第29話

 儀一は使い古したスクーターを路地まで押してきた。

 物置に置いてあったポリタンクからガソリンを補給しながら、作業ズボンのベルトに長い懐中電灯のようなものを差した。

 不思議そうに眺めるモモに、「ご、護身用のぶ、武器や」と言った。


 スクーターの荷台に座布団をくくりつけ、モモを乗せる。

 「い、い、いくで」


 キックレバーを蹴ってエンジンをかけ、深夜の釜辺町に飛び出した。

 先ほどモモが走ってきた道を戻る。深夜、鎮まり返った釜辺通りは普段と印象が違い、知らない町を走っているようだった。


 あっという間に小学校に着いた。

 儀一は言われた通り、非常口から校内に侵入し、知子が逃げていった廊下を探す。ドアが開けっぱなしで机が倒された教室を発見したが、人の気配はなかった。

 聡の死体だけは異常事態だったが、モモから事前に説明を聞いていたので冷静に見過ごすことができた。 儀一は彼女の話を少しも疑ってはいなかった。


 校舎を出て自転車置き場で待つモモの所へ戻る。

 「お、おらんかった。つ、つ、次は、パ、パパの居てそうな場所、行ってみる?」


 二人は釜辺町を西へと進んだ。

 一車線の田舎道を二十分ほど走ると、アパート・カーサミアに着いた。二ヶ月前までモモが暮らしていた場所だ。


 部屋の電気は消えており人の気配はない。キリギリスのジーという鳴き声だけが、暗闇中に充満していた。


 アパートの入り口近くに黒いバンが停まっている。

 車体の側面が大きく凹み、路面には割れたガラスや部品類が散乱している。

 バンから少し離れた茂みにバイクを駐車した。


 「こ、ここで待っとって。ぜ、ぜ、絶対に動かんといて」

 儀一は何度も念を押すと一人で建物に近づいた。


 入り口に近い部屋のドアが開いていたので、用心して中を覗く。

 床や壁から濃厚な血の匂いが漂ってくる。

 少し経って目が慣れてくると事態が見えてきた。

 心臓を刺され絶命した者、頭部を殴打され脳髄を床にぶちまけた者、丸めた背中を滅茶苦茶に刺された者、抵抗した様子もなく殺された者など、せまい部屋で人間が折り重なり絶命していた。多くは絶命した後も執拗に殴打され顔を潰されていた。

 

 儀一は室内に充満する死と暴力に気分が悪くなり、部屋を出ると草むらに吐いた。

 —— まともじゃない。いったい何が起こっている?


 「ぎんちゃん!、ぎんちゃん!」

 スクーターを停めた場所から声がしたので、儀一は慌てて戻る。


 「ぎんちゃん、あそこ…… 」

 震える指の先を見ると、バンの背後に横たわる人間の足が見えた。


 用心しながらバンの背後から回り込み、様子を確認する。 

 男の息はない。仰向けに倒れた上半身には、たくさんの小さな穴が開いていた。


 —— 散弾銃で撃たれた?

 

 両肩には中国漢字らしいタトゥーが彫られていた。

 急に怖くなり逃げだすようにスクーターを走らせた。


 「お、お姉ちゃんの居場所、ほ、他に心当たりはないんけ?」

 

 モモは後ろの荷台で首を振った。

 儀一はほっとした。—— 事件はただ事ではない。これ以上、彼女を巻き込んではいけない。お姉ちゃんには気の毒だが、彼女だけでも救わなければ。そう心に決めた。


 落ち込むモモには構わず、儀一は自分の家へと引き返した。

 スクーターを押して家に入ろうとした時、突然、彼女が駆け出した。

 公園を通り過ぎてメクラ団地の前で立ち止まる。


「ど、ど、どないしたんや?」

 追いついた儀一が聞くと、建物の上階を指さした。

 4階角部屋の灯りが点いていた。

 

 「 —— じんくんかも!」

 モモは階段を4階まで駆け上がった。

 首に下げた鍵で角部屋の扉を開け、中へと入った。

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