第27話


 —— 少女の名は加奈かなちゃんといった。


 7才の誕生日まであと一ヶ月のころ、施設にアルバイトとしてやって来たのが三十三歳の儀一だった。


 さまざまな理由で施設に入る子供たちの中でも、とりわけ彼女はコミュニケーションのとりにくい子供だった。


 「カ、カナちゃん、ご、ご飯残したらあかんよ」

 「カナちゃん、て、手伝だったろか?」


 儀一には他の子供たち以上に気になる存在で、よく世話を焼いた。

 職員と子供たちが歌やゲームで盛り上がる中、儀一と2人でカード並べをした。儀一が手渡すカードを数字の順番に並べていくだけだったが、何時間でも続けた。

 彼女に幸せを感じてほしいとの思いから、こっそりとお菓子を渡したり、手のひらに隠れるくらいの人形をあげたこともあった。


 —— 7歳の誕生日。両親がプレゼントを持って施設にやってきた。


 若くて元気で美形の両親。ヒョウ柄のキャミトップを着た母親はプレゼントの人形を彼女のそばに置いた。

 彼女は人形には興味を示さず、両親にも甘えず、すぐにカード遊びに戻った。

 ため息をついた両親も、会えたことを喜んでいるようには見えなかった。


 「ねえ職員さん、この子、いつも反応ないでしょう?」

 年若い母親から話しかけられ儀一はどぎまぎした。


 「私らへの当て付けなんだよねぇ。まじでムカつくよね」


 聞こえているだろうにカナちゃんの反応はなかった。

 儀一は母親に強い嫌悪感を抱いた。

 

 両親が帰った夜、カナちゃんは珍しく儀一と離れるのを渋った。やはり寂しいのだろうと、施設に宿直することにした。

 子供たちが寝静まった深夜。何気なくベッドを覗くと、カナちゃんがいない。トイレや遊戯室を見て回ったが姿はない。

 その時、建物の裏口の方で物音がしたので急に嫌な予感に襲われる。


 急いで外に出て裏庭を確認するが人の姿はない。気のせいかと戻ろうとした時、子供の咳き込む声が聞こえた。

 よく耳を澄ますと焼却炉から聞こえる。

 まさかと思い鉄のフタを開けて真っ暗な炉内を覗き込んだ。

 突然、暗闇から伸びてきた手が儀一の首を掴んだので、叫び声をあげてひっくり返った。


 「な、な、な 、な ! 」 驚きのあまり言葉が出ない。


 「ギン …… ちゃん …… 」

 小さな声が中から聞こえる。

 

 —— そんな !


 慌てて炉内に腕を入れると、小さな手に掴まれた。

 持ち上げて外に出すと、真っ黒になったカナちゃんだった。

 幸い焼却炉の火は昨日から消えていたが、炉内は黒いすすで充満していた。


 —— 一体 …… 誰がこんな酷いことを?

 煤で黒く汚れた頬にはいく筋も涙の跡が残り、冷えた体はガチガチと震えている。


 「なに出てきてんだよ!」 背後から男のどなり声。

 昼間の父親がふらふらと歩いてきた。

 カップ酒を手に酩酊しているようだった。


 「お前はゴミなんだよ。ゴミは焼いて始末しないとな!」


 カナちゃんの髪を掴むと再び焼却炉に引きずっていく。

 小さな体を持ち上げ、頭からゴミ投入口に放り込む。

 カナちゃんはその間、抵抗も反応もしなかった。


 そこから儀一は記憶が曖昧になる。

 真っ黒な少女が闇に飲みこまれていく様を、上空から眺めている自分と、手を差し伸べようと駆け寄る自分。

 —— 記憶が戻ると、父親は頭をかち割られて足元に倒れていた。

 そばには灰掻き棒が落ちている。

 

 父親の亡骸を見たカナちゃんは、震えながら儀一にしがみついてきた。

 お腹に顔を埋めて泣きじゃくる彼女の背中を、抱きしめようとした手が止まる。

 

 『止めるんだ!』 —— 心の声がそう告げる。


 父親に対する怒りや彼女への憐憫れんびんの情以外に、得体の知れない邪悪なものが下腹部から湧き出てくると、すべての感情を飲み込む。

  —— 儀一の中で何かが吹き飛んだ。

 それは三十三年間かけて作り上げた人格を一瞬で変えてしまう破壊力かあった。

 彼女に下半身を押し付けたいという衝動は抑えがたく、太ももが痙攣を起こす。

 終わりのない深い闇へと落ちていく自分がはっきりと見えた。

 ずぼん越しに怒張したペニスを、彼女の胸に押し付けるとそのまま射精した。

 頭が真っ白になり何も見えなくなり、その場で気を失った。


           *


 殺人及び強制わいせつ罪

 懲役二十年 未決勾留日数六十日をその刑に算入する。

 

 むかしから子供が好きだった。

 若い女性よりも子供に目を奪われることが度々あった。冴えない容姿と吃音のコンプレックスのせいで女性とは縁遠かったからだと思っていた。

 自分のおぞましい正体に突然気付かされた事実は、人をあやめたこと以上にショックだった。できることならただの子供好きで生涯を終えたかった。


 不幸な子供を救えるなら、自分のすべてを捧げられるという気持ちに偽りはない。しかし、あの日以来、幼女に触れたいという、矛盾した欲望が日増しに強くなっていった。

 刑務所内での生活は特に不便もなく、むしろ健康的ですらあったが、幼女に欲情する自分は死ぬしかないと考える、苦悩する日々が続いた。

 季節は巡り周囲の受刑者も入れ替わっていったが、儀一は誰とも付き合わず刑務作業に没頭した。暇な時間には聖書を読んで過ごした。


 加齢とともに欲望は薄れ、ようやく素の自分を受け入れ始めたころ、1通の手紙が届いた。

 差出人は17才になったカナちゃんからだった。

 つたない字だったが、濃い鉛筆で助けられたお礼がつづられていた。


 —— その夜、儀一は部屋で首を吊った。

 運よく隣部屋の受刑者が異変に気づき未遂に終わったが、しばらくは監視が付けられ、カウンセリングへの参加が義務づけられた。


 カナちゃんからの手紙は、時々届くようになる。

 高校に通っていること、勉強に全くついていけないこと、同級生にいじめられること、周囲の大人から意地悪されること、施設を出たいことなどが書かれていた。一途に感情を吐露とろしている内容。

 迷った挙句、返事は出さなかった。しかし、儀一の中で一種の意義のようなものが芽生えていた。


 —— 更に何年か過ぎて、儀一の刑期が終わろうとしていた。


 手紙の通りであれば、カナちゃんは施設を出て、働きながら友達とルームシェアをしているらしかった。

 模範囚として十六年で仮釈放となった儀一は、国から用意された更生施設で暮らし、斡旋あっせんされた仕事を毎日こなした。週一回の保護観察官との面談にも参加した。


 —— 1カ月ほど過ぎたある朝、電車で遠出をした。

 半日かけて小さな漁村に着くと、記憶した住所に足を運んだ。

 海岸に面した粗末な一軒家を見つけると、周辺でぶらぶらと時間を過ごした。

 夕方、玄関からカナちゃんが現れた。以前のような幼女ではなく、成長した彼女がいた。しかし面影は残っていた。

 手下げ袋を抱えた様子から夕食の買い出しだろうか。

 不安と悲しみが同居したような表情  —— 儀一は声をかけなかった。


 そのまま更生施設には戻らず、途中の釜辺町に住み着いた。

 身元を詮索されることもなく、板金工の職についた。

 稼いだお金は全て匿名で彼女宛に送った。

 

 更に何年か過ぎた頃、公園で偶然、モモに出会った。

 一目見て救いのない子供だと判った。

 儀一はモモに近づかないように気を付けていたが、向こうから近づいてきた。

 —— 不幸な子供はみんなそうだ。自分のような罪人にすら希望を持ってしまう。


 「モモちゃん、お、お姉ちゃん、さ、探し行こか?」

 儀一の中で祈りにも似た思いが湧きあがった。

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