第6話
A SIDE
「随分と懐かれとるみたいやなぁ。」
今日の『大仕事』を終えた私を、熊さんが誂ってくる。
「あの子、私の昔のCDを持ってきていました。『風鳴』に貼られた350円の値札には、流石に悲しくなりましたけどね。」
ガハハハと笑うこの大男は、私がまだ現役だった頃を知っている。
「『風鳴』て、また懐かしもん聞いてるんやなぁ、もう何年前よぉ。」
「ですよね。」
「まぁでも、あれ聞いて芝ちゃん見つけてここまで来たんやろ。大したもんやん。で、曲聞いたやろ。あれをどう見るよ?」
普段なら相談会に来た生徒のことは話さない。正式には入学願書が届き入金の確認が済むまでは学校にとっては生徒ですらないのだ。ただ、彼女というよりもあの音源について熊さんもまた、話したい何かがあるのだろう。
「歌は素晴らしいですね。ズレが無い。曲は…どう言えば良いのでしょうね。」
「確かに歌はあのまんま下手にいじらんほうがええな。せやからこっちへ振ってきたんやろ?」
「そうです。もしボーカル科になったとしても、授業であの感じが揺らぐことはないとは思うんですけどね、それよりも…」
「せやなぁ。あの感じやと曲ドンドン書いたほうがええわな。」
同じ意見でホッとした。
「何曲聞きました?」
「1曲だけやけど、まぁ大体分かったわ。あのうたっちゅーか曲、どういうことか分かるかぁ?」
「なんと言うか、今の流行りの曲は全く聞いてないんでしょうね。いや、聞いてはいるけど影響されてないのか…。」
「昔はなぁ、ネットなんか無かった時代の話やけど、ああいう曲書くやつらはたまーにおったんよ。流行りのもん、全く耳に届いてないんやろな。自分らで好きなもんを、自分らの解釈だけで突き詰めた結果、こっちからしたら突然変異みたいなもんが出てきてたんよ。情報が少ないからこそのガラパゴス現象みたいなもんが起こってたんやろな。」
ここでいうガラパゴス現象は、世界の中の日本という意味ではない。日本の中でももっと局地的な地域の温度差のようなものだ。
「今はネットや配信などで、受動的に並列的に情報が揃いますからね」
「まぁでも今でもたまにおるのはおるんやけどな、まぁ天然と養殖の違いみたいなもんよなぁ。」
「そうですね。」
「ま、なんにせよ楽しみやん、芝井戸先生。頼んだでぇ。」
担任はお前だろと心の中で突っ込みながらも、まぁいいかと仕事に戻った。
B SIDE
学校からの帰り道、母ちゃんと相談する。
「やっぱりうち、あの学校にしようと思うっちゃ。」
「華ちゃんが決めたんならそうしなさい。芝井戸先生も熊野先生も、お母さんはいい先生だと思うわよ。」
「うん、うちもそう思う。それとね、うちっておばちゃんとこ住まわして貰えるんかな?住まわして貰うても良かんかなぁ。」
「華ちゃんはどうしたいの?」
「うーん、おばちゃんとおいちゃんが良かならお願いしよっかなって思いよるけど。」
「じゃあきちんとお願いしてみないとね。お義兄さん達が良いっていうのなら、お父さんもお母さんもそっちのほうが安心かな。」
おばちゃんの家ではおいちゃんもいたので、着いて早々に「今日見に行った学校に通おうと思います。よければここから通わせて下さい。」とお願いすると、「今さら改まってどうしたん?おばちゃんらは最初っからそのつもりよ。」と、快く受け入れて貰えた。なんとなく親の間で既に話が付いていた気もするがその心遣いが嬉しかった。
その後、おいちゃんが「聡子の部屋のサイズ、図ってけ。」と、メジャーとメモ帳を渡してくれて、私と母ちゃんはさとちゃんの部屋のサイズを図りまくった。
夜には、さとちゃんと旦那さんの浩史さんも来てくれてみんなで夕食を食べた。いつも優しいさとちゃんは「いらん荷物は華ちゃんが来るまでに片付けとくからね。」と言ってくれた。
こうしてお世話になった大阪の古賀家に別れを告げ、次の日の月曜日の昼の便で私達は福岡の家に戻ったのだった。
それから高校卒業までの時間は怒涛のように過ぎていった。こうして呆気なく進路が決まり時間に余裕ができた私は、少しずつ始めた専門学校への入学の準備と復帰したコンビニのバイトに明け暮れていた。
と言うのも、兄ちゃんの「おばちゃんの家でギター弾いても怒られんの?」と言う、ふとした一言からもう一本ギターを買うことになりお金が必要になったのだ。
今の家や爺ちゃん家ではど深夜でも無い限り苦情は来ない。しかし居候の身になる大阪の古賀家ではもっと周りに気を配るべきだと思った。ネットで『アコギ 騒音』で調べてみると、やはり今のままでは問題有りのようだ。
兄ちゃんの運転で、エレアコを買ったときと同じ楽器屋さんに行って店員さんに相談したところ、ネックも弦もアコギのままボディーだけが空洞になっている大手メーカーの国産ギターを勧められた。このギターにはヘッドホン端子がついていて単3電池で動く。生音は極めて小さくてこれなら大丈夫じゃないかと思えるレベルの音量だった。
そうして後日お金を貯めてから、再び兄ちゃんと楽器屋に向かいそのサイレントのギターを購入した。更に充電式の単三電池と予備の電池を入れるプラスティックのケースの一式も買うことにした。それと芝井戸先生が使っていたグルグル線のヘッドホンも見つけた。相談会で話をした際に、机に置いていたヘッドホンのメーカー名とモデル名をこっそりメモして覚えていたのだ。店員さんに聞くとレコーディング用にも使えるクオリティーで折り畳めるので持ち運びに便利と聞いて、値段も無茶に高くは無かったので一緒に買った。
芝井戸先生に教えてもらった理論書はその楽器屋さんには無かったので、後日友達と出かけた時に何件か楽器屋さんや大型の書店を回ってようやく上下巻を買い、こつこつと少しずつ勉強をし始めた。目標は入学までに上巻制覇だ。
それと既にケースに仕舞われていた電子ピアノも少しづつ弾き始めた。それに芝井戸先生に勧められたようにピアノで曲を作るとまた違ったような作風になるのが不思議だった。
他にも自分で作った曲と歌詞を纏める作業を始めた。学校に入るとたくさん曲を作ることになるだろう。なので今ある曲だけでも整理しておきたいと思ったのだ。
更に母ちゃんが「必要になるから」とお金を出してくれてノートPCも揃えた。そして兄ちゃんに手伝ってもらって、お気に入りのCDをそれに移し替えた。
幼馴染の美南ちゃんと隣町まで出かけて買ったルーズリーフ式の小型のシステム手帳に、誰にも見られないことを前提に思ったことを取り留めないまま書き綴っていく。芝井戸先生が言うように後で見返した時に、すぐ忘れてしまうような些細なこともその時の感情や風景が簡単に思い出せて、確かに歌詞や曲を作る時の助けになった。私はこの手帳のノートに『ひみつノート』と名付けた。
美南ちゃんは小学校の先生になるために、少し離れた大きな町の大学を受験する。私が大阪の専門学校へ行くことになったと報告すると驚いていたけれど応援するとも言ってくれた。
その後、美南ちゃんは無事に第一志望の大学に受かり大学の近くに引っ越すことになった。お互い夢のために別の道に進む。寂しいけれどお別れじゃない。
高校を卒業するとすぐに引っ越しだ。
大阪に持っていく荷物は思いの外少なく、私ってこんなに何も持ってなかったのかと唖然としたほどだ。母ちゃんが言うには、「一人暮らしじゃないからね。」ということだった。
出発の際、爺ちゃんと婆ちゃんから「かばんにつけとき。」とお守りを、兄ちゃんからは「これ。」とデジタルのフォトフレームを貰った。
家族全員に見送られ、父ちゃんの運転する車で母ちゃんと空港へ向かい「頑張ってくるんよ。」と見送られ、初めて一人で飛行機に乗った。
寂しくどこか不安な気持ちに押し潰されそうになるのを必死で耐える。機内で一人で泣く訳にはいかない。独り立ちはみんなが通る道だ。そう言い聞かせじっと耐える。
そしてみっちゃんに空港まで迎えに来てもらい、大阪の古賀家に到着すると改めて「お世話になります。」と挨拶をした。
これから2年間、私の自室となる2階のさとちゃんの部屋は、押し入れから勉強机の中まで綺麗に片付けられてた。
早速、先に届いていた自分の引越し荷物を解き、すぐに部屋のレイアウトを始める。中でも特に音楽スペースには気を配り、持ってきた電子ピアノをスタンドに乗せて譜面台をセットし、同じ椅子でアクセスできるように学習机と『くの字』になるようにセッティングする。そしてその横にギタースタンドを2つ置いてエレアコとサイレントを並べ、机にノートPCを置くと一端の音楽家のような一角が出来上がった。
そして机の上の兄ちゃんに貰ったデジタルフォトフレームには、家族やこはく、美南ちゃんや高校の友だちとの写真を飾った。
そうして大阪に着いた初めてのその夜、おいちゃんとおばちゃんとみっちゃんとの4人の食卓で、おばちゃんから話があった。
「華ちゃん、ようこそ。最初にちゃんと話しておくことは話しておくね。まずは遠慮しないこと。これは絶対。私らは親戚やけど今日から一つ屋根の下に住む家族やからね。それと寂しかったり悲しかったりしても、遠慮しないで誰かに相談すること。ちゃんと話をしようね。絶対一人で抱えないこと。ね。あと、連絡もちゃんとすること。夜ご飯いらないとか、遅くなるっていうのはちゃんと連絡してください。おばちゃんもおじちゃんも、心配しちゃうからね。相談と連絡。これだけはちゃんと守れる?」
「うん、大丈夫です。これからよろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。よし、ほな頂きましょか。いただきまーす。」
それから学校が始まるまでの数日は、おばちゃんに連れられて住所変更の手続きに行ったり、おばちゃんの働く近所のスーパーや近くのホームセンターに買い物に行ったり、みっちゃんと梅田に遊びに行ったり、みっちゃんの勤務先の美容院で髪を切って貰ったりと、新しい家族との時間を過ごした。
ここが新しい街、新しい家、そして新しい家族である。新しい生活が始まるんだ。
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