第2話
B SIDE
翌週から本格的な学校生活が始まり、担任の熊野先生の最初の授業は一曲をひたすら聞くということだった。
「君らは音楽の専門家になるためにこの学校に来ました。なんで今日はその第一歩として専門家としての音楽の聴き方を勉強します。」
そう言うと先生はホワイトボードに2つの文字を書いた。
『聞く』『聴く』
「この2つの違い、分かるやつおるか?」
一人の生徒が答える
「何気なく聞く『聞く』と、集中して『聴く』の違いですか?」
「せやな、正解!100点や。こうやって先生が話してるのを、集中せんでぼ~っとしとっても声は聞こえてくるやろ。それが左の『聞く』やな。今はみんな集中しとるから右の『聴く』に近づいとるかな?音楽でもそうで、例えばスーパーとか行って面白い曲がかかっててもみんな聴いとらんねん。ちゃんと聴けとらんっていうのが正しいんかな。大きい音で鳴ってるのを左の『聞く』で聞いとるだけで、右の『聴く』っていうのはもっと集中して聴くってことやけど。って、ここまでついてきてるか~?」
「は~い」と、みんな答えた。
「例えばCDを買いました。って今はみんな配信とかやねんな。って、まぁええわ。それ集中して聞こうと思ってても、それなりに訓練を受けてるか修行を積んでないと十分には聴けてないんやな。」
修行って何?と思いながらも黙って話を聞く。
「なので、今日は右の『聴く』を修行します。」
やっぱり修行するんだ。
「今、みんなの前にあるパソコンには昨日先生が入れといた曲が入っとる。ちょっとパソコン立ち上げてみい。立ち上げ方分かるかぁ?」
PCの電源を入れた。
「あ、先に言うとくけどな、こういう分からんってのがこれからぎょーさん出てくるかもしれん。でもな、ここはその分からんを勉強するとこやから、恥ずかしいって思わんでええからな。分からんことを一つずつ分かっていくのが勉強や。せやから遠慮なく分からんもんは分からんって聞いてください。ええかな?」
「はーい。」と、まばらに声が上がる。
「大事なことやからもう一回ちゃんと聞きます。分からんことはちゃんと聞くこと、良いかな?」
「はーい!」と、今度はみんなしっかりと返事をした。
「はい。じゃあ音楽プレイヤーを起動して。ちゃんと曲入っとるかぁ~?ここまで出来んやつは隣の人に聞くことぉ~。みんな大丈夫かぁ~?」
私は大丈夫だった。隣の人は全然余裕そうである。
「ほなヘッドホン繋いで。その曲は2分半くらいあるから、まずはその2分半の間に鳴ってる音を全部書き出してみて下さい。ギターも何本も入っとるさかい全部書きだすんやぞぉ~。ギター1ギター2って感じや。ボーカルとか他の楽器もそんな感じで焦らんでええからな。それと音量は上げすぎたら耳阿呆になるから程々になぁ。とりあえず15分かな。5回くらいは聴けるはずや。じゃあ始めぇ!」
自分で持ってきたヘッドホンを繋ぎ、再生ボタンをクリックした。ロック調のポップスって感じの曲調で女性のボーカルもコーラスもギターもたくさん入ってた。聴こえる音を片っ端から書き出す。ボーカル12、コーラス123、ギター12、アコースティックギター12、ベース、オルガン、ピアノ、ドラム、パーカッション、謎の音などなど。
あっという間に15分が経ったのだろう。熊野先生が止めた。
「は~い、とりあえずこっちに集中~!どうやった?結構疲れるやろ。ちょっと休憩な。しっかり使うと耳も疲れるんやで。」
確かにたった15分だが集中した分、耳というか頭というかが疲れている。ヘッドホンに慣れていない所為かもとも思う。
「なんかよう分からん打楽器もあったやろ。シャカシャカ言うとるやつかと、コッコッって言うとるやつとか。そういうのを判断するには楽器の種類もいっぱい知っとかなあかんわな。」
確かにそうだ。アコースティック、エレキなどとギターにも色々あるように、パーカッションも全体の名前なのだ。
「次は譜面を渡します。って簡単なやつやから、おたまじゃくしやコード読めんでも構成だけでも目でついていけるように。曲のどこで何が鳴ってるか確認しながらもう1回やろかって、もうちょい休憩しよかなぁ。じゃあちょっと休憩!」
先生はみんなの顔が疲れているのを感じたのだろう。楽譜を配り終えると熊野先生はしばらく黙って座っていた。クラスはしんとしたままだ。そんな中、私はコード譜にメインメロディーだけが書かれた譜面をずっと見ていた。
「はい、じゃあ再開しよかねぇ。今度はその譜面に書き込んで行きましょって、耳大丈夫かぁ。しんどかったり目眩するとかは遠慮せず言うんやで~。じゃあぼちぼち再開。」
再び聴き始める。譜面を目で追っかけながらドンドン書き込んでいく。あっという間の20分が経った。
「はい、じゃあここでちょっと休憩しよか。耳疲れたやろ。今から15分休憩!」
名前順で隣の席になった川北くんと小声で雑談する。背が高く今どきのおしゃれなイケメン男子である。先日の歓迎会の時に話をしていたので気軽に話しかけることができた。彼は作曲家志望だ。
「結構疲れたね。音楽聴くだけで、こんな集中したこと無いよ。」
「そうなんや、俺は家のパソコンで曲作ったりしてたから、こういうのまだ慣れてるかな。」
「そうなの?すげえですね。」
「なに、すげえですねって。方言?ははは。」
小声で話した為に少し噛んだだけだったが、笑って貰えて何よりです。
「古賀さんは楽器なんか弾くん?」
「うんアコギ、えっとエレアコか。弾くよ。うちはシンガーソングライターになりたいん。前に言わなかったっけ?」
「へえ、じゃあ歌も歌うんや、すごいなぁ。」
「川北くんは歌わんの?」
「歌はちょっとなぁ。俺、音痴やし俺の声じゃあなぁって感じやねんな。でも高校ん時はベースでバンドやってたんよ。」
そんな話をしているとあっという間に休憩は終わり授業の続きである。熊野先生はジェスチャーを交えなら説明する。
「次はさっき拾った音が、どこから聴こえるか書き出してみよか。音は上下左右前後に広がってるからそれを拾って下さい。わかりにくい人は目をつぶって、自分の頭は球体の中心にありますって感じで、自分を中心に球体をイメージして聴いてみてな。周りの人がちょっかいかけへんかは先生が見張ってるから、安心して目をつぶって下さい。じゃあ始め!」
椅子に深く腰を掛け、目を閉じてヘッドホンから聴こえてくる音に集中する。私は球体と言われ、大きい透明なビーチボールの中に頭を突っ込んでるイメージをした。確かに録音された音には距離感などが違いそれぞれの居場所がある。ボーカルは目の前だが、ギターは完全に右とか左にありベースは下の方にある。私には音の配置っていう感覚が新鮮だった。あっという間の15分だった。
「はい、じゃあこれから答え合わせしていこか、順に先生当てるから、聞き取れた音と場所を一個ずつ言っていって下さい。じゃあイントロから。」
そうやって一つずつの楽器を少しずつみんなで発表していった。時間を掛けて曲の最後まで進んだのだが、ここで熊野先生は、「他に聞き取れた音ないか?」と言い出した。私の中では全部終わっている。
すると隣の川北くんが手を上げた。
「サビですごい低音でちょっと歪んだシンセベースが鳴ってると思います。あと、サビのメロディーに被せるようにウィスパーボイスも小さい音で鳴ってると思います。」
「よろしい、これを聞き取れた人、手を上げて。」
川北くん以外に2人手を上げた。聞き取れなかった私は本気で焦った。
「君等は耳、出来てたんやな。100点。拍手ぅ!」
本気で感動して拍手をした。
「じゃあ最後にもう2回ほど聴こうか。今、川北くんが言うたサビでの超低音のシンセベースとウィスパーボイス。ウィスパーボイスってのは小さい声で囁くような声ってことやね。耳がくすぐったいほど近くにあるはずやから、それらを気にして聴いてみましょう。」
そう言われてから改めて聴くと、確かにサビで囁くような声がすっごく近くで聴こえる。すっごい低音で鳴ってる何かは聴くと言うよりは感じることが出来た。すごいすごいすごい。音楽って面白い!と私は静かに感動していた。
「今日の授業でなんか掴めたかな?今日は聴くことを勉強しましたが、今後私達はこれを作る側に回ります。まぁゆっくりやってきましょ。家にあるCDって今は配信、ってこれももうええか…とにかく!自分が普段聞いている音楽もこうやって聞いてみると新しい発見があったりするかもやからね。ということで、この枠終わりましょか。お疲れさんでした。」
家に早く帰りたい思った。
その後、作曲編曲科の授業はDAWソフトの使い方から始まった。
先生から配られたプリントに書かれた楽譜というかなんというかというものを、パソコン上のソフトに打ち込んでいく。作業だけを考えるととても音楽をやっているようには感じられない。隣の席の川北くんはDTM経験者のようで、ものすごいスピードで課題をこなしていく。私は四苦八苦しながら必死で打ち込む。私が慣れない作業のイライラから「あー」とか「うー」とか唸っていると、川北くん横から覗き込み「大丈夫?」と声をかけてくれる。そんな感じでその都度分からないことを熊野先生や川北くんに教えてもらったりしながら作業を続ける。
「今、打ち込んでいるデータが、自分の作る音に置き換わり音楽になって行きます。今は面倒臭い地味な作業やと感じるかもしれんけど、これはこれからの2年間の授業における基礎の基礎なんで、じっくりと腰を据えて頑張ってみてください。」と、熊野先生は何度も言っていた。
その日学校が終わると私は急いで家に帰り、ノートPCに入れた今まで聞いていた父ちゃんのアルバムを、改めて片っ端からイヤホンで聴いていったのだった。
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