第19話

 表札に刻まれた『南部竹彦』の文字に軽く触れるとインターホンを押した。

 少し経って男性の声 —— 竹彦先生だ。

 

 「先生、私です。6年2組の神崎知子です。助けてほしいんです」


 「知子ちゃん? ちょっと待ってて」


 玄関から先生が出てくる。

 「どうしたの? 裸足だし …… 怪我してるのかい?」


 初めて味方に巡り合った安堵感で泣き崩れそうになった。


 「 —— とにかく入ってよ」


 客として招き入れてくれた家の玄関には、まだ新築の匂いが残っていた。

 ベージュ色の壁紙と無垢のフローリング、明るい照明の快適なリビング。

 甘い紅茶とお菓子が木目のテーブルに並べられた。

 知子は裸足で汚れた自分の足が恥ずかしかった。


 「あの …… 迷惑じゃないですか?」

 「冗談で言ってるの?」


 「いえ、娘さん …… 美穂さんはきっと嫌がるかと —— 」

 「あぁ、美穂ならさっき電話があって出て行ったよ」


 こんな夜に?と思ったが口には出さなかった。

 やわらかいソファーに座り、冷房の効いた部屋にいる内に、べたべたしていた汗が渇き、恐怖心が薄れていった。


 「何があったのか、もう話せるかい?」

 隣に腰を下ろした先生は、すべてを受け入れてくれそうな穏やかな顔だ。


 「全て話したいんです。でも …… 先生に迷惑がかかるんです。それに、私のこと、嫌いになるかも ……」

 「嫌いになんてならないから、話してごらん」


 —— 知子は今朝からの出来事を精一杯、話した。

 大雑把であまり上手い説明にはなってなかったと思う。


 「つらかったね。そしてよく話してくれたね」

 話しの途中で辛くなり言葉が詰まった時から、先生はずっと肩を抱いてくれた。

 

 知子は自分の気持ちを他人に話したのは初めてだった。

 —— こんなに?・・・こんなに気持ちが楽になるなんて!


 「もう一つ相談があったんだよね?」


 手紙のことを覚えてくれていたことに感情があふれそうになる。

 「それは …… きっと、先生をひどく傷つけると思います」


 「話してごらん。傷ついても構わないから」


 知子は初めて貯め込んできた苦痛を吐き出してしまいたくなった。

 そして、自分が学校でいじめを受けていること。いじめのリーダーが美穂である事を泣きながら訴えた。

 先生は時々、顔をしかめながら最後まで静かに聞いてくれた。


 「あの …… 信じてくれなくても平気です。突然の事で信じられないと思うので」


 「いや、決心のいる告白だったね。娘に代わり謝罪するよ。本当にすまなかった」

 先生は深く頭を垂れた。


 「そんな! やめて下さい。先生にそんな態度を取らせたくありません」


 「娘のこと嫌いになっただろうね。 美穂は …… 時々、手に負えなくなるんだ。本音をいうと娘であることが苦痛な時もあるんだ」

 先生に苦悶の表情が浮かんだ。


 「正直いって、私には美穂さんが理解できません。先生を困らせるなんて!」


 「あいつは …… その、穏やかな性格ではないから …… 」


 「私もそう思います。だから先生の気持ち、すごくよくわかります」

 知子は竹彦先生から美穂の愚痴を聞くのが心地よかった。

 できることなら、このままずっと先生と話していたかった。


 「愚痴ってすまないね。ちょっとだけ待っててくれる?」

 そう言い残すと先生はリビングから出て行った。


 「—— もう大丈夫だと思う」

 ため息をつきながらモモに言った。モモは出されたお茶菓子をほおばっていた。


 落ち着いた雰囲気にウトウトし始めた頃、先生が戻ってきた。


 「遅くなってすまない。知子ちゃん、少しだけ僕の部屋で話せる?」

 自分だけを呼んでくれたことがうれしかった知子は、先生に付いてリビングを出た。廊下の突きあたりに先生の書斎があった。


 リビング程の広さがある書斎の壁面には、水族館のようなガラスケースが一面に並んでいた。薄いブルーのLEDに照らされたケースの中には、カラフルに着色されたフィギュアが隙間なく並べられていた。

 アニメか何かのキャラクターだろうか?

 目をこらして眺めてもホコリひとつ付いていない人形は、今にも動き出すのではないかと錯覚するくらい躍動感があった。

 部屋に複数台ある液晶モニターには、フィギュアと同じアニメが表示されている。


 「・・・すごい!」

 先生の趣味を想像したことがなかったので思わず言葉が出た。


 「意外だった? ただの趣味だよ」

 部屋の一角にはベットまであった。


 「さあ、準備は出来た!」

 そう言うと先生はスーツケースの蓋を閉じた。


 「あの、準備って …… ?」


 「決心したよ。僕と一緒にこの町を出よう」

 そう言うと手にした車のキーを振って見せた。


 「えぇと …… よくわかりません」


 「君たちに危険が迫っている以上、しばらく釜辺町を離れたほうがいいと思う。だから僕が連れ出してあげる」


 —— 知子は意外な提案に戸惑った。

 「でも …… 家族や美穂さんは?」

 

 「心配しなくても大丈夫。家族は何とかやっていける。時々は連絡を取るよ」


 フィギュアに囲まれた部屋で聞く、先生からの提案に現実味がなかった。

 「 えっと…… 学校は?」


 「釜辺町でなくても他に学校はたくさんあるよ」


 「妹も一緒に ?」


 「いや、モモちゃんは当分はこの家で面倒を見る。事が落ち着いたら父親の元に届けるのがいい」


 「そんな …… 一緒でないと」


 「いいかい、彼女には実父がいるんだよ。僕が連れて逃げると、それは誘拐になるんだよ」


 言う通りかもしれない。先生を誘拐犯にはできない。しかし —— モモを置いていくなんてできるだろうか?


 「さあ、急いだ方がいい」

 急かされながらキッチンを横切り、庭に出ようとする。


 前に話で聞いたとおり、南部家のダイニングはせまくて通るのもやっとだった。 母親と美穂の妹が、テーブルをはさんだ向こうに座り、こちらを凝視している。

 挨拶をしていいものか分からず、頭を下げてお辞儀をする。

 母娘に反応はなかった。まるで時が過ぎるのだけを待っている人形のように見えた。にぎやかな家庭を想像していたので意外だった。


 —— 庭に出ると先生の車が停めてあった。

 エンジンをかけトランクを開ける。


 「これ、サイズ合うかな?」

 美穂の靴を渡してくれた。


 靴を履きながら気配を感じて後ろを振り返る。

 背後にモモが立っていた。

 非難とあきらめが入り混じった目。何度も同じ目に遭ってきたのだろう。

 —— 1回くらい増えたってどうってことないでしょ? 

 知子は自分に言い聞かせた。

 さらに後方のキッチン窓から、南部家の母娘が成り行きを見つめている。


 「さあ、早く乗って」

 助手席のドアを開けてくれる。


 「 …… やっぱりだめ! 妹と一緒じゃなきゃ」

 知子は乗り込む直前に考えを決めた。


 「さっき説明した通り、連れてはいけないんだよ!」

 「わかってます。私たちを隣の町まで送ってください。先生はその後、家に戻って下さい」


 「君たちだけでこの先、何ができると言うんだい?」

 「わかりません。でも、二人一緒でなくちゃいけないんです」


 ″はぁーっ″  先生はため息をついて腕時計を見る。

 「わかったよ。モモちゃんも一緒に行こう」


 「本当に?」

 「ああ、他に方法がないなら」


 「ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 先生の顔色を伺いながら知子の胸に罪悪間が渦巻いた。

 本当にこれで良かったのだろうか?

 先生は家族を捨てるのだろうか?


 そんな心配事も車が走り出した途端、町から離れられる安堵に変わった。

 —— とにかく先生を信じよう。

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