第5話
A SIDE
5分も経たないうちに、少女が私を呼びにきた。そして教室に戻ると、母親の隣に座り「作曲科にします!」と宣言した。
「先程の説明で問題なかったですか?」と、母親の方に一応のお伺いを立ててみたが「先生はうちの曲を聞いて作曲科が良いと勧めてくれました。なので母ちゃんと話し合って決めました。」と、少女は実に分かり易い理由を答えてくれた。
「入学かどうかも含めて、お家に戻られてから決められても大丈夫ですよ。」
「芝井戸先生が来年もここで先生をしてるならここにします!」
私にしてみれば今日会ったばかりなのに随分と懐かれたものである。
「今のところ辞めるつもりも無いですから…。」
と、力なく答えたものの、我ながら良く分からない返事だなと思った。
「タイミングが良さそうなので、作編科の方でも説明を受けて貰えますか?授業内容などの詳しい話も聞けますし、先程の楽曲を先生にも聴いてもらいましょう。」
今日の本来の仕事は橋渡しである。
「先生に聞きたいこと、まだあるんですけど。」
それは担当の先生に聞いてくれと思ったが、私に聞きたいんだろうなと思い直し「ここで終わるまで待ってますので」と言い納得させた。
「では、様子を見てきますので少しお待ちいただけますか?」
隣の教室の前で最後の生徒さんの面接の終わりを待ち、ノックをした後に入室し声をかける。間に合ったようだ。
イスに座って肩を回しているこの大男は熊野といい、作曲編曲科の担任を受け持つ先生だ。冗談のようだが180近い身長と恰幅の良い体型、モジャモジャのヒゲからか熊さんと呼ばれていて、その穏やかで朗らかな性格とこれまでの実績から学生にも教師からも愛され信頼されている。
そして私をこの学校に引っ張ってきた張本人でもある。
「お疲れさまです。今日のコース未定の生徒さんなんですけど、私の判断で作編科を勧めました。なのでもう一人お願いしたいんですけど。」
簡潔にこれまでの経緯を話して進路相談をお願いし、少女のカルテを手渡した。
「いいよぉ、入ってもろてぇ。」
先程の教室に戻り親子を連れて来た。簡潔に互いを紹介し「このでっかい先生怖くないですからね。分からないことは熊野先生に何でも質問してくださいね。」と親子に声をかける。そして「私は先程の隣の教室にいますので。」と、部屋を後にした。
B SIDE
隣の教室に移動し、芝井戸先生から作曲編曲科の熊野先生と紹介を受けた。この人が私の直接の担任になる人だろうか。でっかいおじさんというのが第一印象で、明らかに中学や高校にはいないタイプの先生だ。
「じゃあ、とりあえず曲を聞かせてもらいますかねぇ。」と言われ、私は芝井戸先生に聞かせたのと同じ音源を聞かせた。
「なるほど、わかりました。ありがとうございました。」と、何が「なるほど」なのかは分からなかったが、多分、歌というよりも曲のことなんだろうなと思った。
コースについての説明は、基本的に芝井戸先生から聞いたことと同じだった。その上で、コンペというのがあるとか選択授業の内容、学校は前期後期の2学期制で大きいテストは年に2回、さらに各授業内で細かく小テストや課題、2年時にはゼミという専門性を高める授業がメインになり、秋には海外への修学旅行があるという。それに他の専門学校の作曲編曲科というのは普通は3年制が当たり前になっているのだけれど、この学校は2年でそれをするらしく入学してからはとても忙しくなるので覚悟しておいて下さいと、より詳しい話をしてもらった。
「それと今、音源は聞かせてもらったからこっちとしてはもう良いんですけど、手続き上、入学までに音源を提出して貰うことになるからね。最初の宿題と思って頑張ってね。同じ音源でええからね。」と、それ用のプリントを渡された。
「これで一通りの説明が終わりましたけど、なんか聞いておきたいこととかありますか?」と聞かれたが、作曲科のことは入ってみないと分からないしなぁと、特には無かった。
その後入学までに用意しておくものやお金についてだとか学生寮の案内だとか諸々の話は母ちゃんが引き受けてくれた。そして一通りの説明が終わると「じゃあ、後のことは芝井戸先生にお任せしましょうかねぇ。」と熊野先生と一緒に教室を出た。
このでっかい先生はなんとなくだが、のんびりとした優しい良い人なんだろうなと思った。
A SIDE
急に空いた中途半端な時間をどう使おうかと考えてみたものの、結局一通り校内の状況を見てから急ぎ教室に戻ってきた。
後は熊さんが細かい話なんかもやってくれるだろうと、何も考えずただ教室の机で親子の帰りを待つ。暫くすると3人で雑談しながら戻ってきた。
「じゃあ古賀さん、来年お会いできるのを楽しみにしてますよぉ。」と熊さんの挨拶の後、私は親子を席に着くように促し「一応引き継ぎがないか聞いてきます。」と、熊さんと教室を出た。
扉を閉めると、熊さんは開口一番「随分懷かれとるみたいやな。細かい話はまた後でやけど、でかした!」とその大きい手でドンッと背中を叩かれた。この大男も耳は確かである。そして私がなぜボーカル科ではなく作編科を勧めたのかも理解したようだった。
「一通り説明したから、後のことは頼んだよぉ。あーせや、学校内の案内はもう行ったんかぁ?あの子だけ今日一人やったみたいやし、まだやったら連れてったげてやぁ。」と頼まれ別れた。そういえば普通は先に学校案内をしてから教室に入り面談に移るんだったと思い出した。私は私で緊張をしていたようだ。
B SIDE
「入学までにしとけば良いことはありますか?」
私が芝井戸先生に聞きたかったのは入学までの過ごし方だった。入学まで半年はある。その間に出来ることはあるだろう。
「そうですねぇ。とりあえずはこれまで通りに曲を作り続けて下さい。歌詞は出来ていなくても大丈夫ですので、今まで通りにですね。」
メモを取る。
「後は…持っている楽器はアコースティックギターだけですか?」
「家にアコギとエレアコがあります。アコギのほうは古いギターなんで、そのまんま家に置いておこうと思ってます。エレキは持ってないです。」
「先程ピアノを習ってらしたと仰ってましたが、今はもう弾かれてないんですか?」
「もう指は上手に動かんと思いますけど、ちょっとさらえば伴奏くらいなら出来ると思います。」
「家にあるのはスピーカーがついていて、足が取れるタイプの電子ピアノです。ヘッドホンでも使えるし必要なら持っていけばいいわよ。」
母ちゃんが口を挟んだ。
「特に難しいことを練習しなくても構いません。家で勉強する時に鍵盤でも見れたほうが理解が早いかもしれませんし、鍵盤自体は作編科の授業でも使うことになると思います。それに出来るなら鍵盤でも作曲が出来たほうが良いですし、持てるカードは多いほうがいいですね。」
「じゃあ練習しておきます。歌は…」
「歌はそのままで大丈夫です。当校でボイトレの授業も採れますし、今はそのままの方が私は良いと思います。色をつけずそのままで。」
「は、はい。」
やけにそのままを強調されたように感じる。
「後は…」
先生は真剣に考えてくれている。
「そうだ。ノートをつけて下さい。所謂ネタ帳みたいなものです。ただし誰にも見せないのが前提です。先生はもちろんご家族や友人にもです。誰かに見られることが前提になってしまうと、自然と言葉を選んでしまってただの記録になってしまいます。ですので、誰にも見せず思ったままの色んな感情や出来事や風景をメモをする癖をつけておくと、後で見返して歌詞や曲に反映できるかもしれません。」
必死になってメモを取る。
「それって先生もつけているんですか?」
「現役の頃と言うと変ですが昔は持っていました。思いの外役に立ちますよ。」
先生のノートってどんなことが書いてあったのか気にはなったが、絶対に見せてはくれないだろうなと思った。
「あのそれで…先生オススメの音楽理論の参考書はありますか?」
これが最も聞きたかったことだ。
「えーっと。では下で私のを現物でお見せしますね。いつも在校中の生徒さんにも同じこと聞かれる際にオススメしているものです。」
その後、先生に連れられて学校を案内してもらった。
学校の校舎は通路で繋がった隣り合う2つのビルで出来ており、それぞれが制作棟と演奏棟と生徒の間では呼ばれているらしい。演奏棟には職員室があり、制作棟には詰所と呼ばれる制作棟の先生用の準備室がある。校内に食堂はなく、お昼は近所のお弁当屋さんかコンビニで買うかお弁当を持参して食べることになる。最初に入ったおっきな部屋はコンサートホールと呼ばれるライブ実習用の部屋らしく、毎月の終わりに生徒による1曲ずつの発表会ライブのイベントにここが使われることもあると言う。他にも予約すればいつでも使える個人練習用やバンド練習用の部屋がたくさんあり、レコーディング実習用の部屋もあった。そして1階の職員室の近くには機材管理室という部屋があり、練習スタジオの予約などはここで行うらしい。
一通り学校を見て回り職員室の前に来た時に、先程の約束した理論の参考書を見せてくれた。
「上下巻ものですが、とりあえずは上巻だけでいいと思いますよ。」
先生に断ってスマホで参考書の写真を撮らせてもらった。
そして写真ついでにと、先生とのツーショット写真を撮ってもらうことにした。お願いするのは恥ずかしかったけれど、ここでお願いしとかないと何故かずっと撮ってもらえない気がしたのだ。
スマホを母ちゃんに渡し先生の隣に並ぶ。どんな顔をすればいいのか分からないけれど、多分高校の入学式に母ちゃんの隣に立った時と同じ顔をしてるんだろうなと思った。
「ありがとうございました。」
こうして芝井戸先生とお別れの時間になった。
芝井戸先生が職員室に声を掛けると、中から熊野先生も出てきてくれて「では、これで今日の進路相談会は終了になります。お疲れ様でした。来年お会いできるのを楽しみにしています。曲いっぱい作ってくださいね!」と、今日のお土産という名のたくさんの書類を受け取り、帰ることとなった。
受付の前を通ると南さんが「今日は遅くまでお疲れさまでした。」と、私と母ちゃんにアメをくれた。
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