第23話

 —— 目が慣れても夜の学校は真っ暗で不気味だった。


 携帯のライトを頼りに廊下を進み、非常出口前の踊り場が処刑場に選ばれた。この場所だけ避難誘導灯の明かりでほの明るかった。

 知子は栄太に腹を殴られ廊下にうずくまっていた。


 「何して遊びたい?」

 知子の背中を踏み付けた美穂が仲間を見渡す。


 「みんなの前で裸にしてやるってのは?」

 愉子が栄太の肩に手を回しながら言った。


 「それやろう。さっとん、今日は手加減いらないから。愉子、ばっちり録画して」


 「きゃははっ オッケー」


 すでに汗が幾筋も流れている聡が近づいてくる。

 「チコちゃん、裸の君に触るところを何度も想像したよ」


 聡は汗染みでまだら模様になったTシャツを脱ぎすてた。脂肪が折り重なった体は、誘導灯のせいで土偶のように見えた。


 「でもね、僕が本当に触りたいのはね、モモちゃんの方なんだ」


 聡の顔は暗くて見えなかったが、モモの方へと近づくと、そのまま上に覆いかぶさった。巨大な体に覆われモモの姿は見えなくなった。脂肪の下から泣き声が聞こえる。


 「うそっ! キモっ、まじ変態じゃん」

 愉子が携帯を取り出しながら楽しそうな顔をした。


 「やめてよッ!」

 立ち上がろうとする知子。

 脇腹に栄太の蹴りが入る。

 再び倒れ込む知子。


 美穂がカッターを手に近づいてくる。

 立ち上がろうとする顔めがけて切りつけてきた。とっさにかばった知子の指先に刃先が当たる。切られたというより何かで叩かれたような感触。

 美穂は繰り返しカッターを振り下ろした。

 腕を切り裂き、指を切り裂いた。ぽたぽたと床に血が滴る。

 遅れてやってきた痛みが腕全体を麻痺させた。


 キンッ! 


 カッターの歯が折れ、知子の肘に深く突き刺さった。

 痛みよりも冷たい異物が体内に差し込まれたような戦慄に全身が鳥肌立った。


 攻撃は止まらず、歯の折れたカッターので頭を殴りつけてくる。


 「くそチンコ、自分が何したか、わかってんのかよ! 家族をめちゃくちゃにしやがって!」

 美穂は我を忘れて腕を振り続けた。


 「 —— パパが好きなのは私なんだよ。お前はそれを壊したんだ!」


 知子は遠くなる意識の下で昔の記憶を思い返した。竹彦先生の算数クラスに入ったのは4年生の時 —— 美穂の嫌がらせも同じ時期に始まった?


 「毎晩、パパの書斎に通ったのに! 毎晩、パパに体を与えてきたのに!」


 —— 竹彦先生、なぜ私を助けようとしたの? 


 息の上がった美穂がしゃがみ込む。入れ替わりに知子が立ち上がった。

 聡の巨大な背中が、ごそごそと動いている。その下からモモの泣き声。

 2人の様子を携帯で撮影している栄太と愉子。

 知子の奥から嫌悪が噴き出した。


 「みんな!くたばれッ————ッ!」

 ほとばしる絶叫。みんなの動きが一瞬、凍り付く。


 美穂を突き飛ばし、全力で廊下を走った。残った力を使い切る勢いで足を前後に動かす。真っ暗な廊下を突っ切り、真っ暗な階段を3階まで一気にかけ上る。

6年2組の教室に飛び込んだところで力尽きた。

 —— もうだめ。でもようやく終わる。


      *


 「 —— モモちゃん、泣かないで」

 聡は優しい声で話しかけてきた。


 「ぼくのこと、好き?」


 上体を起こした聡は、泣いているモモのワンピースを軽々と引き裂いた。

 色白で貧弱な体が剥き出しになる。


 「お願いだから、ぼくのこと嫌いにならないで」


 青黒い顔がお腹のあたりを見つめている。

 パンツを脱がそうとお尻の下に手を差し込んでくる。

 ゆっくりと脱がせる途中で何かが床に落ちた。


 「モモちゃんの?」

 拾い上げた聡は、袋を開けて中のラムネを取り出した。


 「ひとつ食べる?」

 モモは首を振った。


 聡は白いラムネを二粒、口に放り込むとモモのパンツを脱がせた。


 「モモちゃん、とってもかわいいよ」


 ぶくぶくした手が体に伸びてくる。

 皮膚に触れる瞬間、巨大な上体が崩れ、のしかかってきた。脂肪の量はものすごく、自分の力ではどうすることもできないと悟る。


 —— このまま肉に押しつぶされるのだ。汗で濡れた体の下で目を閉じた。


 聡の呼吸は異様な激しさに変化した。心臓が凄まじく脈動するのが感じられる。


 —— どうなってしまうのだろう?


 硬直した体が弓のように反ったかと思うと、ぶるぶると肉を揺らせて痙攣を起こした。

 その後、唐突に聡は〝 停止 〟した。

 踊り場はしんと静まり返り、動くものは何もなかった。


 モモは肉塊から這い出そうともがいた。床に顔を伏した聡は大量の泡を吹いている。


 —— 何が起きたのだろう?


 聡の体から抜け出すと、脱がされたパンツを履く。裂けたワンピースに袖を通し、残ったラムネを拾った。

 耳をすまし廊下を見渡してみたが人の気配はない。

 モモは非常口から外に出ると、1度も振り返らず校庭を一直線に走り抜けた。



 6年2組の教室で知子は観念したかのように座り込んでいた。

 殴っても髪を引っ張っても反応はなく、逃げる気もないようだった。

 美穂も先ほどとは別人のように生気がない。

 

 「ねえ、美穂までどうしちゃったの?」

 心配そうに愉子が覗き込むが返事はない。


 栄太は携帯で父親を呼び出しているが繋がらない。

 「しょうがねえや、このまま連れていこう」


 3人は知子を引っ張りながら非常口の踊り場に戻った。

 そこで床に転がる聡の死体を見た。


 「—— やだよう、何があったの?」

 愉子は栄太の腕にしがみついた。


 ひっくり返して安否を確認するまでもなく、息をしていなかった。


 「おい、妹はどこ行ったんだよ!」

 栄太は知子の胸ぐらをつかんだ。


 知子はうつろな目で床を見つめたまま反応がない。


 「こいつもうダメじゃね?」

 肘の深い傷口からは今も血が流れていた。


 「とにかく、こいつだけでも親父の所に連れて行こう」

 栄太は知子の首を掴んで立ち去ろうとした。


 「サットンは? このままでいいの?」

 愉子が言った。


 「しょうがねえだろう。みんなで担ぐって言うのか?」

聡の体は人間ではない別の生き物の死骸に見えた。


 「 —— ムリ。きっと幸せに死ねたんだわ」

 愉子は再び栄太の腕にしがみついた。

 

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