第31話

 —— 三人を乗せたスクーターはスピードが出なかった。

 儀一の提案で、釜辺町の郊外にある警察署へと向かった。


 団地を抜け、釜ノ川を超える。小学校を過ぎて、住み慣れた家を後にした。釜辺町、最後の目印、スーパー『モンタン』を超え、南に伸びる暗い1本道を走る。


 この暗い道から一人で出ていく場面を、何百回も思い描いてきた。

 ようやく出ていける思った瞬間、背後からエンジンの爆音が聞こえてきた。

 振り返ると黒いアルファードが猛然と迫ってくる。


 「もっと早く!」

 思わず怒鳴り声あげた。


 アクセルを全開にして走る —— だめだ、逃げ切れない!

 背後に迫る爆音以外、何も聞こえなくなった直後、すさまじい衝撃で身体が宙に浮く。


 ガリガリガリガリッー ガーンッ!


 スクーターは道路の上で横向きに転がり、ガードレールに衝突して止まった。

 脇道に弾き飛ばされた知子とモモは、運良く雑木林に突っ込んだ。

 なされるがままに地面を転がった。止まった時には景色がぐるぐると廻り、気持ちが悪かった。


 踏んばって立ち上がる。

 少し先で横向きに倒れているモモに駆け寄り抱き起こす。

 目を見開いたモモの意識は、知子を見ると戻ってきた。

 「歩ける?」

 立たせようとした時、背後で草を踏みしめる音。振り向くと吾郎が上から睨みつけていた。


 左右の手で2人の髪をつかむと、道路の方へと引きずていく。

 「痛い!」

 うめき声と抵抗。2人を道路に放り投げ、ちぎれた頭髪を払い捨てた。

 ブーツで踏み潰そうと近づいてくる。


 儀一が両手でブーツにしがみつく。—— 先ほどの転倒で両足を骨折していた。

 吾郎は儀一の折れた足を力任せに踏みつけた。

 「ギィぁぁぁ—— !」 

 苦悶の表情を浮かべた儀一が仰向けに転がる。


 儀一のベルトからスタンガンを奪った吾郎は、知子の方に歩いてくる。

 スイッチを入れると150万ボルトがバチバチとスパークした。

 スパークを知子の太ももに押し付けた。


 「いぎぎぎいぃっっ!」

 何千本もの針で突き刺されたような痛みにのたうち回る。


 すかさずブーツで胸を踏まれ動きを封じられる —— スタンガンの青い稲妻を心臓に近づけてきた。

 知子は目を閉じて衝撃に身構えた。

 目の奥が赤く光る。しかし電撃はなかなかこなかった。


 —— 目を開けると、いつの間にか前方に、ヘッドライトを点けた白いリムジンが停車していた。

 吾郎は車の方を凝視したまま動かない。


 やがて一人の男が車から降りると、こちらに向かって歩いてきた。

 目の前まで来てサングラスを取る。


 「いざこざ・・・かな ?」

 男の顔は爬虫類のように温度が感じられなかった。


 「登丸さん …… どうして …… ?」


 「うん、見せたい物があるんだよ」


 リムジンの後部ドアから、黒革ジャケットを着た大きな男が現われた。

 トランクを開けると何かを持ち上げ、ドスンと路上に投げる。ズルズルと引きずって吾郎の前に投げ出した。


 「 !!!! 」

 吾郎は絶句した。


 「黒天童会のチョウ幹部。知ってるでしょ?」

 登丸は楽しんでいるように見えた。


 黒革ジャケットの男はさらにもう一つの荷物・・を引きずってきた。


 「そしてこちらは …… さすがに知ってるよね?」


 「ヒロ!」


 ヒロの顔と上半身には無数の穴が穿うがたれ、判別が難しかった。


 「その2人はね、君を裏切ろうとしてたんだよ」


 「そんな …… こと、あるわけ …… 」

 横隔膜が痙攣して言葉が続かない。


 「そして君は僕を裏切るつもりだった?」


 登丸は小型ドリルを取り出した。

 〝 ヴィィィーン 〟

 夜の静寂を破る金属音。

 吾郎はその場で失禁した。目の前で死んでゆく旧友を見ても友情など微塵みじんも感じなかった。旧友の裏切りを知っても憎しみすら湧かなかった。彼の心を支配しているのは、登丸への恐怖しかなかった。


 —— クソッタレ!

 吾郎は細く長い息を吐くと、黙ってリムジンに乗り込んだ。

 

 「—— さて、きみたちは吾郎くんの子供?」

 登丸が覗き込みながら言った。


 知子は上半身を起こして立ち上がる。

 睨むような目を登丸に向けた。

 「他人です」


 「そうは見えないな」

 登丸の細い指が知子の頬をつかんだ。


 モモが走り寄ってくる。

 作業着のポケットから白いラムネの袋を取り出した。


 「これ …… あの人が持ってたの」


 登丸は驚いた顔で袋の中身を見た。

 「嬢ちゃん、これが何だか知ってるの?」


 「 …… お姉ちゃんと、しせつに行くためのお菓子 ?」


 登丸は甲高い声で笑った。笑わずにいられなかった。

 「この町から出て行くつもり?」


 2人は同時に頷く。


 「こんな町、2度と戻って来ちゃだめだよ」


 再び頷く。


 「最後にパパに会うかい?」


 「会いません」


 サングラスをかけると登丸はリムジンに乗りこんだ。

 ウィンドウ越しに目が合った吾郎は無表情で、リムジンと共に走り去った。

 

 —— 静かになった路上に知子はペタリと座り込んだ。もう動けそうにない。


 「ぎんちゃん!」

 モモは儀一のもとへ駆け寄った。


 儀一はうつ伏せの状態から自力で道路端まで這い進むと、ガードレールを背もたれにして座位になった。

 作業着の内ポケットから、古い形の携帯電話を取り出し番号を押す。深夜3時では誰も出るはずはなく、録音メッセージに向かって話した。


 「こ、こ、甲田警部、た、種田儀一です。お、お久しぶりです。じ、じ、自首します。あ、明日、こ、この番号に電話、く、下さい …… 」

 言い終えると電話をきった。


 「ち、ち、知子さん、スクーター、も、も、持ってこれる?」


 知子はふらふらで立ち上がると、20m先に転倒したスクーターに向かう。


 「ぎんちゃん、一緒に行くでしょう?」

 モモは泣きだした。


 儀一はモモの小さな手を取ると、自分の頬にくっつけた。


 「こ、ここからはお姉ちゃんと、ふ、2人で行くんや」


 「いっしょに行かないの?」


 「す、すまんのう。け、けんど、その内、ち、ち、近くに行くよって」


 「近くの公園に来てくれる?」


 「た、た、たぶんな」


 知子がスクーターを押して戻った時、携帯が鳴った。


 「は、は、はい、ほ、本人です。…… か、釜辺町のこ、国道2号線におります。

…… は、はい、一人です。…… わ、わかりました。こ、ここで待っとります」

 電話を切ると知子を呼んだ。


 「こ、この道を、ま、真っすぐ行くと、あ、朝には海岸にでよるから。そ、そっから先は、こ、これに書いといた」


 手書きの地図を渡してくれた。

 「み、緑色の家があるけん、表札が、な、な、な、『夏目加奈』やったら、よ、呼び鈴鳴らすんや」


 「でも …… 」

  知子はためらった。


 「だ、大丈夫や。お、女の人が出てくるけん、こ、こ、これ渡すんやで」

 儀一は内ポケットから封筒を取り出した。1センチほどの厚みがあった。


 「し、し、施設まで二人を送るように、か、か書いといた」


 「—— 本当に行かないの?」


 「と、都会から、え、えらいお巡りさんがきよるからな。こ、ここで、お、起きたこと、ぜ、ぜんぶ話すつもりや。せやから、ふ、ふたりは、も、もう行ったほうがええ」


 「わかった …… 妹のこと助けてくれてありがとう」


 「モ、モモちゃんを、た、たのむで」



 知子はキックレバーを蹴ってスクーターのエンジンをかけた。

 後ろにモモを乗せて釜辺町を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る