第3話

A SIDE


「芝井戸先生。例の福岡の生徒さん、もう入られてますよ。」

 バタバタと相談会の準備に追われる私に南さんが声をかけてきた。

「例のですか。」

「先生、そんな身構えなくても大丈夫です。感じのいい普通の高校生の女の子でしたよ。」

「そういえば、今日コース選択が未定なのって。」

「はい、その古賀さんだけでしたね。」

 各コースの進路相談は基本的に授業を受け持つ各科の先生が対応に当たる。担任を持たない常勤講師の私は運営側の仕事を手伝いつつコース選択が未定の生徒の対応に当たることになっている。

(福岡の古賀華乃。学生服、母親が同伴か…。)

 全体説明会が終わった頃、南さんに聞いた特徴を思い出しながら私は目的の生徒を探しに大ホールに入った。


「古賀さんでしょうか?芝井戸です、初めまして。本日は宜しくお願いします。」

 ホール内でただ一人の学生服姿だった生徒に目星をつけ声をかける。振り返った少女は至って普通の高校生だった。

「お世話になります。古賀の母です。」

 先に声を発したのは母親の方だった。

「お、お世話になります。古賀華乃です。よろしくお願いします。」

 母親の声に促されるように少女も続いた。

「はい、よろしくお願いします、芝井戸です。ではさっそく相談会に進みたいと思いますので、とりあえず場所を移動しますね。」

 ここのホールを開ける必要があるので、とりあえずは移動である。

「福岡からだと遠かったでしょう?」などと当たり障りのない話題を振りつつ、目的の教室に移動した。


 席に着き改めて挨拶をした後に、どうしても先に聞いておかないといけないことから尋ねることにした。

「本日はご指名を頂いたということで、どうもありがとうございます。」

 少々嫌味くさいかと思ったが、母親にも目を配りながら精一杯柔らかく聞いてみたつもりだ。言葉のチョイスがおじさん臭いのはおじさんだから仕方がない。

 すると少女が鞄のポケットをゴソゴソし出すと「これ、このCD。いっぱい聞きました。」と話し始める。取り出したのは350円の値札のシールが付いた、昔に私が作ったアルバムだった。

「また随分懐かしいのを。350円ですか。」

 顔を真っ赤にして値札を剥がそうとする少女を「冗談ですよ。」と言いつつ止めた。

「その、父ちゃ、あー、父親のCD棚にこれがあって、見つけてからずっと聞いてました。本当にずっとです。」

「そうでしたか、それはどうもありがとうございます。」

 母親にも警戒はしていたが、この感じであれば大丈夫そうだと内心ほっとした。


「それではお話をしていきましょうね。それで古賀さんはまだコースが決まってないとのことですが…まずはそうですね。将来の夢とかはありますか?」

 手にペンを持ち、最低限の事前情報が既に書かれたカルテに書き込む準備を整えてから尋ねた。本来、遠方から来ているのであれば本校を選んだ理由なんかも尋ねるのだが、その理由は既に知っている。

「うたを歌う人になりたいです!自分で曲も作ってるのでそれを歌う人になりたいんです。あとそれとは別に音楽を教える人にも興味があります。」

 カルテの該当欄に『うたを歌う人・自作曲/音楽講師』と書き込む。

「もう曲を書いて歌ってるんですか?凄いですね。」

 本心である。

「それでは…えーっと、まず音楽を教える人と言う件ですが、具体的に何を何処で教えるかにも依るかと思いますが…当校は音楽理論に力を入れていまして、必修科目で2年間みっちりと勉強をします。卒業時にその理解がきちんと身についていれば、音楽理論を教えることに関しましては特に問題無いとは思います。あとは専門が何になるかですが…。ですので今日は、自作の曲を歌う人という夢についてのお話をしましょうか?」

「はい!」

「とは言えこの学校にはシンガーソングライターコースが有りませんのでコース選択をどうするかになりますね。」

「やはりボーカルコースでしょうか?」

 母親が口を開く。

「曲を作って歌うってことであれば、提案出来るコースは2つあります。1つはお母様が仰れたボーカル科ですね。そしてもう1つが作曲編曲科です。」

 学校の資料を広げ、指で親子の視線を誘導する。

「どちらのコースでも選択授業というのがありまして、例えばボーカル科コースを選んだとしても作曲の授業も受けられますしその逆もまた同じです。メインの選択コースの授業の割合が増えるというイメージでいいかと思います。」

 これらの情報はホームページや資料を読んでいれば既に知っているはずの内容である。しかし相談会における私の役割は、顔を合わせ直接対話することで生徒自身の中で折り合いをつけるのを助け生徒自身の声を引き出すことである。もちろんお金の話や入学後の生活の事などより詳しい話もするが、それはその後のことだ。


「あの…うちが歌った曲、聞いてもらえますか?スマホに録音したのがあるんで。」

 少女はまっすぐこちらを見つめていた。

「分かりました。ではヘッドホンをとってきますね。」

「イヤホンならうちの…。」

「いえ、すぐ取ってきますので、少し待っていただけますか?その間に曲を選んだり、今一度資料を見ておいてください。」

 一応は無条件に見せるべきでは無い彼女のカルテだけを持ち、私は席を立った。

「そうだ、そのスマートホンにイヤホン端子は付いてますか?」


 急ぎ職員室に戻り、私物のヘッドホンと端子変換のプラグを持つと再び教室に向かった。受付の前を通った際に、生徒さんの親と思われる人を応対している南さんには、視線がこちらを向いた瞬間にOKのハンドサインを出しておいた。

「お待たせしました。では早速聴かせていただきますね。」

 ただ私が聞いているのを面と向かって親子に見つめられるというのもなんなので、席を立ち距離をとって窓の外を見ながらその声に集中した。


 音量を上げると最初に聞こえてきたのはセミや虫の声だった。お世辞にもきれいには録れているとは言い難いスマホのマイクでの一発取りのその音源に私はとても驚いた。

 腕はともかくのアコースティックギターはひとまず置いておいて、楽曲のメロディーセンスが光っている。ノンビブラートで下手をすると棒歌いに聞こえるその歌い方も、生まれ持った声の倍音列による独特な歌声に、スピードとピッチの良さに唄う喜びとでも言うべきか表情がついていて聞いていてとても心地が良い。現段階ではトータルのクオリティーが高いとは言わないが原石だと思った。

 2分半程の曲を聞き終わり他の曲は無いかと尋ね、彼女が教えてくれたプレイリストから更に続けて2曲聞いてから私は席に戻った。


「どうでしたか?」

「はい、えーっと、私の意見で良いんでしょうか?」

 その眼差しに答えるように尋ね返した。

「はい、それを聞きに来たんです。」

 少女の顔は真剣だ。

「録音状況はともかく、歌は素晴らしいと思います。真っ直ぐで伸びやかな歌声が素晴らしいと思います。」

 うっかりと不必要なことを言い、この彼女の良さが消えてしまうことを恐れて私は言葉を選んだ。母親にも目をやりつつ話を続ける。

「大半の人は…そうですね。例えばカラオケで誰々の曲を歌うとすると、意識しないレベルでも歌真似や声真似などの物真似が入るんです。更にその人が好きで憧れて歌いたいとなると、その真似の部分が品著に出てくる場合が多いんです。節回しだったりビブラートだったりの部分ですね。それが全て悪いとは言いませんが、それはその人では無くオリジナル曲の歌い手の個性なんです。しかし古賀さんは音源を聞く限り、すごく純粋に真っ直ぐ楽しそうに歌ってらっしゃる。謂わば子供のような無垢で雑味の無い歌い方です。しかしそれを大人になって保てる人は本当に少ない。音楽家として1番大切なのはその人なんです。借り物の個性では無いその人自身の個性なんです。私はそれが特に素晴らしいと思います。」

 本心である。褒められ慣れていないのか照れて真っ赤になった少女の方に目を向けて話を続ける。

「今オリジナルは何曲ありますか?あの感じで人に聞かせられる程度に出来ている曲です。」

「今、10曲位はあると思います。」

「いつから曲を作り出しましたか?」

「高校生になってからです。でも、他に歌詞が無い曲とかサビだけとかの曲も10曲くらいあります。」

 これは才能だなと思った。

「他にできる楽器はありますか?」

「子供の頃にピアノを習ってました。中学に入るまで、4年間くらい?です。」

「なるほど。」とカルテにメモを取る

「ダメ出しにもなるかもなのですが、楽曲としてはまだまだ伸びしろはあると思います。って上から目線でごめんなさいね。」

「どうぞ続けてください。」

 母親が答えたが、少女の目も真剣である。

「自分の曲を歌いたいというのは、私も十分理解しているつもりです。古賀さんの場合、歌はとても素晴らしいと思います。ただ楽曲に関して言えば伸びしろがまだまだあります。私が褒めた歌を長所と捉えるのであれば、長所を伸ばす方が良いかとも思いますが、その年齢でそれだけ曲のストックがあるのであれば、更にもっと作ってもっと色んな曲を歌っていったほうが良いと思います。ボーカルについては選択授業で採っていただいて。…そうですね、具体的にはボイトレを中心に基礎を勉強し、後はとにかく曲を書いて歌って磨き上げるということを繰り返す方が…うたを歌う人になる近道とは言いませんが…。私は作曲編曲コースのほうが良いと思います。」

 そう言って私は、作曲編曲コースのページを開いた。

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