一章 出会いと契約②

「契約結婚……ですか?」

 長いちんもくのあと、やっと出せた言葉がそれだった。

「はい。契約結婚ですから貴方あなたの愛情まで望みません。私の妻としてせきをおき、たまに行われるパーティーなどにどうはんしていただければ結構です。貴方はエデリー家のごれいじようだった。社交界における商家の立ち居いなどの知識がないわけではないでしょう?」

 確かに最低限の知識はある。けれど良き商家の妻を演じられるかと言われれば話は別だ。

「で、でも私ではとてもそんな大役が務まるとは」

「けれど契約ならば私は顧客になります。貴方は私の情報を厳守してくれるのでしょう?」

 ヴァイス様がのぞき込むように私に微笑みかける。

「は、はい! そ、それは……もちろんお客様の情報は必ず厳守しますっ!」

「では、契約成立ですね。よろしくお願いします」

 笑みを深くして言うヴァイス様。

「え、あの、その、そういう意味じゃ!? いまのはお客様の情報を厳守するほうで……」

「キールっ!」

 私が言い終わらないうちに、ヴァイス様がさけぶと別の男の人がとびらを開けて入ってきた。

「彼女は未来の私の妻なのでていねいにもてなしてください」

 入ってきたキールという男の人にヴァイス様が言うと、キールさんが私とヴァイス様をこうに見つめたあと、「かしこまりました」と頭を下げる。

「え、あ、あの」

 思ってもみなかった展開に私が二人の顔を交互に見つめるけれど、ヴァイス様は気にした風もなくかべにかけてあったコートを羽織った。

「私はやらなければいけないことができましたので、少し出かけてきます」

「あ、あのっ!」

「それではあとはまかせましたよ。キール」

「はい」

 私が断る間もなくパタンと扉が閉められヴァイス様は部屋を出て行ってしまう。

「それではよろしくお願いいたします。シルヴィア様」

 残ったキールさんが深々と頭を下げた。


「どこに行かれるつもりですか?」

 こわくなって自分のバッグだけ持って、こっそり部屋を出ようとすると、キールさんに呼び止められる。

「あ、あのやっぱり私には無理です。ヴァイス様と結婚するなんて! こんした身の私がランドリュー家のヴァイス様と結婚するなんてありえません!」

 そう、キールさんの説明で判明したのはヴァイス様が有名な商家の当主であるということ。大国で五本の指に入るといわれるほどの規模の商家、ランドリュー家。ヴァイス様は小さな商家から一代で勢力を広げたやり手商人として風のうわさで聞いていた。れんきんじゆつで有名なだけで実質はびんぼうなエデリー家で育った私とではとてもり合うとは思えない。

「申し訳ありませんがそれは直接だん様に言っていただけますか。私は仕事として命じられたことをやらなければいけません。未来の妻としてもてなせと命じられた以上、その対応をさせていただかないと私がおこられてしまいます。私には故郷に病弱な妹がいまして。ここで貴方に出ていかれてしまったら、妹の薬代が払えなくなってしまうのです」

 ハンカチを手になみだぐむキールさん。

 うっ。そんなことを言われてしまったら、出ていけない。

「……そ、それは困ります」

「はい、そうです。どうか私をあわれんで、りようようしていただけると助かります」

「ヴァイス様はいつごろもどる予定なのでしょうか?」

「さぁ、あの方は気まぐれなので」

 そう言ってキールさんは微笑んだ。


    ● ● ●


 カラン。扉のベルが鳴った。

 嵐で閉じているはずの店に客がおとずれる。外は酷い風雨のはずだが、その男はまるで何事もなかったかのように衣服のれもなく部屋の中に現れた。おそらくほうで衣服をかわかしたのだろう。そして男──ヴァイスは休んでいた店主にニコニコとしたがおで話しかけてくる。

「お久しぶりです。仕事のらいにきました」

「この嵐の中、供も連れずお一人でくるとは何かありましたか」

 酒のグラスをみがきながら情報屋の男が答える。

「ええ、予定外の出来事で供をあまり連れられない状態でしてね。一人で来るしかありませんでした。それで、少し調べてほしいことがありまして」

 ヴァイスは何かメモした紙を情報屋にわたす。

「エデリー家ですか」

「はい。金に糸目はつけません。すみずみまで調査の方よろしくお願いいたします」

 ヴァイスのにこやかな笑顔に情報屋はやれやれとため息をついた。

「次のターゲットはそこですか。お可哀かわいそうに」

「おや、人を何だと思っているのですか?」

 ヴァイスが笑いながらまきに火をつける。

「品行方正で心のお美しいヴァイス様です」

 情報屋がグラスに酒を注ぐと、ヴァイスはうれしそうにそれを受け取った。

「よくわかっているではありませんか。ああ、それで、今日ここにめていただけますか? そこのソファをお借りするだけでいいので」

 ヴァイスは葉巻をふかしながら、ウィンクしてみせた。


    ● ● ●


「今日から奥様のお世話をさせていただくことになりました。マーサです。よろしくお願いいたします」

 結局、次の日になってもヴァイス様は現れず、代わりにホテルにきたのは世話係と自己しようかいしたマーサさんだった。赤毛の気のよさそうなかつぷくのいいやさしそうな女性。

「は、はい……よろしくお願いいたします」

 マーサさんは私を見て、うでを組んだ。

「キール様、シルヴィア様をおに案内しなかったのですか?」

「仕方ないでしょう。すいじやくした状態で入浴してたおれても私では対処できないのですから」

 キールさんの言葉にマーサさんがむぅとうなる。

「それはそうですけど。さ、奥様まずは身なりを整えてさっぱりしましょう」

「あの、奥様という呼び方は……」

「ああ、まだでしたね。でも、いいじゃありませんか。どうせ奥様になるんですし」

「え? いや、その」

「さぁ、行きましょう」

 私はニコニコ顔のマーサさんにお風呂に連れていかれるのだった。


「どうですか気持ちいいですか」

「はい、とても」

 ホテル内に用意されたお風呂に入りながら私は答えた。

 湯船に花びらがいていてうっすらいいにおいがする。何年ぶりだろう。そういえば私にもこうやってお風呂に入れてもらえる時代があったことを思い出す。

 いつ頃からだっただろう、リックスがもってきた商談で大きな損害をこうむってから質素けんやくをしなくてはいけなくなった。いつからかひましんで仕事をしなくちゃいけなくなったんだ。


「それは大変でしたね」

 お風呂を出てかみをとかしてもらいながら、昔のことを話すとマーサさんが笑ってそう言ってくれた。

「でも仕方ないですよ。家が大変だったのですから」

「奥様、私は昔、ヴァイス様のもとで働いていたのですがけつこんして、この国にしてきて夫と子どもとともにこの国に住んでいました」

「そうなのですか?」

「はい、エデリー商会の本店もよく行っていましたよ。リックス様とサニア様はいつもれいかざっていましたが」

「それは仕方ありません。私とはちがいますから」

「……」

 その言葉になぜかマーサさんにきしめられた。温かくて気持ちいい。

「マーサさん?」

「ああ、すみません。さ、綺麗になりましたよ」

 鏡に映るのは、おしようをしてもらった自分の綺麗になった姿で少しずかしくなる。お化粧をちゃんとしたのはいつぶりだろう。

「マーサさんはお化粧が上手ですね。私でも見られるようになりました」

「元がいいからですよ。食べてもう少しふっくらしてきたらもっと美人になりますよ」

 マーサさんがそう言ってくれてお世辞でも嬉しくなってしまう。

「そ、そうだと嬉しいのですが」

「そのためには少しふくよかにならないと。お昼はレストランに行きませんか。あっさりしたスープの美味おいしいところなんですよ。スープなら召し上がれますよね」

「え、でも私お金は」

「未来の奥様がお金を気にしたらいけませんよ」

 おそる恐る言う私にマーサさんが微笑ほほえんでくれた。


「今日はとても楽しかったです」

 あの後、気晴らしに外で遊びましょうとさそってくれたマーサさんと街にでかけた。

 あらしはすっかり過ぎ去り、みな買い物をしていたり散乱したごみを片付けたりと街は活気づいていて見て回るだけでもとても楽しかった。

 レストランで食事をしたり洋服を買ったりしたけれど、お金は全部マーサさんがはらってくれている。値段はちゃんと覚えているのであとで働いて返さないと。

 一通り遊んでからホテルの部屋にもどるとマーサさんが笑ってくれた。

「それはよかったです。奥様、また明日も朝に来ますね」

「えっと、その、ですが私は奥様じゃな……」

「それはだん様と奥様の問題なので、旦那様に言ってくださいね」

「……はい」

 ウィンクして言うマーサさんの言葉に私はうなずいた。もうこのホテルに泊まらせてもらって二日もたっている。ホテルも一流ホテルのため、返さなきゃいけないお金がるいけいされ、すごい金額になっている。早く帰ってきてもらわないと借金けになってしまう気がする。

「……私お金返せるかな……」

 一人になった部屋で紙におおよその金額を記入しながら私は大きくため息をついた。


「今日からこちらに住むことになりました」

 買い物をしてから数日後。マーサさんとキールさんにホテルから連れ出されてついたのは、街のやや中央からはなれた位置にあるおしきだった。

「えーと、このお屋敷はだれのお屋敷なのでしょう?」

 私がエデリー商会にいたとき住んでいた屋敷より大きい建物に、どう反応していいのか困っているとキールさんが笑う。

「ホテルの一室では不便ですからね。先日旦那様が買われたそうです」

 買った? この屋敷を!?

「でもあの、五日で買えるものなのでしょうか?」

「旦那様ですからねぇ。あの悪徳商人として有名なランドリュー商会のヴァイス様ですよ。他所よそからうばい取ったお金がたんまりあるからだいじようですよ」

 マーサさんがけらけら笑いながら言うと、キールさんがごほんとせきばらいをした。

「ちゃんと正規の方法でかせいでいますよ。人聞きの悪い。しかしこぢんまりしていますが、いいところですね。使用人もこれなら少人数で大丈夫でしょう」

 屋敷を見上げて言うキールさん。

 どこがこぢんまりなのだろう。広い庭園もあり、屋敷も四階建ての立派なものなのに。

「まぁ、いつかはランドリュー商会の本社のある国に行くことになるのですし。しよせん仮住まいですから、ぜまですがごようしやいただけると」

 キールさんがにっこり笑いながら私にどうぞと手を差し出した。

「か、仮住まいですか?」

「そうですよ。奥様の国はこん後半年他国への出国禁止ですから。奥様が移動できるようになるまで半年はここにとどまらないとです。りようようのための屋敷です」

 マーサさんがうんうん頷く。

「あ、あのもし半年ここにいたとして、その後はこのお屋敷はどうなるんですか?」

「利用方法はのちほど考えるでしょう。旦那様が」

「そうですね。考えますよ旦那様が」

 うんうんと頷く二人。

 つ、つまりこのお屋敷は私のためだけに買ってくれたということ……?

 ど、どどどどうしよう。

 ここまで用意してもらって断れる?

 どんどん断りづらいじようきようになっている状態に私はため息をついた。


「今日の夕飯はわたしが腕によりをかけてつくったサファのステーキです」

 そう言って夕飯に出された食事に私はほおをひきつらせた。

「これ舌ざわりからして一級品ですよね?」

流石さすが商家のおじようさまは舌が肥えていますね。シャンデール地方の一級品です。胃にもやさしい食材ですのでご安心を」

 いつぱん市民のきゆうの二か月分と言われるお肉……。

「さ、食べてください」

 ニコニコ笑ってすすめてくれるマーサさんに私はお礼を言って食べ始めた。

 ……本当にどうしよう。お金返せる気がしない。


    ● ● ●


そとぼりめ方がエグイですね」

 今日の食費がいくらとつぶやいて、顔を真っ青にしながら部屋に戻っていくシルヴィアを見つめて、キールがマーサにっ込んだ。

たのまれましたからね旦那様に。ちゆうげられないようにしてくれって」

 マーサががおで答える。

「私、旦那様と貴方あなただけは敵に回したくありません」

「よく言いますよ。キール様も同類じゃないですか。キール様、妹なんていませんよね」

 マーサがうすでキールをにらむ。

「そうでもしないと出ていかれたら、私の首が飛ぶでしょう?」

 かたをすくめてキールは苦笑いをかべるのだった。

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無能だと捨てられた錬金術師は敏腕商人の溺愛で開花する もう戻りませんので後悔してください てんてんどんどん/角川ビーンズ文庫 @beans

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