第25話

 —— モモは泣きながら走った。


 消えかけた街灯の下、破れたワンピースの前をにぎりながら。

 商店通りの交差点を横切り、釜ノ川を渡る。行き先はじんくんの秘密基地しかなかった。ゆるい丘を登り、メクラ団地を通り過ぎようとして足を止める。


 暗い公園でかすかに動いた人影。

 吸い寄せられるようにベンチに駆け寄り、〝 影 〟に抱きついた。


 「ぎんちゃん、ぎんちゃん …… !」


 名前を呼ぶ声はすぐに泣き声へと変わった。


 〝 影 〟は震える手でモモを引き離す。

 「あ、あ、あ、あかんよ …… 」


 どもりながら後ずさる。

 男の名は種田たねだ儀一ぎいち。 三年ほど前から釜辺町に住み始めた五十二歳の余所者。


 「こ、こ、こない時間に、ど、どしたん?」

 儀一は幼いころから吃音だ。


 モモはこれまでの出来事を泣きながら話した。7歳の子が感情のままに話す内容は、要点が不鮮明で荒唐無稽だったが、儀一には不思議と理解できるようだった。


 「—— ぎんちゃん、お姉ちゃんを助けて」

 「 ………… 」

 

 「助けてくれるでしょう?」

 「 ………… 」


 「なんで黙ってるの?」


 儀一はギュッと目を閉じ天を仰ぐように上を向いていた。禿げた頭部が水銀灯に照らされて青白いシルエットとなっている。


 「と、と、とにかく、そ、その格好はあかんよ」


 破れたワンピースから胸板、おなか、パンツが見えている。汚れた作業着姿の自分と並べばいかがわしすぎる。


 「ぼ、ぼ、僕の家においで。す、すぐそこやし」


 木造平家の一軒家は公園に面した一角にあった。玄関には照明がなく、人が住んでいる気配がしなかったが、錠を開けて中に入った。

 居間に入ると線香の匂いが鼻にさしこんだ。


 「こ、ここで待っとって」

 そう言うと儀一は奥の部屋へと消えた。


 テレビもソファもなく、土色の壁と床に敷かれた井草のゴザが珍しかった。

 壁際に寄せた小テーブルと、その上に置かれた棚箱 —— 棚箱の中には額縁に入った写真が立て掛けてあり、周りには小さな玩具とお菓子が置かれていた。


 写真は小さな女の子だった。

 手に取って女の子を見つめる。—— だれだろう?


 気配がして振り向くと、着替えを持った儀一がいた。

 写真をひったくると、モモが触れた箇所を袖口で拭った。


 「ごめんなさい …… 」

 謝ったが返事はない。


 「ふ、服、こ、これしかないけど …… 」

 渡された作業着はモモにはぶかぶかだった。


 「い、い、今から僕の話すこと、き、聞いてくれはる?」

 儀一はひざまずき、顔をそらせた。


 「ぼ、僕はむかし、こ、子供に悪い事して、け、け、刑務所におったことがあるね ん。 ほん、ほんまは、わ、悪い人間や。だ、黙っとってごめんな」


 視線を合わせようとはせず、吃音の独特のリズムで話した。

 モモは写真の女の子を見た。


 「その子に悪いことしたの?」

 「そ、そうや、そういうことやな」


 「その子は死んじゃったの?」

 「い、生きとるよ。も、もう大人やけど」


 「…… モモにも悪いことする?」

 「そっ、そっ、そっ、それは絶対にない!」


 儀一は強く否定した。


 「モモのともだち、世界中にぎんちゃんしかいない。お願い、お姉ちゃんを助けて!」


 儀一は少女の眼差しの強さにドキッとした。少女の孤独な世界に引きずりこまれそうになり、写真の少女とモモを交互に見比べた。


 「ほ、ほんまに、あ、あかんねんて・・・・」 

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