあるが、一般的には『インテリの難しいことを言う先生』というイメージだろう。四角四面の堅物のようなものだ。それに加え15年以上も前の私の現役時代のことなど古賀さん以外の生徒には興味すら持たれてはいないだろう。そういった理由で私を指名する生徒など古賀さん以外にはいなかったのだ。
「私は今までバンドカウンセリングをしたことが無いですが大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です!お願いできませんか。」
最初から断るつもりも無かった。古賀さんに限らず学びに対し前向きな姿勢の生徒には常に全力で向き合うつもりだ。
「良いですよ。では予約を入れてきてください。機材管理室で受け付けているはずです。」
「先生はいつ空いてます?」
「私は水曜が休みです。その代わり土曜が出勤で午前中は理論の補講をやってます。ですので、水曜以外の平日か土曜日の午後でしたら大丈夫ですよ。」
先のことを見据えて答えた。
「じゃあ明日は先生、大丈夫ですか?」
「スタジオが空いていれば大丈夫です。部屋の大きさはM以上でお願いしますね。」
流石に知り合ったばかりの生徒と狭い部屋に2人は息苦しいだろうし色々問題があると思った。
翌日の放課後、機材管理室に向かうと古賀さんは既に来ていた。
「お待たせしました。では行きましょうか。百瀬くんよろしくお願いします。」
「はーい。」
百瀬くんに頼んでおいたDIボックスとマイクとケーブル類を借りて出た。
大きな窓が付いたMサイズのスタジオに着き、まずはエレアコのセッティングから教えることになった。
「まずはそのエレアコをどっちに繋ぐかですね。」
「どっちってアンプやなかですか?」
「アンプで出すか、そのままラインで出すかです。」
「ラインは授業で習いました。なるほど、ライブでもラインなんですね。」
「アンプで出す場合も一般的には信号を分けて、PA卓。…PA卓は分かりますか?」
「音響さんの机のとこですよね。」
「そうです、音響卓です。そこに信号が行くのに分岐させてと、アンプを使う場合も分けるのです。」
「どんな違いがあるんですか?」
「とりあえず、古賀さんの用意が出来てからにしましょうか。」
そう言って私はホワイトボードの前に陣取り、古賀さんがケースからエレアコギターを出すのを待った。
ここからはスタジオに備え付けのホワイトボードに図を書きながらゆっくりと説明する。
「最初に、ライブには外音と中音というのがあります。外音というのはお客さんに聞かせる音です。中音というのは演者が聞く音です。プロが使うような大きいライブハウスだとそれぞれに専用の音響さんがいます。ですが、アマチュアが使うような小さいライブハウスでは、外音も中音もひとりの音響さんが行うことが多いと思います。そのことは全ての大前提なので覚えて下さい。」
一人相手にホワイトボードを使っての講義である。やっぱり『インテリの難しいことを言う先生』なんだろうなと思いながら話を続けた。
「学校のイベントでは、PA科の実習も兼ねているのでどちらもいることが多いでしょう。一応、リハーサルが始まる前に確認しておくことです。」
「わかりました。」と言いつつ必死でメモを取っている。
「では、古賀さんのギターのセッティングに話を戻しましょう。ギターからの信号の流れの話でしたね。ギターからの信号がラインで直接PA卓に送られるというのは、PAさんの方でギターの音作りを管理するということです。アコースティックの楽器はハウリングの心配があるので、自然とそういう習わしになっているようです。」
「自分で音は決められんのですか?」
「そのエレアコにはツマミがあるでしょう。」
ギターを覗き込んだ。
「それで簡単な音決めは出来ます。他にもプリアンプを用意したり足元にエフェクターを用意したり、そうやって音作りをする人が多いですね。」
「プリアンプ…色々買わんといけんのですか?」
「とりあえずは大丈夫だと思いますよ。バンドをやりたいとか定期的に自分でライブをしたいとかそういう風になって行くのであれば、アコギ用のプリアンプとボリュームペダルくらいは必要に成っていくでしょうね。」
「プリアンプ。ボリュームペダル。」
ぶつぶつと呟きながらメモを取っている。
「では実際に繋いでみましょうか。授業ではもうギターを繋ぎましたか?」
「はい…大丈夫だと思います。」
「まずはギターアンプに繋いでみましょう。ライブではDIという小さい箱に繋いでからそれのアウトからアンプへと言うことになるのですが、今は直接繋ぎましょう。」
繋ぐのはリハスタならどこにでもある国産のトランジスタ型のアンプである。彼女自身で借りてきたケーブルを繋ぎ、電源を入れボリュームを上げてEのコードをジャリーンと弾いた。「おお!」と声が出ている。ヘッドホンで自分のギターの音を聞いたことはあっても、アンプで聞くのは初めてなのだろうか?
「ギター側のツマミはどうなってますか?」と、ギターの側面にあるつまみを見ると、全て真ん中の適切なセッティングになっていた。
「では、曲っぽいことを弾いて下さい、私がアンプのEQを切りますので。」
そう言って簡単ではあるが、ブライトスイッチをオンにしてミッドを抑えめにと、定番の形にEQを切った。こうやって改めて聞くと普通に良い音をしている。
「では次にボーカルのマイクの方を立ち上げてみましょうか。セッティングは出来ますか?」
「多分、出来ると思います。」
そう言って古賀さんにミキサー卓のアンプ立ち上げから任せた。古賀さんはギターを置いてからミキサー宅に向かい「これがアンプやけん…」と、ブツブツ言いながらスイッチを入れ少し順番が違ったものの一応は音が出た。
「それでは適当に弾いて歌ってみましょう。先程の話で言う中音のモニターはこのスピーカーで、スピーカーからは今は声しか返ってません。」
私に促される形で古賀さんが私の知らない曲を弾き語り始めた。こうして私が彼女のうたを生で聞くの初めてなのだが、緊張して声が震えているように思える。あえてそこには触れず今はシステムを把握させることに集中する。私はミキサー卓を操作した。
「これがアンプで出した場合です。じゃあ次にモニターで出してみましょう。」
ギターアンプの電源を落とし、DIボックスの使い方と噛ます理由、DIへのケーブルの抜き差しは必ずPAさんに確認することをホワイトボードを使って簡単にレクチャーし、ミキサー卓の方へギターを繋ぎ変えた。
「ではこのセッティングで、適当に弾いて歌ってみて下さい。」
先ほどと同じ曲を演奏し始めた。
「どうですか、違いは分かりますか?難しいかもしれませんが、今日のところは、エレアコを繋いでライブするには大きく2種類の方法があると理解して下さい。」
「メモとっても良いですか?」
「どうぞ。」
「今回の校内ライブに限って話をしますと、アンプは使わなくても良いかと思います。ただ、ハウリングがどうかってとこではあるのですが。」
「スピーカーがキーンってなりおるやつですか?」
「そうです。ハウリングとはモニタースピーカーから出た音が、アコースティックギターのサウンドホール内についてるピックアップマイクで拾って、それがまたモニタースピーカーから出ての繰り返しになり、音がループし続けることで起こります。モニタースピーカーからの音が演者の耳を狙うように足元から音が出てるからですね。その点、ギターアンプから出せばギターの音は後ろから聞こえるので回避出来るかもしれませんが、セッティングや音決めに時間がかかるかもしれません。それでですが、今回はそれらの点はPAに任せてそのままラインで送ってしまえばいいと思いますよ。」
図に書いて説明をした。
「はい。」
「もし可能であれば、ハウリング対策として、そのギターの穴を塞ぐサウンドホールカバーを持っていても良いかもしれませんね。実際に使う使わないは別にして。」
「あ、黒いやつだ」
「そうです。1000円以内で買えると思いますので、今度楽器屋さんに行った時にでも見てみて下さい。ただしギターの音は少し変わりますよ。」
「分かりました。さっき先生が言ってたプリアンプとかも見てみます。」
「プリアンプは値段が結構しますので、必要な時になってからで良いと思います。」
「そうなんですか、じゃあ調べるだけ調べてみます。あの…必要に成った時は一緒に選んでくれますか?」
「はい、相談には乗りますよ。」
ほとんどの学生は金が無い。それに時代も時代だ。それは分かっているので、必要最低限以上の無駄な出費は避けたほうが良い。それにこだわり始めると天井が無い。音楽は金がかかるのだ。
「これで音周りは一応は問題無いと思うのですがどうですか?ライブまで日にちがあるので、個人練習で試してみると良いかもですね。」
「やってみます。」
「では他に質問はありますか?」
「先生はステージで歌う時って、どこ見とるんですか?」
「基本的には一階の最後列から少し前あたりです。人間っていうのは自分よりも奥に目線が行くと自分と目が合っていると感じます。自分に話しかけられていると思ったら、後ろの人だったという経験はありませんか?そういうことです。でも同じところを見続けるとそこのお客さんが怖く感じたりもするので、その辺は慣れですね。」
その後、細かい質問に答えたり他愛も無いことを話したりしながら、早めに片付けをし終了となった。
結局この日は古賀さんの楽曲をちゃんと聞くことは無かった。
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