卯月編 - April
第1話
B SIDE
入学式に先立ち、学校で新入生ガイダンスとオリエンテーションがあった。初めて一人で行った学校には、無事迷わず遅刻せずに到着することが出来た。
学校では説明会の時に行った大きいホールに集められ、改めてそれぞれの担任の先生を紹介されてからそれぞれの教室に案内された。ということで、自然とクラスメイトもその時に知ることになる。みんな緊張してぎこちなく何が何だか分からない空気のまま熊野先生の話を聞き、学生証もその時に貰った。
その日は午前で終わりお昼前に解放された。と、急に解放されてもやはり急にクラスメイトのみんなでワイワイ仲良くとはいかず、みんなぎこちなく解散になる。
私もそれに漏れず一人で帰途に着く。帰りには貰ったばかりの学生証を使って通学のための定期券を買うことが出来た。
翌日の入学式には、わざわざ福岡から母ちゃんが来てくれた上に「おばちゃんは華ちゃんのお父さんの代わりやからいいの。」という謎理論に押し切られ、3人で一緒に行くことになった。
入学式は学校の近くのおっきな公民館みたいなところで開かれたのだが、母ちゃんがわざわざこのためだけに出てきてくれたのが申し訳無いくらい本当にあっさりしたものだった。
式が終わると賑やかな3人で楽しくお茶してから帰宅し、その日の夕方の便で母ちゃんは福岡に帰っていった。
次の日からは簡単な試験に健康診断と、最初の数日は怒涛のような日々を過ごすことになった。
作曲編曲科のクラスメイトは10人だった。大きい学校じゃ無いことは事前に知っていたのでその人数は意外では無かったけれど、他の学校や他の科と比べてクラスメイトが10人というのが多いのか少ないのかは分からない。その中の女子は私を入れて3人。少し話した感じではすぐに仲良くなれそうな気がする。そして担任は熊野先生だ。改めて担任と名乗られると何故か変な感じがする。
授業に先立ち前期選択授業カウンセリングというのがあり、事前に生徒自身が希望する授業を書いた用紙を元に担任との個別のカウンセリングという名の確認作業が行われた。
選択授業は2コマ続きの枠が1科目で、自分が学んでいる本科と同じ教科は選べない。そして作編科はアンサンブルの授業がオプションとして選べる。その他に1コマの副科目がある。
確か芝井戸先生はボイトレが良いと言っていたはずである。
「こんな感じかなと思うんですけど、先生どう思いますか?」
「そやねえ。ボイトレは正解やと思うわ。古賀さんに必要なもんやと思う。アンサンブルの授業も付けといた方がええわな。それとあと1コマの副科も選べるけど、どうする?」
副科目は相談しようと空欄にしていた。先生の話によるとあえて選択をしないで、作編科の教室で作業をしていても良いらしい。
「もし先生が古賀さんやったら、アコースティックギターかな。アコギ習ったことある?」
「独学でしたけど、習ったほうがいいですか?」
「コマ余らせとくんも勿体無いし受けてみたら?無駄にはならんと思うわ。」
「じゃあ、アコギも受けてみます。」
とそんな感じであっさりと決まった。ボイトレとアコギか。頑張らないと。
「ところで、芝井戸先生にはもう会うたかい?」
「まだ挨拶も出来てません。」
実は一度試験の日に廊下で見かけたが、とても忙しそうで声をかけそびれたのだった。
「そうか。まぁここんとこ、みんなバタバタしとったもんな。今日には先生らも落ち着いてると思うから、帰りにでも入学しました!って挨拶に行っといで。」
SIDE A
入学式前後の忙しさももうすぐ一息という頃、例の少女が挨拶にやってきた。
「お久しぶりです、芝井戸先生。古賀華乃です。作編科に入学しました。」
初めて見る私服姿は、ヒッコリーのペインターパンツにスニーカーにフーディーという私の世代には親しみやすい格好をしていた。
「おはようございます、古賀さん。入学おめでとうございますですね。こちらの生活には慣れましたか?」
「あ、おはようございます。」
科目を問わず全ての新入生が担任から最初に教えられるのが、ケーブルの8の字巻きとこの「おはようございます」だろう。出自は定かでは無いらしいが、朝でも昼でも夜でも挨拶は「おはようございます」で統一だ。しばらく時間が経てばそれが当たり前になるのだが、最初は皆面食らう。
「こっちの親戚の家に居候させて貰って、そっから通わせて貰ってます。この間は親戚のお姉ちゃんに梅田にお買い物に連れて行って貰いました。」
「そうですか、楽しそうで何よりです。クラスには慣れましたか?友達は出来ました?」
「クラスは熊野先生が担任でした。クラスメイトとちょっとはお話しましたけどまだ分かりません。」
「そうですか、早くお友達できるといいですね。」
古賀さんなら大丈夫だろう。心配はしていない。
「それで今日は選択科目のカウンセリングでした。」
「そうですね。もう決まりましたか?」
「はい、えっと。」と言いながらゴソゴソと斜めにかけた鞄からプリントを取り出す。
「ボイトレとアンサンブルのセット、それと副科をアコギにしました。それで5枠です。」
「なるほど、いい選択だと思います。まぁ少しずつやっていきましょうね。」
「はい!」
先に私個人を認識しているからなのか、新入生特有の距離感みたいなものが無いのは、話していて気持ち良いなと思った。
「それと、疑問や質問があればちゃんとそれぞれの先生に質問すること。授業中に質問するのが難しければ、授業終わりすぐにでも先生に時間が取れれば大丈夫だと思いますよ。分からないまま進まない事が大事ですからね。」
余計な心配だとは思いながらもつい口走ってしまった。
「はい!」
素直で良い生徒じゃないか。
「あ、そうだ。先生。私ギター買ったんです。」
「へえ、どんなのを買ったのですか?」
「サイレントのアコギです。おばちゃんのお家で弾くんだったらうるさくない方がいいかなって。」
「アコギと比べて、弾いてみての違和感は無いですか?」
「ちょっと変な感じがしましたけど、すぐ慣れるかなって。」
プロの演奏者の中にすらその慣れを乗り越えられない層がいる。そもそも作りや用途が違うのだから同じカテゴリでも別の楽器なのだ。逆にいつも使っているものと全く同じでは私なんかはつまらないと思ってしまうのだが、彼女もそんなものは気にしないタイプのようだ。
「持ち運びも便利でいいんじゃないですかね。楽でしょ?」
「楽ですけど、学校に持ってきてもいいのかなって。」
「駄目なんですか?」
「音がどうなんやろって。」
「作編科の方であれば良いと思いますよ。ライン録りが楽になると思いますし。ただしアコギの授業で使うには音が小さすぎるかもしれないですね。もし気になるのでしたら、授業の日はアコギを持ってくるみたいに使い分ければどうですか?」
「そっか。」
「それにもうすぐ梅雨の時期です。一応その対策もね。」
「そっかあ、雨かぁ。やだなぁ。」
「それと曲作りの方は進んでいますか?」
「あっはい。ピアノでも何曲か作ってみました。先生に教えてもらったノートも作りました。」
「そうですか、順調そうで良かったです。また聞ける日を楽しみにしてますね。」
「あっそれで、先生にその曲とか聞いてもらうのってどうすればいいですか?」
「音源で貰ってもいいですけど、そうですね…そうだ。月末のマンスリーライブは知ってますか?」
「毎月学校でやる発表会みたいなもんだって、熊野先生に聞きましたけど。」
「はい、事前に音源での審査はあるんですが、その月の出演希望者が多すぎるってことでも無い限り出れるはずですよ。ほら、ここに要項が貼り出されてます。」
ここ職員室の前の掲示板に貼られている ”4月期校内マンスリーライブ 出演者募集” の用紙を見せながら話をした。
「音源の提出方法などの詳しい話は、機材管理室で聞けば教えてくれるはずです。興味あればぜひ出てみて下さい。」
「うち、まだ人前でライブしたこと無いから多分緊張するなぁ。」
ライブ経験が無いのか。意外だなと思った。
「これってどんなライブですか?一曲って書いてありますけど。」
「はい、何組も出るので一曲ずつです。それを見に来た生徒さんの前で発表してもらいます。審査員じゃないんですが何人かの先生にも見てもらって、後日プリントで講評が貰えます。楽曲だけでなくステージングも含めたアドバイスを貰える良い機会ですよ。」
「出ます!それで…えっと、先生も審査してくれるんですか?」
「私は審査はしませんけど、勿論、見に行かせていただきます。」
「そっかぁ。じゃあ頑張ろっと!」
当日見に来る一年生はいても、入学早々の4月のマンスリーライブにオリジナル曲で参加出来る一年生はほとんどいない。5月になればバンドを組み始めたりで少しづつ増えては来るのだが。他の生徒や先生方に、古賀さんの存在をアピールするには良い機会かもしれない。
「このプリントってどこで貰えますか?」
「機材管理室にあると思いますよ。」
「じゃあ聞いてこよ。先生さようなら。また明日!」
「はい、お疲れさまでした。さようなら。」
また明日か。と思いながら見送った。と思ったら、走って戻ってきた。
「あの、先生。」
「どうしました?」
「先生、握手してくれませんか?」
「握手?」
「はい。うち、先生のファンなんです。やけん、けじめの握手です。母ちゃんに言われたんです。ファンのまま生徒になったら駄目って。」
「はあ。」
「やけん、ファンとしての握手してくれませんか?最初で最後です。お願いします。」
よく意味が分からないが、彼女なりのけじめなのだろう。少女が差し出した右手を私は握り返した。
「ありがとうございます。これからは生徒としてよろしくお願いします。」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。これからの2年間、頑張りましょうね。」
「はい!」
B SIDE
初日から数日こそ緊張したけれど、音楽を好きな人たちと一緒に勉強すると言うのは奇妙で刺激的である。
次の日は、一年の全生徒が集められた新入生歓迎会というイベントだった。
相談会の時に入ったコンサートホールの教室で、2年生や卒業生のバンドや先生だけで作ったバンドのライブが行われる、1年生同士の親睦を深めるレクリエーション会だ。
さすがは音楽の専門学校で、ホールで聞くライブの音はとても大きくて耳で聞くというよりも体で体感するアトラクションみたいだなと思って聞いていた。
このコンサートホールの他にも、2階の2つの大きい教室も懇談室となった会場ではホールのライブ映像がテレビに映し出され、テーブルには雑多にお菓子やドリンクが置かれていてご飯を食べたりおしゃべりしながらライブを見れるスペースになっている。
私は基本的にホールでずっとライブを見ていたのだが、近くにいた女の子と自然と仲良くなって少しだけお話するようになった。彼女は海広 真理子さんという地元大阪の子でベース科らしい。とても背が高く美人さんだなぁと思って本人にもそう伝えたのだが、全力で否定された。背が高いのがコンプレックスだという。背の小さい私には分からない悩みだなぁと思った。他にも同じ作曲編曲科の「見たことある」程度のクラスの人達とも少しずつお話ができた。アーティストに楽曲を提供する作曲家さんになりたいって人がいたり、ゲーム会社に作曲家とかして入りたいって人もいた。夢も色々なんだなと感心する。
こうして怒涛の一週間が終わった。授業は全く始まってないのだが、どっと疲れが出て週末は部屋でのんびり寝て過ごした。
「慣れへん環境で急に忙しかったんならしゃあないわよ、熱も無いみたいやしまぁゆっくりしなさい。」と、おばちゃんはご飯の時以外は放っておいてくれた。
私は「来週から本気出す。」と思いながら、外には一歩も出ずにダラダラと過ごしたのだった。
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